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誕生の契機

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第 2 章 〈積極的消極空間〉を問う

2.2. 定義の問題点

2.2.2. 誕生の契機

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して、平面に集約するという、人間の視覚としてはあり得ないが、観念の中では実現可 能なことの発見が生んだ新しい空間構成の方法であった。すなわちこの理論の実践にお

いて、「間」である“interspaces”とは、「視覚的イメージの再現としてのリアリズム」(乾,

1996, p. 14-15)、いわゆる〈再現(模倣)芸術〉の〈地〉ではなく、人間の内面に存在する

「観念的な認識のリアリズム」(乾, 1996, pp. 14-15)の断片と断片とのあいだと考える べきであろう。その間は、〈図〉からの重要な情報を補完したり、増幅させたりする役 割を担って、イマジネーションを拡大させ、その表象の意味解釈の可能性のカギを握る。

さらにいえば、その対象となる〈非具象〉の絵画のコンセプトも、それまで〈不在〉だ った、全く新しい分離箇所、つまり〈積極的消極空間〉からもたらされるものである。

社会で共有されているシニフィアンとシニフィエとのつながりや〈ヴィジュアル・シン タクス〉の秩序を否定し、新しい接続によって意味を生み出すというこうした表象は、

それ以前にあった知の秩序の破壊であり、パラダイム・シフトだというべきである。

以上で述べたように、Kernは〈積極的消極空間〉を、その意味を構成する機能が具 体的にどう働くかについて述べておらず、観念的、形而上的な全く新しい知の枠組みと して明示的に主張していない。この点を検討し直すことで、〈積極的消極空間〉という 概念の応用範囲に大きな拡大がみられ、事物や事象の新たな捉え方につながるものと考 える。

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極空間〉の本格的な登場はキュビスムとしながらも、印象派のポール・セザンヌ(Paul Cézanne)、ポスト印象派とされるヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)、またエドヴ ァルト・ムンク(Edvard Munch)を、空間に活力のある作品と述べ、先駆的表現と位置づけ ている。特にセザンヌについては、新たな造形空間の誕生の源泉として捉えており、遠 近法の世界の崩壊への影響を「印象派、セザンヌ、キュビスム」(p. 15)の3つに区分 しているほどである。パリで開催された第一回印象派展は1874年のことであり、セザ ンヌの空間構成への取り組みに関する説明は、厳密にいえばKernが対象とする時代の区 切りを超えており、したがって、議論に盛り込むべきではない。1880年から1918年の あいだに絞らないのであれば、他の領域にも同様の条件を適用すべきであろうし、前後 の関係から、〈積極的消極空間〉が生まれてきたことに大きな影響を及ぼした、あるい は及ぼされた事象については、敢えて避けず、説明をすべきだと考える。

〈積極的消極空間〉のある表象の誕生の契機についても、Kern(1983)の主張にはやや 疑問な点がある。そのひとつが、線遠近法を踏襲した再現(模倣)芸術の衰退、〈非具象〉

の誕生を考える時に欠かせない発明に、写真術を入れていない点である。Kernは〈積極 的消極空間〉の誕生へと社会の流れが向いた出発点を、アインシュタインの2つの相対

っていった。パノフスキー(2003)は、遠近法は「視覚のピラミッド」(p. 9)を構成する「主観 的なものの客観化」(p. 66)であると述べた。視覚のヒエラルキーの存在と、「われわれの視像の 適切な再現とみなされている」(p. 11)ことが、現実として前提とされていると述べているので ある。ヨーロッパの構図の秘法の変遷を明らかにしたブーロー(2000)も「論理的で合理的な遠 近法の数学者たちは、鑑賞者をいかさまに近い真実味のある幻覚の世界に誘導する」(pp. 25-26)

