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植物の〈積極的消極空間〉

ドキュメント内 要旨 (ページ 181-186)

第 4 章 〈積極的消極空間〉の展開

4.3. マンガ

4.3.2. 植物の〈積極的消極空間〉

32この場合の「デコラ」とはデコラティブ、すなわち装飾的という意味。

332章でも説明したが、こうした表現は、自然と人間との照応関係を是認するロマン主義の自 然と人間の感情や気分、出来事等に、相関、ないしは類似の関係を見出そうとする「神人同型(同 性)論(anthropomorphism)」の一種と考えられる。

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本項では、日本人の作家による現代のマンガの中で、コマ内の〈地〉の部分に、アー ル・ヌーヴォーの造形的特徴の影響と考えられる自然物があしらわれている、少女マン ガの典型例を示しながら、その〈異常〉の構造と、その表象による〈コミュニケーショ ン〉のあり方を詳細に分析していく。

1) 花:桜の表象

28.〈積極的消極空間〉の花:『花より男子』34 神尾(2007, pp. 24-25)

図28は1992年から2004年まで集英社発行の『マーガレット』に連載された後、単 行化された『花より男子』からの例である。この2 ページは、主人公の少女「つくし」

がいかに正義感にあふれた人間かについて、つくしの友人の「真木子 」が、ふたりが中 学生だった頃のエピソードを回想しながら語っている場面である。2ページにわたって、

〈地〉の部分に桜の花が散りばめられて描かれている。桜の花は、ストーリーの流れ、

前後のコマからの文脈から考えて、そこに桜がある必然性は全くなく、ここに描かれる 経験的、論理的、因果律的な整合性はない。描かれている桜の花の図像は、その形状の 類似性からたぶんソメイヨシノであると考えられる。桜の花のある文化圏の読者であれ

34作品の図像の入手情報は、上記のとおり、参考資料の神尾(2007)を参照。

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ば、それが桜であることが特定可能であろう。しかし、実在物としての桜の花を取り巻 く〈ヴィジュアル・シンタクス〉は、このマンガの舞台である日本の場合「春」「花見」

「入学式」「桜並木」といったものであり、ほとんどの場合、それは屋外で見かける。

しかし、この2ページの場面は和菓子屋の店内で、桜の花が宙を舞う必然性はない。し たがって、この桜は桜のヴィジュアルでありながら、通常、現実世界にある桜が持つシ ニフィエと分離されているといえる。したがって、コード化されていないイコン的メッ セージとして使われていることが分かる。

ディコーディングの際、日本の持つ桜を取り巻く〈ヴィジュアル・シンタクス〉や、

さらにそれを取り巻く社会的、文化的、歴史的なコンテクスト(背景知識)に依拠すれ ば、「2人の中学校時代の回想」と「桜」とは、「学生時代」→「学校」→「入学式」→

「桜」という事象や事物の隣接性や類縁性からの連想によって、かろうじて比喩である 可能性を見出すことができる。または、「桜」は春に開花して通常、平均して約1週間 といった比較的短い期間で散ってしまうことから、仏教の「諸行無常」の概念と結びつ き、第二次大戦中から「同期の桜」など歌にも歌われたこともあって、日本文化的に「潔 さ」「端正な美しさ」といった概念と結びつきやすいと一般的にいわれている。このよ うな桜が示す文化的、社会的、習慣的特徴と、主人公つくしの性格や印象との類似性に 基づく比喩表現の可能性もある。いずれにせよ、この場合も上記の例同様、桜という花 を取り巻く〈ヴィジュアル・シンタクス〉や社会的、文化的、歴史的なコンテクストを 拡大、あるいは精緻化することによって、なんらかの類推が働き、ディコーディングさ れる仕組みがある。これは意識的かどうかは別として、作者の意図的なエンコーディン グ手法である。つまり、「和菓子屋の店内」と「桜の花びらが舞う」ことの 2つの事柄 に関する、生活の中で習慣化している事物や事象の結合である隣接性や類縁性が、「和 菓子屋で働く2人」→「同級生」→「学生時代」→「学校」→「入学式」→「桜」→「潔 さ」・「端正な美しさ」→「つくし」というように、マンガに描かれているシチュエーシ ョンによって拡大され、そこからさらに部分的な省略が施されて、「和菓子屋の店内」

