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第 3 章 の引用・参考文献

3.3 IDC モデル

本章は,第1節で述べたように,仮説的学習軌道の表現形式を提案することが目的とし ているのであった.ここでは,前小節にて考察した具体モデルの生成と記述モデルの生成 という2つの数学的思考のパターンに基づいて,仮説的学習軌道の表現形式を提案するこ

ととしよう.ここでは,次の2点を仮定することとする.

1. 現在,その人が心に浮かべている,ある名辞 N の「意味」に対応する心的モデル は,Nが満たすべき条件の列挙によって記述できる.

2. N に関する推論は,現在の心的モデルに対する具体モデルを生成するか,現在の心 的モデルに対する記述モデルを生成するか,の2種類である.

上記の仮定を単純化して述べるならば,ある数学的対象に対する数学的推論の最小単位 は,具体化するか記述するかのどちらかである,ということを意味する.そして,以下で は,上記の仮定1に示されている,「ある主体S にとっての,ある名辞Nの『意味』に対 応する心的モデル」を記述するための,N が満たすべき条件群を,便宜上,「S にとって の『N』の条件群」と呼ぶことにしよう.この「S にとっての『N』の条件群」を用いて,

ある瞬間に学習者の抱いていると予測される心的モデルを表現し,各瞬間において刻々と 変化する心的モデルの様相を具体化(Instantiation)と記述(Description)の連鎖(Chain)に よって捉えようとする,この表現形式を,本研究では,IDCモデルと名付けることにしよ う.一口に「数学的思考」と言っても,いろんな思考があるけれど,少なくとも,何らか の問題を解決する際に,ある数学的対象に関連して学習者がどんなことを思惟し得るかを 表現するという観点から見れば,このIDCモデルは,仮説的学習軌道を表現するための1 つの形式を提供する.

IDCモデルに沿って数学的思考を捉えるとき,具体化(instantiation),記述(description),

抽象化(abstraction)の3つは,それぞれ密接に関連した心的過程である.いずれの過程

も,ある主体S にとっての,ある名辞N の「意味」に関わる過程である.これらの用語 を,本稿では以下の意味で用いる.

まず,具体化(=具体モデルの生成)とは,S にとっての「N」の条件群に,S が新しい 条件を増やす思考である.例えば,ある学習者が「自然数nは奇数かつ素数である」とい う文を読む過程を,次のように3つに分けて考えよう.

1. 「自然数nは」という部分を読むことで,その学習者は,その学習者にとっての

n」の条件群として,「nは自然数である」という条件を認識する.

2. 次に,「奇数かつ」という部分を読むことで,その学習者は,その学習者にとって

の「n」の条件群に,「nは奇数である」という条件を追加する.

3. 最後に,「素数である」という部分を読むことで,その学習者は,その学習者にとっ ての「n」の条件群に,「nは奇数である」という条件を追加する.

この1→2,および,2→3の過程は,どちらも具体化である.文を読み進めるに連れ て名辞「n」についての条件が心的に増えていき,まさに「n」の具体像が徐々に明確化さ れていく過程として捉えることができよう.

記述(=記述モデルの生成)とは,具体化の逆の過程であり,S にとっての「N」の条件 群から,S が条件を減らす思考である.例えば,ある学習者が25×7×4を計算しようと しているとしよう.このとき,その学習者にとって名辞「7」の条件群には,例えば,「7 は6の次の数である」,「7は自然数である」,「7は奇数である」等,様々な条件が含まれ ている可能性がある.しかしながら,前後の25と4から100をつくることできると想起 した瞬間,その学習者にとっての「7」の条件群からは,「7は自然数である」以外のすべ ての条件が一時的に捨象されなければならない.「7」について,それが6の次の数であっ たり奇数であったりといった情報は不要である.自然数の乗法が可換であることを活かす ためには,紙の上では「7」という記号を使いながらも,心的モデルとしては,7そのもの を表象するのではなくて,「7」が自然数を意味しているということさえ表象すればよい.

このことは,換言すれば,7の一部の属性のみを記述している,ということが言えよう.

この例が示すように,記述モデルの生成は,Mason (1989)の抽象化論の言葉を用いれ ば,「注意の移行」であり,抽象化でもある.時間にすれば一瞬ではあるかもしれないが,

自然数の乗法の交換則を適用する一瞬は,「7」という記号を,自然数という抽象的構成物 として扱わなければならず,記述と抽象化は,過程としては同一の過程であると言える.

したがって,IDCモデルとは,仮説的学習軌道を表現するための理論的枠組の1つであ り,ある名辞に関する推論が,実質的に具体化と抽象化(=記述)の2種類で説明すること を試みる枠組である.IDCモデルを活用することで,仮説的学習軌道を統一した形式で表 現することができると期待される.