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意味を構成する機能

ドキュメント内 要旨 (ページ 77-80)

第 2 章 〈積極的消極空間〉を問う

2.2. 定義の問題点

2.2.1. 意味を構成する機能

Kern (1983)が示した〈積極的消極空間〉とは、従来〈地〉とみなされる箇所が、〈図〉

と同様の重要性を意味や解釈の創造に対して果たす〈空間〉と定義されていた。いくつ かの例が挙げられていたが、どのような構成の機能があるのかに関して、具体的な説明 はなかった。また、キュビスムやフューチャリスムなどには、特徴的に、地とと図との 境目がはっきりと特定できないものがあり、全体が積極空間化していると考えられる表 現がみられた。加えて、〈積極的消極空間〉がみられる視覚表象は、描かれているヴィ ジュアルと文字情報とのあいだのつながりに、何らかの〈不在〉があるため、整合性が ないという〈異常〉が顕現しているということがある。Kern (1983)には、このような場 合、意味がどのようなメカニズムによってもたらされるかに関しての説明がない。以上 の不透明な点を明らかにしながら、〈積極的消極空間〉の意味を構成する機能がどのよ うなものであるのか、「空間機能論系」の項での議論を交えながら説明する。

ではまず、Kernの挙げた例に沿って、それが具体的にどのようなものか、ひとつひ とつ検討してみたい。

Kernが〈積極的消極空間〉の例として挙げた“physical fields, architectural spaces, and town squares; Archipenko’s voids, Cubist interspaces, and Futurist force-lines; theories about the stage, the frontier, and national parks; Conrad’s darkness, James’s nothing; and

Maeterlinck’s silence; Proust’s lost past, Mallarme’s blanks, and Webern’s pauses”(「物理学の 領域、建築の空間、そして町の広場。アーキペンコの空無、キュビストの間、そしてフ ューチャリストの力線。舞台空間についての理論、フロンティア、国立公園。コンラッ ドの暗闇、ジェームスの無。そしてメーテルリンクの沈黙、プルーストの失われた時、

マラルメの余白、ヴェーベルンの間」)とは、すべて、〈空間〉の意味や価値が、周縁と の関係によって変化し、構成し直される可能性があるという特徴を持つものである。

例えば「フロンティア」(the frontier)とは、それまで人々が持っていた、単なる空いて いる土地、未開拓の地という意味だけを指しているのではない。もしそうであるとすれ

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ば、それは、人が住む居住地を〈図〉とした従来の〈地〉の立場の場所でしかない。フ ロンティアとはイギリスから独立したアメリカの国家としての拡大と躍進の象徴だっ た。1860年あたりに始まり、1893年、フレデリック・ジャクソン・ターナーが「アメ リカ史におけるフロンティアの意義」(The Significance of the Frontier in American History) と題した論文の中で、1890年のいわゆる「フロンティアの消滅」を宣言するまで、フ ロンティアはイギリスにはない“wilderness”(原生自然)という、アメリカの誇りの象 徴であった。フロンティアとは、アメリカならではの大自然を発見することであり、野 性の活力に価値を見出し、それを原動力とした国家建設を意味するものだったのである

(Nash, 2001, pp.149-150)。アメリカン・フロンティアをKernが〈積極的消極空間〉の例

として挙げたのは、単なる残った土地という〈地〉ではなく、その土地の、ひいては国 家の発展の可能性を秘めた場所という意味であろう。また西部開拓者たち、すなわち西 に向かったアメリカ市民に理想的な生活や夢の実現の可能性を示唆する場所という意 味も指したに違いない。したがってそれは、それ以前には広大な原野が開拓されずに残 っていることが分かっていても、それに価値を見出すことなく、人々の認識の中で顕在 化していない、〈不在〉だった場所の意識化だったといえる。その広大な土地が、新し い生活や国家の未来の源泉だとして前景化されたこと、これによって人々が注目し、フ ロンティアはその可能性の場という意味で、すでに居住地となってしまっている土地よ りもむしろ、今後の重要性という面で価値が高くなり、〈図〉の要素が強い部分となっ たと捉えるべきであろう。

「国立公園」も同様である。自然保護運動は19世紀にはじまり、後半に勃興して、

20世紀初頭にはNational Park Service(アメリカ合衆国内務省管轄の一局である国立公 園局)がついに設立されるに至る(岡島, 1990, pp. 69-76)。人間によって手が加えられ、

文化の蓄積がなされていない自然は、国立公園と指定される以前は、「未開拓」な、価 値のない単なる空間(space)に過ぎなかった。しかし、国立公園とされることによっ て、それは国家にとって貴重な場所(place)へと変化し、人々が自然との触れ合いによ って、生気を取り戻すことのできる大切な領域という意味を持って、彼らの生活の中で 前景化していったのであった。