に「桜の花びらが舞う」というひとつの図像の〈積極的消極空間〉となったということ ができる。これは本研究の分類の〈抽象〉にあたる。

以上のことは逆にいうと、作者は、鑑賞者がこうした「桜」にまつわる比喩表現を連 想、類推することによって、作者が施したエンコーディング手法である捨象を思考によ って回復し、それによって何らかのイメージを醸成すること、またそれによってこの2

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人の会話の場面に、何らかのよい印象が付加されるというディコーディングを前提とし ている。つまり、「桜」をあしらったこの図像表現によって、作家のアイデンティティ ー、すなわちその作家は、日本で一般的に認識されている桜を取り巻く〈ヴィジュアル・

シンタクス〉や社会的、文化的、歴史的なコンテクストを理解している人物であること が分かる。そして作者は、自分と読者はそうした日本の持つ桜を取り巻く〈ヴィジュア ル・シンタクス〉を共有していると信じている人物だということ、さらに、その事物や 事象の連なりから何らかの捨象を施しても、思考によってそれが補完され、鑑賞者が意 図したイメージを醸成するディコーディングをすると信じている人物であることが、同 時に指し示されているのである。

しかしこの作品は英語版も出版されている。英語圏市場に向けて出版された英語版は、

日本市場の場合とは異なり、読者が日本市場の大多数の人々が一般的に持っているとさ れる桜を取り巻く〈ヴィジュアル・シンタクス〉を共有しているとは限らない。よって 作者が意図したイメージの醸成というディコーディングは望めないかもしれないにも かかわらず、その英語版の翻訳は、日本語のセリフやト書きの字義的な、明示的メッセ ージを訳したものであり、〈ヴィジュアル・シンタクス〉の違いを想定した補足説明を 施した英語訳にはなっていない。したがって、英語版の場合は、日本市場の読者が持っ ている〈ヴィジュアル・シンタクス〉やコンテクストと異なったものが参照される可能 性があるため、全く違ったイメージの醸成や解釈というディコーディングをされる可能 性があるといえる。だが一方で、想定される常識に何らかの差異がある可能性を持つ異 文化の鑑賞者には、想像や創造という芸術的コミュニケーション体験をより強く促すこ とになることも予想される。

この自然物をあしらう〈積極的消極空間〉の空間処理は、以上で説明したとおり、自 然物に結び付いた様々な習慣的、社会的、文化的意味の連なりと、その連続性、類縁性 に基づく、多義性を読者が理解してディコーディングできることを前提としてエンコー ディングされたものである。自然物に結び付いた様々な習慣的、社会的、文化的意味を 感じ取ることができる読者は、それを媒介として、そうした表象にまつわる様々な連想 という〈コミュニケーション〉をしているといえる。

174 2) 枝葉:新緑の表象

29.〈積極的消極空間〉の若葉:『のだめカンタービレ』バイリンガル版35 二ノ宮(2007, pp. 178-179

図29は講談社発行の女性漫画誌『Kiss』に2001年から連載されたクラッシック音楽 をテーマにした作品で、後にTVドラマ化もされ、2009年に単行化された『のだめカン タービレ』のバイリンガル版という、日本語と英語の両方が表記されたものからの例で ある。右ページの下段のコマには枝葉が描かれているが、この部分はベートーヴェンの ことが語られている。つまり、葉のシニフィアンにベートーヴェンの概念がシニフィエ として結合しているのである。言語的メッセージであるベートーヴェンの話は、葉のヴ ィジュアルの意味を投錨しようとする。たぶん、樹木の枝葉の図像を、外界の枝葉との 形状の類似性によって樹木の枝葉と特定するのは容易い。樹木の枝葉は通常、「公園」

「散策路」、「山林」、「町並木」、「風に揺れている」、「陽光を浴びている」といった戸外 の〈ヴィジュアル・シンタクス〉の中にある。しかし、この例の場合、主人公の野田恵 が樹木のある屋外にいるわけでもなく、ベートーヴェンの曲の内容が樹木にまつわるこ とでもないことから、ここで枝葉の図像が突然描かれるのは、経験的、論理的、因果律 的に整合性がないものであるといえる。したがって、実在物としての樹木の枝葉とベー トーヴェン、あるいはのだめが、直接的に結びついて語られているわけではないことが 了解されるだろう。実在物でなく観念であり、直接的でなく何らかを経由した形で、そ の2者が結びつけられており、ここに〈積極的消極空間〉がみられる。このため、言語 的メッセージが投錨でなく、中継の役割を担う。前後の文脈から推測すると、ベートー

35作品の図像の入手情報は、上記のとおり、参考資料の二ノ宮(2007)を参照。

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