第 4 章 〈積極的消極空間〉の展開
4.1.2. 空(そら)のあるマグリット作品の構造
シュルレアリスムには多くの画家が賛同したが、彼/女らすべてが目指したもの、そ れは〈無意識〉の表出であった。ジャン・アルプ(Jean Arp)が彼の初期の頃の創作を振 り返って、コピーや描写を拒絶し、元素的であることと自発性の反応のままにしたと述 べているように、その表現は外界に広がる事物や事象の模倣や再現を拒否し、人間の内 面にあると考えられる〈無意識〉の発露を絵画の題材としたのであった(岡田, 1970)。 その表現は「きわめて抽象的であるが、同時に有機的」(岡田, 1970, p. 208)なものを描 こうという試みであった。前述のマグリットが頻繁に使ったモティーフである「空そら」は、
抽象的かつ有機的なものの典型といえる。巌谷(2002)はマグリットを、一見写実的に 見える描き方をしながら、事物や事象を日常の中で慣れ親しんできた場所や、サイズ、
材質との関係を断って、思いがけない組み合わせを見せようとしたと評価している(pp.
88-89)。新しい組み合わせとは、複数のイメージが組み合わされる場合もあれば、前述
の例のように、イメージと言語的メッセージの組み合わせの場合もある。マグリットは、
デペイズマンという〈コラージュ〉のひとつの手法を頻繁に使って、無意識の中に隠れ
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ているかもしれないものを表現し、意味の新機軸を観賞者に提示した。池田(1998)は、
マグリットが頻繁に使った空そらのモティーフに魅せられた人物の一人であり、マグリット を剽窃した作品としてリトグラフ集を出し、諧謔的に公言しているほどである。マグリ ットについて池田はあるエッセイの中で以下のように述べている。
たしかに空を描かなかった風景画や宗教画が存在しなかったように、空はあらゆる 絵画のなかで何らかの役割は演じていたが風景や人物に従属していたにすぎない。
それをセザンヌは壁のように扱い物質感を与えた。そしてキュビズム(ママ)が最 初に、事物と空との関係を同一平面上に引きずり出してきた。マグリットはコラー ジュのように空にハサミを入れて、とうとう風景の中から分離させてしまった。
(池田, p. 1998, p. 58)
池田がこう述べるとおり、様々な絵画の中で「空そら」はいろいろな役割を担ってきたが、
マグリットほど空そらを単なる〈消極空間〉としての〈地〉ではなく、明示的に主題となる 要素のひとつとして扱った画家は少ない。マグリットは、空そらそのものに社会が貼り付け たシニフィアンを引きはがし、鑑賞者に異なった意味の想起を促した。この組み合わせ は、線遠近法に則った具象画や日常の風景から考えると、〈異常〉であり、空そらは〈地〉
ではなく〈積極的消極空間〉として機能したのである。空そらと組み合わされた他の事物や 事象との関係性の中で、空そらは新たな側面を引き出されたといえる。そこには池田が「事 物と事物との置きかえだけにあるのではなく、イメージと事物の詩的交換」(池田, 1998,
p. 59)と述べたように、この想像と創造を促す〈空間〉には、詩的特徴3があるといえ
るだろう。
ヨーロッパの風景画のような〈具象〉の絵で通常、主題として前景化されることは稀 なモティーフである空そらは、〈図〉に比べ重要性は低い。しかしながら題材として、存在 そのものが開放感等、数々の効果があると感じられている。岡嶋(2013)は空そらがもたら す感覚、印象について「深呼吸をしたときのような落着きが感じられ」「ゆったりとし た時間の流れが感じられるなど開放的」で、「想像力を掻き立てる」(p. 106)と述べ、
3詩的特徴については3.2.1で詳述。
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その効果について分析している。マグリットの描く空そらはドラマチックな黄昏時の空そらでも、
黒雲に覆われる嵐の前の空そらでもない。ありふれた、晴れた空そらである。ありふれた、あま りにも日常的な空そらだからこそ、そのシニフィエは特定しにくい。したがって組み合わせ るものの違いによって、異なった意味を成す媒体となり得るのである。それは雲をたた えた青い空そらが、まさに空いているところという意味の〈空間〉として捉えられ、可能性 に満ちた動的な構成力を持つ〈空間〉として機能していることを示している。加えて、
意味の生成に適した場という、コード化されたイコン的メッセージになっていることを 示しているのである。
では次に、マグリットが描く空そらが、〈積極的消極空間〉として、どういった〈コミュ ニケーション〉のメディアとなっているのかを、鑑賞者の視点から、解釈までの過程を 追うことで明らかにしてみたい。
©ADAGP,Paris &JASPAR,Tokyo,2014 E1232
図12. La Faux Miroir4
最初に図12に基づいて考察する。なによりもまず、目が描かれていることが確認さ れる。明るい空そらの図像と黒点で示された部位、つまり瞳孔と、それ以外の無彩色に近い 暗さをもった部分が特定される。その全体の形状から、人の目との類似性が認められる と、我々の生活の中でコード化されたイコン的メッセージである目であることが、外示 的メッセージとして示される。だが、瞳の部分が晴れた空そらの絵になっている。空そらの図像