「マラルメの余白」(Mallarme’s blank) にしても、それはその詩を構成する、文字以 外のスペースだけを示しているのではない。それは詩の文字と、それ以外の余白とが周 到に配置され、構成され、そのバランスが織りなす芸術的空間である。代表作「骰子一

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擲」(Un Coup de des Jamais N'abolira le Hasard) など、マラルメの詩の中の可視的に空い ている〈空間〉は、観念の中で、〈図〉である文字情報と絡み合うことでイメージとし て結実する。文字情報を使って描画として詩を表現するマラルメの詩は、詩とヴィジュ アルの融解点という、それまで〈不在〉であった表現の創造であった。こうした意味で Kernは〈積極的消極空間〉の例として挙げているのであり、その「余白」、すなわち“blank”

によってこそ、鑑賞者に想像の解放と解釈可能性の自由、ないしはある種の解釈への強 制がもたらされる。そうした点で、マラルメの詩における〈空間〉は、やはり〈図〉と 同等に意味を構成する役割を果たしている。

以上の例の具体的な説明が示す通り、〈積極的消極空間〉が果たす「多くの発見と発 明、建物や都市計画、絵画や彫刻、小説やドラマ、哲学や心理学の理論」(p. 152-153) によって証明された「空間の構成する機能」(p. 153)とは、〈積極的消極空間〉を取り 巻く事物や事象との相対的な関係から、新たな意味や解釈が生まれる可能性が起動する 機能と考えてよいだろう。空いていると認識される箇所である〈空間〉には、一般的な 性質として、可能性が充満していることは、第1章「空間機能論系」で示したとおりで ある。では〈積極的消極空間〉に充満している可能性の源とはなにか。それは、〈空間〉

を形成する周囲の要素に貼り付いている意味から生まれてくる、多義性やそれに伴う曖 昧さである。我々が通常、見えるものと認識している部分は、見えないと認識されてい る部分に充満している可能性によって支えられている。何も存在しない〈空間〉はなく、

何も存在しない時間もない。〈空間〉や時間は受動的で、空間や時間自体が因果的に働 くわけではない(ヒンクフス, 1979, pp. 253-254)。つまり、〈積極的消極空間〉の周囲か ら来る意味によって、〈空間〉の可能性を起動させ、それが意味へと構成されて行くと 考えられる。

このような多義性や曖昧さは、しかし、可視的な〈空間〉のみに起こることであろう か。上で説明した例にあったものにはすべて可視的に空いていると認識できる箇所があ った。しかし、Kernの定義の中で〈積極的消極空間〉がみられるとして挙げられたもの には、Kernのいう「おざなりにされてきた『空虚な』空間」と〈図〉との違いが識別で きない構成を持つものも含まれている。Kernの定義では“Cubist interspaces”(「キュビス トの間」)とフューチャリストの力線、前衛音楽がその例である。例えば“Cubist

interspaces”(「キュビストの間」)は、立体で構成されているオブジェクトの360°を分割

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して、平面に集約するという、人間の視覚としてはあり得ないが、観念の中では実現可 能なことの発見が生んだ新しい空間構成の方法であった。すなわちこの理論の実践にお

いて、「間」である“interspaces”とは、「視覚的イメージの再現としてのリアリズム」(乾,

1996, p. 14-15)、いわゆる〈再現(模倣)芸術〉の〈地〉ではなく、人間の内面に存在する

「観念的な認識のリアリズム」(乾, 1996, pp. 14-15)の断片と断片とのあいだと考える べきであろう。その間は、〈図〉からの重要な情報を補完したり、増幅させたりする役 割を担って、イマジネーションを拡大させ、その表象の意味解釈の可能性のカギを握る。

さらにいえば、その対象となる〈非具象〉の絵画のコンセプトも、それまで〈不在〉だ った、全く新しい分離箇所、つまり〈積極的消極空間〉からもたらされるものである。

社会で共有されているシニフィアンとシニフィエとのつながりや〈ヴィジュアル・シン タクス〉の秩序を否定し、新しい接続によって意味を生み出すというこうした表象は、

それ以前にあった知の秩序の破壊であり、パラダイム・シフトだというべきである。

以上で述べたように、Kernは〈積極的消極空間〉を、その意味を構成する機能が具 体的にどう働くかについて述べておらず、観念的、形而上的な全く新しい知の枠組みと して明示的に主張していない。この点を検討し直すことで、〈積極的消極空間〉という 概念の応用範囲に大きな拡大がみられ、事物や事象の新たな捉え方につながるものと考 える。

ドキュメント内 要旨 (ページ 77-80)