第 2 章 〈積極的消極空間〉を問う
2.1. Kern の定義
本項ではKern (1983)の〈積極的消極空間〉の定義を詳細に検討し、Kernの定義で明
らかではない点、あるいは加えるべきと考える点を示す。まず、Kernの定義にある〈空 間〉の構成する機能について、その具体的な説明がないこと、さらに、Kernが挙げた 例には、 “the neglected ‘empty’ spaces” (pp. 179-180)「おざなりにされてきた『空虚な』
空間」[日本語訳引用者]と〈図〉との違いが識別できない表象も含まれていることを 明らかにする。次に、写真の誕生、西洋社会の生産様式や市場形成など、経済活動の変 化と〈積極的消極空間〉の誕生の関係性が主張されていないことについて議論し、最後 にアール・ヌーヴォーの街頭ポスターという広告の誕生による、視覚表象をめぐる〈コ ミュニケーション〉の変化について述べられていないことを指摘する。
19世紀末から20世紀初頭にかけての時期に西洋社会に出現した新たな〈空間〉のあ
り方を、Kern (1983)は〈積極的消極空間〉と名付けた。この〈空間〉のひとつの例が西
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洋社会に押し寄せた平準化という〈空間〉に対する価値観や観念の変化で、政治、宗教、
学問、造形、産業等々、様々な分野において、権威、特権、階層といったものへの懐疑 や否定を西洋社会全般にもたらしたと述べている。Kern(1983)の主張する〈積極的消極 空間〉とは、一体どのようなものとして定義づけられているのか。この概念は本研究に とって最も重要であるため、その説明の部分を詳細に検討してみたいと考える。再考を 行う上で、訳文と原文との埋めがたい言葉の隔たりを考慮し、両テクストを併記するも のである。
The traditional view that space was inert void in which objects existed gave way to a new view of it as active and full. A multitude of discoveries and inventions, buildings and urban plans, paintings and sculptures, novels and dramas, philosophical and psychological theories, attested to the constituent function of space. I will refer to this new conception as
“positive negative space.” Art critics describe the subject of a painting as positive space and the background as negative space. “Positive negative space” implies that the
background itself is a positive element, of equal importance with all others. (Kern, 1983, pp. 152-153)
空間は、不活性な空所で、その中に物体があるのだという従来の考え方は、空間と は活性
..
的で
..
、満ちている
.....
という新しい見方に取って代られた。多くの発見と発明、
建物や都市計画、絵画や彫刻、小説やドラマ、哲学や心理学の理論といったものが、
空間
..
の
. 構成
..
する
..
機能
..
を証明した
....
のだ。私はこの新しい概念を「積極的消極空間」と 呼ぶ。芸術評論家らは、絵画における描かれる主体を積極空間とし、背景を消極空 間と説明する。「積極的消極空間」は、背景自体が積極的な要素をもち
..............
、その他と
....
同等に重要
.....
であることを指す。[日本語訳・傍点引用者]
では次に、その〈積極的消極空間〉とは具体的にはどのようなものであるのかを検討 するため、Kern (1983)で〈積極的消極空間〉の例が挙げられている部分を引く。
New constituent negativities appeared in a broad range of phenomena: physical fields, architectural spaces, and town squares; Archipenko’s voids, Cubist interspaces, and
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Futurist force-lines; theories about the stage1, the frontier, and national parks; Conrad’s darkness, James’s nothing; and Maeterlinck’s silence; Proust’s lost past, Mallarme’s blanks, and Webern’s pauses. Although these conceptualizations were as diverse as the many areas of life and thought from which they emerged and upon which they had influence, they shared the common feature of resurrecting the neglected “empty” spaces that formerly had only a supporting role and bringing them to the center of attention on a par with the traditional subjects. If figure and ground, print and blanks, bronze and empty space are of equal value, or at least equally essential to the creation of meaning, then the traditional hierarchies are also open to revaluation. Value was henceforth to be determined by aesthetic sensibility, public utility, or scientific evidence and not by hereditary privilege, divine right, or revealed truth. The old sanctuaries of privilege, power, and holiness were assailed, if not entirely destroyed, by the affirmation of positive negative space. (Kern, 1983, pp. 179-180)
新しい、構成する〈地〉が、広い範囲の現象に現れた。物理学の領域、建築の空間、
そして町の広場。アーキペンコの空無、キュビストの間ま、そしてフューチャリスト の力線。舞台空間についての理論、フロンティア、国立公園。コンラッドの暗闇、
ジェームスの無。そしてメーテルリンクの沈黙、プルーストの失われた時、マラル メの余白、ヴェーベルンの間ま。こうした概念化は、それが生まれ、影響を及ぼした 様々な生活と思考の領域を反映して多種多様であったが、すべてに共通する特徴が あった。従来は主役を補佐するぐらいの役割しかなく、おざなりにされてきた「空 虚な」空間を主役と同等に注目の中心に据えたという特徴である。図と地
...
