第 4 章 〈積極的消極空間〉の展開
4.3. マンガ
4.3.3. 空(そら)の〈積極的消極空間〉
前項で例を示しながら説明した日本のマンガにおけるキャラクターの感情、精神的な 揺れといったものを、セリフやト書きなしに暗示させる機能を果たす〈空間〉には、花 や草木の他に、空そらが非常によく描かれる。〈再現(模倣)芸術〉において空そらは一般的に、〈地〉
として描かれるものであり、その場合、それは上空に広がる空そらを指し示し、それを意味 する。しかし、上述の絵画のシュルレアリスムにもあった通り、後景として描かれるも のとされてきた空そらのモティーフは、〈積極的消極空間〉の誕生以降、前景化し、空そらの意 味以外の、異なったシニフィエを浮かび上がらせる〈空間〉として機能するようになり、
現在では、そうした表現がよくみられる。マンガには、こうした空そらの外示的な意味以外
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の、何らかの意味生成に貢献する〈積極的消極空間〉としての空そらが頻繁に描かれる。そ の空そらとは、場面転換を表現する必要性から建物を描いたため、付属的要素としてやむな く描かれた空そらではなく、時間経過を表現しようとして夜空を描いたり、一夜が明けたこ とを表すための太陽が輝き、鳥が飛ぶ空そらでもない。空そらが1コマ全体、あるいは大部分を 占める、または、コマとコマの間、いわゆるコマ間かんに、セリフの置かれたコマと同等の 重要性を持って、メッセージを内包して描かれる。
図30.「空(そら)」の意味の違い36
(菅野, 2004, p. 62)
図 30は日本のマンガにおける空そらの機能を非常によく表している例である。上から順 に「作例③」「作例④」「作例⑤」と表示された3つの作画の例は、全く同じ絵が描かれ たものであり、唯一の違いは「好きなの」というセリフが入った吹き出しの位置である。
著書『漫画のスキマ』の中で、著者菅野はこの例を出して、吹き出しのセリフの位置の 違いによる、空そらの意味の差について語っている。それによれば、一番上の女性にセリフ
36作品の図像の入手情報は、上記のとおり、参考資料の菅野(2004)を参照。
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がある場合、空そらは、女性からの告白に対する男性の驚きを表現し、二番目の空そらにセリフ がある場合は、ふたりのお互いを思う恋心がひとつになった瞬間、つまりふたりの恋の 萌芽を表している。そして一番下のパターンは、男性に対する告白をためらう、女性の はじらいの気持ちを表現したものであるという(菅野, 2004, p. 62)。したがって、一番 上のパターンの空そらには、男性の「えぇ!?」というようなセリフの挿入が、また、一番 下の3 例目の空そらには、「どうしよう・・・」といったつぶやきの挿入がそれぞれ可能で ある。この空そらのヴィジュアルはこのように、ある種の感情の解釈を促し、その感情に伴 う、そこで発せられるべき言葉、すなわち内的コンテクスト(心象や気分)を暗示する 役割を担っている。セリフの置かれたコマと同等の重要性を持って、メッセージを運ぶ よう機能している。すなわち、通常、背景として何らかの主たる対象の背後に、添え物 として描かれるはずの空そらという図像が、あるメッセージを運ぶ表象として、独立して機 能しているというわけである。
マンガの作画技法の解説本『漫画バイブル 5:コマ割り映画技法編』には、「空にイ メージを透過する」という章があり、その中で以下のような解説が施されている。
人物が思い浮かべていることを空に映し出したいときは、人物の持っているイメー ジと空を合成して描くと良い。スーパーインポーズ(1つの画面の中で2つ以上の 映像を合成すること)の一種で、イメージと空を合成して少しずつ透かしていくこ とで、観客に対し、象徴的な印象を与えることができる。例えば、登場人物が空を.......
見て昔の恋人を懐かしく思い出す時や、空を見上げなが
.........................
ら未来に思いをはせる時な
............
どに使うと良い
.......