4図像は2014年10月1日WikiArt “The false mirror” ページ
(http://www.wikiart.org/en/rene-magritte/the-false-mirror-1928)より入手。
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は、その色と雲とのコントラストから、上空にあって日常的に我々が見ている空そらと類似 の関係が結ばれ、これも生活の中でコード化されたイコン的メッセージである空そらを表し ていることが分かる。だが、瞳の部分だけに、このあまりにも鮮やかな空そらが映り込むと いう状況は常態とは言い難い。さらにこの絵には“La Faux Miroir”(=“The False Mirror”
『偽りの鏡』)というタイトルが付けられている。このタイトルがヴィジュアルのシニ フィエを投錨しようとする。目に映るものは偽りであり、真実とは目に見えるものでは ないといった暗示的メッセージとしての解釈も可能であろう。すると、この絵の鑑賞者 の目も「偽りの鏡」であるのかという疑問が湧く。そう考えることは、この表象の持つ 多義性と、鑑賞者の想像と創造によって、不確定の連鎖を連れてくる。だが本研究の議 論として大切なことは、こうした「どのような読みができるか」ということではない。
大切な点は、目、空そらの図像、『偽りの鏡』というタイトルとしての言語的メッセージの 3者が、作品として結合させられているという点である。色鮮やかな快晴の空そらの〈ヴィ ジュアル・シンタクス〉といえば通常、「鳥が飛ぶ」、「雲が流れる」、「太陽の光に満ち ている」、あるいは「飛行機が飛んでいる」などといった事物や事象の連なりによって 把握されている。この表象のエンコーディングは、こうした〈ヴィジュアル・シンタク ス〉から空そらを引きはがし、シニフィアンだけにし、目の中に入れ、さらに『偽りの鏡』
という言語的メッセージと結合させた。生活の中でコード化されたイコン的メッセージ を伴った鏡ではなく、この『偽りの鏡』自体、暗示的である。「偽りの」と「鏡」との
〈コラージュ〉の言語的メッセージによって、常識として知っている「洗面台」、「手鏡 を持つ」、「化粧をする」、「髭を剃る」、「歯磨きをする」、「手を洗いながら覗く」といっ た〈ヴィジュアル・シンタクス〉の存在が、周辺情報として機能しなくなる。周辺情報 をなくされた鏡の「みる」「映る」というシニフィエが、空そらで構成された人間の目のオ ブジェクトのシニフィアンと結合させられているのである。この図像とタイトルとの非 結束部分、すなわち〈不在〉の箇所が〈積極的消極空間〉であり、これによって〈異常〉
が顕現する。瞳の空そらが「偽りの鏡」を中継し、意味どうしの関係性を探索する思考の〈空 間〉が広がって、コード化されていないイコン的メッセージの把握へと誘導される。つ まり、空そらという通常〈消極的空間〉、つまり〈地〉として重要ではないと考えられてい る対象箇所が、全体の意味を統合し、論理的整合性をもたらす鍵を握っているのである。
ここには作者の創造と共に、鑑賞者の積極的な解釈への関与を促す仕掛けがあり、結果 的に鑑賞者は想像や創造という芸術的コミュニケーション体験をしている。
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©ADAGP,Paris &JASPAR,Tokyo,2014 E1232
図13. La Magie Noire5
図13では裸婦像が上半身を空そらで描かれ、下半身だけが通常の色彩で描かれている。
タイトルには “La magie noire”(= “Black Magic”『黒魔術』)という言語的メッセージが 使われている。この女性は誰であるかはここでは重要ではない。石材でできた壁やへり の向こうに青い空そらが雲をたたえて広がっている。石の色や質感から、場所はローマの遺 跡といった情景なのかという推察が可能かもしれない。裸体の女性、石材の壁やへり、
青空の組み合わせであれば、世界のどこかの古代遺跡であるとか、幻想的な絵画なのか と考えることもできるため、〈異常〉の感知には至らない。しかし、女性の上半身が背 景である空そらに溶け込んで水色を帯びていることで、女性の裸体のシフィアンに通常つな がっているとされているシニフィエが分離する。つまり〈不在〉があるのである。空そらを 取り巻く〈ヴィジュアル・シンタクス〉に通常ない女性の裸体という事物が結合をさせ られている。加えてこの絵のタイトルは、『黒魔術』である。黒魔術とは一般的に、邪 悪な目的を達成するために使う魔術、妖術をいう。この言語的メッセージが意味を投錨 しようとするが、それは空そら、女性の裸体どちらの通常のシニフィエでもなく、どちらの
5図像は2014年10月1日WikiArt “Black magic” ページ
(http://www.wikiart.org/en/search/black%20magic/1#supersized-search-211319)より入手。