、活字と
...
余白
..
、ブロンズとあき空間
.........
、それら両者が等価値になる
............
、あるいは少なくとも意味
...........
の創造に対して等しく不可欠
.............
であれば、従来のヒエラルキーもまたその価値の見直 しに晒される。以後の価値は、したがって、審美性、大衆にとっての有用性、科学 的実証によって決定されることになり、世襲される特権、神権、暴かれた事実によ って決められるのではない。特権、権力、神聖さなどの古い聖域は、積極的消極空
1ここでいう“theories about the stage”とは、従来あった背景幕を取り払い、彫刻の配置などによっ て立体的な舞台空間を創り出したドイツの舞台芸術家アドルフ・アッピア(Adolphe Appia)やイギ リスのゴードン・クレイグ(Gordon Craig)などの理論を指す(Kern, 1983, pp. 158-159)。
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間が肯定されたことによって、完全な破壊とまではいかなくとも、非難の矢面には 立たされることになったのである。[日本語訳・傍点引用者]
まず、最初の引用の傍点部分に注目してみたい。Kernは、〈空間〉は活性的で、何か を生み出す可能性に満ちた2場所なのだという新しい考え方が、あらゆる分野の創造的 活動によって「証明」3されたと語っている。この見解は、〈空間〉の動的性質といった
点で、1.2.2で詳述した〈空間〉の機能に関する小川らの先行研究と同様の意見である。
そして2番目の引用では、従来〈地〉として、主役を補佐するぐらいの役割しか認めて もらえなかったが、「主役と同等に」「意味の創造に対して等しく重要」な部分を〈積極 的消極空間〉とし、それには意味の創造に貢献する機能があると述べている。しかし「主 役と同等に」位置づけられ、「意味の創造に対して等しく重要」なのであれば〈積極空 間〉とすればよく、〈積極的消極空間〉とする必要はない。それをあえてそう呼ぶとい うことは、そこに違いがあるということである。ここで注意したい点は、Kernが空間に
「構成する機能」があるとして、その動的性質が備わっていることは認め、いくつかの 例は出していても、具体的に何を......
どう..
構成..
する..
機能なのか.....
に関しては述べていない点で ある。〈積極的消極空間〉の構造、及び意味生成のメカニズムについては「意味を構成 する機能」の項で論ずる。
Kernの定義で、問題点として取り上げたい2つ目は、〈積極的消極空間〉誕生の契機 の検討に重要だと思われる、経済や産業など社会・文化的側面との関係性への考察がな い点である。定義にある順序どおり、Kernは科学の領域における〈空間〉の性質に対 する思想、具体的にはユークリッド幾何学への批判と修正、物理学の新たな発見が、〈積 極的消極空間〉誕生の発端のように語っている。Kernは、アインシュタインが1905年 に発表した特殊相対性理論、1916年に発表した一般相対性理論によって、〈空間〉はあ くまでも観察者と対象との間の相対的なもので、不均質で無限数あるという、〈空間〉
の性質に対する新しい考え方がもたらされたとした。それはもちろん物理学や数学には
2ここで述べている「活性的で、満ちる」という〈空間〉の機能という点については、2.2.1、3.2.1 で詳細に説明。
3「あらゆる分野の創造的活動」とはすなわち社会の中で繰り広げられる、様々な新たな試みで ある。19世紀末から20世紀にかけてのそうした創造的な社会的実践が〈空間〉の「機能」を「証 言」したとKernは述べる。これは〈空間〉と社会的実践との切り離せない結び付きが顕在化し たことを示している。これについては「誕生の契機」の項で詳しく説明する。