ことを指摘している。Kern(1983)も、上記の2人と同様に、近代以前、宗教画等、西洋絵画にお いて遠近法による表象空間は、絶対空間の存在を意味し、単一視点の見方、考え方へと鑑賞者を 誘うものであったと主張している。こうした視覚上のヒエラルキーとして遠近法を捉える見方に 対して、若桑(1992)は、完全な中世でもなく、完全な近代でもない時代である15世紀に誕生 した線遠近法とは、誕生の地であったイタリアの都市国家のその頃の世界観を反映していると述 べ、細かな社会学的、都市空間論的考察を加えている。遠近法とは、誰もが富を得られるチャン スを持てた、当時のイタリア都市国家の世界観を反映し、絶対君主や王政、宗教的支配といった 絶対権力の存在ではなく、「個同士の調和、ハーモニーをなによりも重視」(若桑, 1992, pp. 154-155)

する傾向がみられるとしている。高階(1997)も、遠近法が生まれたフィレンツェは、もともと 君主制を嫌い、共和制を伝統としてきたとし、市民全員が政治に参加していた都市で、芸術のパ トロンも富裕層のみならず、同業者組合も非常に重要な役割を果たしていたと述べている(p. 18)。

このような観点からも、遠近法そのものが、階層的秩序のイデオロギー形成の手段としてどれほ ど重要があったかについては議論の余地がある。この見解は、遠近法にヒエラルキー的な要素を 認めるパノフスキーと、視点を異にしているようにみえる。しかし、ヒエラルキー的な構成とみ るにしろ、若桑がいうように調和を尊重して考えて描いたとみるにしろ、線遠近法が、造形に序 列を持ち込み、秩序によって〈空間〉を分けるという操作を導入したことに変わりないといえる だろう。

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性理論の発見としていた。そしてその他の科学の分野では、1895年のレントゲンによ るX線の発見という、解剖でしか見えるはずがなかった体内という〈空間〉の可視化、

1900年のフロイトによる『夢判断』の発表による人間の無意識という〈空間〉につい ては言及していた。無論この2つは、Kern(1983)の時代区分内に起こったことであり、

写真の誕生はそれ以前である。だが、写真に関して、プライバシーの侵害を写真術が可 能にしたという記述はある。個人的な〈空間〉の問題として取り上げるに留まり、社会 的な問題として写真について議論してはいないのである。外界の模倣から〈非具象〉へ と絵画の表現形態が変化していったひとつのきっかけとして、写真の誕生6は重要な出 来事として捉えるべきである(前田, 2004, p. 29; ローゼンブラム, 1998, p. 209; ソンタグ,

1979, p. 99)。1839年、フランス科学アカデミーでの講演によって、写真発明はニュー

スとなり、世界に広まった(飯沢, 2004, p. 15; 三井・東京都写真美術館, 2005, p. 13)。 それまで不可能であった過去が再現可能になり、経験した〈空間〉を二次元の世界に留 めることができるようになったのである。だがそれによって、「写真は現実を正確に複 写した像を提供する仕事を画家から奪った」(ソンタグ, 1979, p. 99)のであり、肖像画 など絵画による模倣が、社会において有用性を失うと考えられたことも事実であった。

写真術の誕生は、絵画を〈非具象〉という新たな表現形態への「解放」(ソンタグ, 1979, p. 100)を促したという点で、表象の歴史にとって重要な出来事である。

更に、Kern(1983)は様々な事例とともに19世紀末から20世紀初頭にかけての自然科

学における発見や技術の発達について述べているにもかかわらず、西洋社会が経験して いた経済活動の変化とそれに伴う新たな社会現象と、〈積極的消極空間〉がみられる表 象の登場の結びつきについては、目立った発言がないことも考慮すべき点である。「芸 術は社会的産物」(ウルフ, 2003, p. 8)である。旧石器時代の洞窟美術に描かれる野獣 7た ち、古代エジプト美術にみられる魚捕りや葡萄酒づくりなど、太古の表象にも狩猟や収 穫の様子が描かれている8ように、人間の生産活動と人間の表象は切り離せない。社会