。様々な状態の空(青空、夕焼け、曇り空など)にイメージを透過 することによって豊かな情緒を生み出し、より観客の共感を誘うことができる。抒 情をそそりたい時などに適したイメージ表現の技法である。(塚本, 2008, p. 186)[傍 点引用者]
特に注目すべき部分は傍点部分である。登場人物が昔の恋人のことを回想する時、未来 に思いをはせる時、空そらが使われるべきだとあるが、なぜ他のものではなく空そらなのかに対 する理由は書かれていない。「昔の恋人」と空そら、「自分の未来」と空そらという 2 者間には、
論理的、因果律的に関連付ける根拠がない。だが空そらはなぜか、心情・情緒を表現する図 像として、マンガによく登場する。そうやって、見渡してみると、先にも述べたとおり、
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日本ではマンガのみならず、実はいろいろなジャンルの表現形式に頻繁に利用されてい る。それゆえ、受け手のほとんどは例のような事実に全く気付くことなく、この表象が あたかも自明であるかのごとくに受容している。これは空そらが感情を表現するものだとい うことを、社会が共通して認識している、つまり、コード化したイコン的メッセージと なっているといえる。
図31. 心象や時間の経過を表す〈積極的消極空間〉:『NANA』37 矢沢(2000, pp. 130-133)
更にいくつかの空そらの例を示し、その〈空間〉のあり方を考えたい。
図31 は実写版の映画化もされた大ヒットマンガ『NANA』のシーンだが、黒いベタ塗 りに雪の様な形状のパターンが散りばめられたコマ間かん、あるいは、この場合にはコマ間かん
37作品の図像の入手情報は、上記のとおり、参考資料の矢沢(2000)を参照。
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E空E
そら
Aにはナナの恋人への恋慕、しか し彼の未来を思えば別れるべきなのかと思案をするナナの複雑な心境が、独白調に語ら れてもよいはずである。しかし、言語的メッセージの語りは敢えて書かれず、AE空そらEAが非常 に象徴的に描かれるエンコーディング手法が採られている。前ページの吹雪の〈地〉同 様、このAE空そらEAのような〈地〉に相当する、セリフや擬音が省略、あるいは最小限度に施さ れた、AE空E
そら
Aを使って描かれる空間的広がりは、読者にはその省略されたと思われる内容を、
自分の想像力で補う自由な時間であるといえるが、逆にそれを強いられるスペースとも なり得る。この作者から〈空間〉としてエンコーディングされた、時間性を持つAE間E
ま
Aは、
ディコーディングする想像と創造のための場、すなわち、〈積極的消極空間〉として機 能している。この時間性をもった〈空間〉は、登場するキャラクターの複雑な思い、微 妙な心理や感情を表現する際に使用されていることが多く、例にあるように、AE空そらEAが描か れる場合が非常に多い。
の幅が広いので〈地〉というべきであろう部分に、メインのストーリーのコマが間を置 いて配置されている。主人公ナナの恋人である男性が、東京のロックバンドにスカウト されたので上京するとナナに告げるシーンである。恋人からの半ば別れともとれる告白 を聞いて動揺し、激しく高ぶるナナの感情を、雪が降りしきる夜空の描写によって表現 している。無論、読者は物語のプロットを成す、いわゆる〈図〉を示すコマに目線を取 られる。だがこの〈地〉とのコンビネーションによって、読者が自らの想像のうちに構 築するこの物語の世界は、〈図〉を追うだけよりも一層、広がりと味わい深さをもつも のとなる。なぜなら、雪が降る描写だけが描かれたこの〈地〉が示すものは、そのシー ンを取り巻く〈ヴィジュアル・シンタクス〉であると同時に、ナナの心象のあり様、す なわち内的コンテクスト(心象、気分)が示されているからである。降雪という状況設 定が、心象設定による内面のシニフィアンとして機能する。その二重性ゆえに、読み進 みをやや停滞させてしまう力を持つ場となるのである。後述するが、このような時間性 をもった〈空間〉は、アメリカンコミックスに代表される、均等なコマ割りのメインス トリーム・コミックス (main stream comics)と比較すると、はっきりとその違いを感じ 取ることができる。そして次の見開きには、恋人からの告白にショックを受け、ベッド で横たわったまま呆然とするナナの横顔と、海辺に友人とたたずむナナの姿が、時間の 経過を表現する大きな空を隔てて描かれている。この
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©あだち充/小学館・週刊少年サンデー
図32. よりコード化された「空(そら)」:『タッチ』171F38 あだち(1992, pp. 178-179)
図 32 にある『タッチ』の例は、先ほどの『NANA』の例よりもさらに慣用的な使い 方のパターンとして共通認識されている、コード化されたイコン的メッセージとして機 能しているAE空そらEAだといえる。主人公である上杉達也に対し、同級生2人が、人気投票で彼 に1票を入れた女子生徒がいると告げる。そこで達也は「どうせ・・・どこかのブスだ ろ」と呟く。しかし達也には、意中の人、幼馴染みで同級生の浅倉南がいる。彼女から の1票であってほしいという達也の恋心が、最後のAE空E
そら
Aのみを描いたコマには込められて いるのである。つまり、AE空そらEAは達也の心象のあり様としてディコーディングするよう、エ ンコーディングされたものである。しかし、心象を大空で示す場合の2つを繋ぐ因果関 係は、この場合ない。『NANA』の例のような様態の類似性によってつながる隠喩では なく、この例は、隠喩の側面から見ても、ストーリーの流れからしても、AE空E
そら
Aの絵が描か れる因果性はないのである。このような論理的、因果律的不整合を伴うAE空そらEAの描画は、感 情や心象を表現するというメッセージを送るコード化されたイコン的メッセージとし て、日本のマンガに非常によく描かれ、慣用的な表現としてすでに一般的になっている ことを物語るものである。
このように、AE空そらEAを描いたコマによる感情の表現、あるいは暗示は、アール・ヌーヴォ ーの場合の〈地〉に植物をあしらうことで、そのイメージによって何らかの意味を鑑賞 者側に感じさせ、雰囲気や印象の醸成、推察を促すパターンと、機能的に類似している。
38作品の図像の入手情報は、参考資料のあだち(1992)を参照。