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多大な影響を与えたのだが、その以外の分野への大きな影響としては、絵画における多 視点の表現が挙げられるとしている(pp. 13-14)。新たな絵画の表現が、結果的に、ニ ュートン以来の絶対空間に基づく旧来の〈空間〉に対する認識への否定を社会に広げ、
あらゆる領域に〈空間〉の不均質性と無限数性を証明する事象がみられるようになった としているのである。だがKernは経済や生産手段の変化という社会・文化的側面には ほとんど触れていない。
最後の「結末」(“Conclusion”)でKernは、歴史家は、時代が首尾一貫した思考を持つ ものとして語るべきではないと述べている。Kernは歴史を線状的(ないし線形的)に語 ることを避けたと考えられる。代わりにとった方法は、異なった分野の様々な出来事の 並置であった。本のタイトルどおり、1880年から1918年の西洋社会に出現した哲学4、 文学、電子、電気、建築、室内装飾、開拓、音楽などのあらゆる領域の事象を並べ、そ こから浮かび上がったものとして〈積極的消極空間〉という共通の〈空間〉の性質があ ることを示したのである。だがハーヴェイ(1999)が、Kernの議論には技術革新や資本
4社会全体の平準化と〈積極的消極空間〉の誕生に直接的な影響を与えたもののひとつに、Kern は19世紀末の近代的な理性という考え方、すなわちニーチェをはじめとする思想を挙げている。
ニーチェがいわゆる「神の死」を唱え、「ニヒリズム」、すなわち諸価値の無価値化という、思考 の中の虚無という〈空間〉が人々の中に広がり出したと述べているのである。こうした近代の思 想は、ユダヤ-キリスト教的世界観の根源ともいうべき、絶対的中心、すなわち人々の観念の中 にあった、神を頂点とするヒエラルキーという〈空間〉の構成を消滅の方向へと加速させたとい ってよい。Kernはまた、マルセル・プルーストやジェームス・ジョイスの内的時間を描いた文 学も、〈積極的消極空間〉を描くものとして説明している。だが、美学思想には触れていない。
例えば、自然模倣を芸術の価値観から切り離し、〈非具象〉への価値づけをいち早く主張したヴ ィルヘルム・ヴォリンゲルへの言及はないのである。ヴォリンゲルの主張は『抽象と感情移入』
(1953)と題され、原著は1908年に出版されており、Kernが主張する1880年から1918年の時 期に該当するにもかかわらずである。ヴォリンゲルは、近代美学が「感情移入」のみを芸術の発 露としていることに言及し、より広範な芸術を説明するために、感情という「美的主観主義」だ けではなく、人間の「抽象衝動」から美学を捉え直すべきだと唱えた。「模倣衝動というこの人 間の原始的な要求は本来の美学の外に立つということ、そしてこのような要求の充足は原則的に 芸術とは何の関わりもない」(ヴォリンゲル, 1953, p. 28)と、単純な自然の模写と芸術との決別 を唱えた。ヴォリンゲル(1953)は、人間の思考や表現は、自然や自然の恵み、また何らかの加 工をしたものを対象とすることから逃れられない「人間と自然との対決」(p. 29)であるとした。
そして、感情移入が「人間と外界の現象との間の幸福な汎神論的な親和関係」(p. 33)を条件と しているのに対し、抽象衝動は「外界の現象によって惹起される人間の大きな内的不安」(p. 33)
を条件として生まれてくるとしている。ヴォリンゲルは聖書のすべてに先立つものとしての神の 存在を例に出し、「精神的空間恐怖」(p. 33)が抽象衝動へと人を駆り立てるのだと説明している。
あまりに混沌とした現実世界から、ある部分だけを選び取って観念化という単純化をすること、
あるいは「抽象的・合法則的形式」(p. 38)に従うことよって、人間は「無限な安静」(p. 35)を 手に入れることができると説明している。ヴォリンゲルのこうした主張は、抽象表現への美学的 価値づけとして先駆的であったのみならず、抽象表現が誕生した経緯を、人類のより根源的なと ころから捉えている点で非常に独創的であり、再現芸術から〈非具象〉が誕生する経緯に重要な 思想として付け加えるべきであろう。