6カメラ・オブスクラの映像を定着するという、初期の写真技術の誕生は、ジョセフ・ニセフォ ール・ニエプスとルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのふたりのフランス人の研究の成果であっ たが(ベンヤミン, 1970, p. 70)、ニエプスの他界によって、ダゲールの名にちなんだダゲレオタ イプのという名がついた(三井・東京都写真美術館, 2005, p. 12)

7具体的な作品に関する詳細な解説は青柳・大貫(1995)の「作品紹介」、木村・谷・鈴木・勝又・

水田(1994)を参照。

8具体的な作品の詳細は友部(1994)の「作品解説」参照。

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的空間に対する考え方や実践的なそのあり方、また、それを反映した表象上の空間構成 は、当然、社会階層のみならず、人間の生産や生産様式や経済活動のあり方と深く結び つくものといえる。

18世紀終盤にはじまった産業革命は、市民革命と相まって西洋社会に近代化をもた らした。封建社会が消え、代わって民主主義が誕生し、個人という概念が生まれ、経済 面では資本主義社会が登場し、新たな生産様式である工場制の導入による工業化が発達 した9。これによって労働者階級、中産階級が生まれ、人口が都市に集中した。この工 業化と都市化によって、百貨店やチェーンストアが登場するなど流通システムが大きく 変わった(田島, 2004, p. 121)。労働人口の増加に伴い、幅広い消費者から成る大衆が経 済を左右する可能性を秘めた市場という〈空間〉として注目され始めたのである(田島,

2004, p. 128)。「産業革命、資本主義経済体制の発展、および都市型消費社会の出現によ

ってもたらされた変化は、純粋芸術が効力を発揮してきた社会的文脈を決定的に変えて しまった」(ウォーカー, 1987, p. 9)といわれるとおり、このような社会の諸システムの 変化は、視覚表象の世界にも大きな影響を与えた。芸術の世界と産業界や商業界とのあ いだの〈不在〉であった部分が逆に前景化したといえるだろう。前景化した新たな〈空 間〉に出現したのは、広告メディア、具体的にはアール・ヌーヴォーの街頭ポスターで ある。19世紀後半、すでに現在のような近代都市となっていたパリ10に登場したアー ル・ヌーヴォーの街頭ポスターにみられる表象形態は、〈積極的消極空間〉の源泉であ り、〈非具象〉の先駆的存在で、ハイ・アートと大衆文化の境界の融合を招いたと考え られる最も有力なものである。資本家が資本を投入して生産体制を整え、物づくりを手 仕事から工場生産に変えた。これによって産業界や商業界はより多くの人々を購買行動 に掻き立てるため、新聞や街頭ポスターといったマス・メディアによる、商品やサービ スに対するイメージ、すなわち消費価値の醸成をするようになった(海野, 2003, pp.

33-34; 三井, 2002, pp. 25-26)。近代ポスター11は1860年代後半のパリで生まれたが、厳

9ここで述べた産業革命に始まるヨーロッパの近代化の諸特徴はMacionis (2010)をベースにし、

中山(2012)、宮島(2003)も参考にした。

1019世紀後半に入ると、パリのみならず、ロンドンでもすでに現在みられるような大都市の様相 を呈するようになっていた(高階, 1996c, pp. 112-113)。宮後(2007)によると、1850年代から始 まった大改造計画によって、パリは19世紀後半にはすでに現在のような近代都市に変貌してい た。そこには観光、娯楽、ショッピングなどが楽しめる様々な施設がいくつも建設されおり、そ の街には一般大衆向けの広告が溢れた(pp. 2-6)

11現在のポスターの形が現れたのは、特に石版術の発明によって18世紀の終わりから19世紀に かけてである(ヴェーユほか, 1978)。高階(1996b)も参照願いたい。

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