第 3 章 の引用・参考文献
2.3 記述性の起源
数学においては,考察中の公理系にいくつかの記述的言明が「仮定」として含まれてお り,状況の記述の妥当性は,妥当な状況の記述を仮定として与える,という形で保証され る.しかしながら,学問としての数学に取り組むときでさえ,我々は常に完全に形式化さ れた公理系に基づいて思考するわけではない.心に抱くイメージに基づいて数学的思考を 展開しているという方が,どちらかと言えば,我々自身の経験的感覚に合致していると言 えるであろう.
そこで,本研究では,ある瞬間に我々が心に抱くイメージを「心的モデル」と呼ぶこと とし,この心的モデルの変化によって数学的思考を捉えることとしよう.そうすること で,数学的思考の記述的側面は,我々の心的モデルに由来するものとして説明することが できるようになるであろう.ただし,漠然と「心的モデル」という表現を用いるだけでは,
我々は心的モデルについての共通の心的モデルを明確に抱くことができないであろう.以 下では,節を改めて,「心的モデル」を中心に据えた数学的思考のモデルを提起すること としよう.
3 心的モデルに対する注意の移行としての数学的 思考のモデル化: IDC モデルの提案
本節では,その理論的作業として,数学的思考を具体的に特徴付けしていく.ここで
は,特にMason (1989)の「注意の移行」論を土台とした数学的思考の特徴付けを行うこ
ととしよう.
3.1 「モデル」という語の意味の二重性
数学的思考を心的モデルという観点から議論するにあたって,まずもって,「モデル」と いう語の意味を明確にしておかなければならない.特に,「モデル」という語は辞書的に は多義的であり,十分な定式化が必要である.本研究では,この「モデル」という語につ いて,2通りの意味に注目する.
「モデル」という語の第一の意味は,「具体」としての意味である.辞書的には,「それ が極めて良い例であるがゆえに,それに基づいてコピーが作られ得る何か」(Cambridge
Dictionaries Online, n.d.-d)という意味の「モデル」である.この意味の「モデル」は,日
本語では,例えば,「ロールモデル」,「モデルルーム」,「モデル校」といった形で用いら れる.数学的には,第3章でも取り上げたように,主として数学基礎論において,ある条 件を満たす数学的対象という意味で「モデル」という語が用いられる(日本数学会, 2007,
p. 376).例えば,整数の加法は,結合則を満たすため,「整数は結合則のモデルである」
と言える.数理論理学の教科書においても,「モデルという言葉を強いて日本語に直せば
『具体例』という語感かもしれない」(坪井, 2012, p. 61)と述べられており,「モデル」と いう語には,日常的にも数学的にも「具体」としての意味があると言える.そこで,学習 者が心に抱く何かが,何らかの数学的な条件や性質に対する具体例としての機能を果たす とき,その具体的側面を強調して,その心に抱く何かを特に「具体モデル」と呼ぶことに しよう.
「モデル」という語の第二の意味は,「記述」としての意味である.辞書的には,「通常 は実物よりも小さい物理的なオブジェクトとして,あるいは,計算に使用され得る単純な 記述としての,他のモノを表している何か」(Cambridge Dictionaries Online, n.d.-e)とい う意味の「モデル」である.この意味の「モデル」は,日本語では,例えば,「水素原子 のモデル」,「自然現象の数理モデル」といった形で用いられる.三輪(1983)に代表され るように,数学教育のいわゆるモデル化研究において「モデル」と言えば,普通,この意 味である.この意味での「モデル」は,考察対象である何らかの具体物をより単純に理解 するための,その具体物が満たす条件を表現したり記述したりした模型であると考えられ る.そこで,学習者が心に抱く何かが,何らかの考察対象から抽出された数学的な条件や 性質を表現する抽象的構成物として機能するとき,その記述的側面を強調して,その心に 抱く何かを特に「記述モデル」と呼ぶことにしよう.
数学において,具体モデルと記述モデルは,対をなす概念であると同時に,相対的な概 念であるとして捉えることができる.このことは,例えば,三輪(1983)の議論からも示 唆される.三輪 (1983)は,モデルには,理論から得られるモデルと事象から得られるモ デルの2通りがあることを指摘する.本稿の用語を用いるならば,前者は具体モデルで あり,後者は記述モデルに相当する.三輪(1983)は,この2つの区別を設けた上で,専 ら記述モデルについて考察を進めていくのだが,本稿の関心の下で注目すべき点は,三輪
(1983)が,モデルが「理論と事象のジョイントともいうべき地位にある」(p. 118)と述べ
ている点にある.具体モデルから何らかの条件を抽象して,その抽象した条件を記述すれ ば,その具体モデルに対する記述モデルを得ることができるし,逆に,記述モデルが表現 している条件を具体化して,何らかの具体例を作るならば,その記述モデルに対する具体 モデルを得ることができる.例えば,整数の体系から,加法に関する閉性や結合性,単位 元の存在性,逆元の存在性を抽象すれば,「群の体系」という記述モデルを得ることがで きるし,逆に,群の条件を充足する具体例を作るならば,その具体例の1つとして,「整 数の体系」という具体モデルを得ることができる.
また,数学において,ある対象は,何かの具体モデルであると同時に,何かの記述モデ ルであり,その意味で,「モデル」という語は,単に2種類あるというよりは,二重性を 帯びている.例えば,整数の体系は,先に示したように群の体系の具体モデルであるけれ ど,それと同時に,自然数の順序対にある種の同値関係を導入することによって構成する
ことができる体系の記述モデルでもある*1.つまり,群は整数の記述モデルであり,整数 は群の具体モデルである.また,整数は自然数の順序対の記述モデルであり,自然数の順 序対は整数の具体モデルである.したがって,整数は,群の具体モデルであると同時に,
自然数の順序対の記述モデルでもある.ある対象が具体モデルであるか記述モデルである かは,絶対的には決定し得ず,抽象度が異なる何か別の対象との関係性においてのみ決定 することができる.
一般的に述べるため,具体モデルと記述モデルを総称して「心的モデル」と呼ぶことに しよう.このとき,ある心的モデルは,それよりも相対的に記述的な心的モデルにとって の具体モデルであると同時に,それよりも相対的に具体的な心的モデルにとっての記述モ デルでもある.したがって,以後は,心的モデルを,文脈上,具体としての側面を強調す る場合は「具体モデル」,記述としての側面を強調する場合は「記述モデル」と呼ぶこと とする.
この具体性と記述性の相対性は,「対象」(object),「モデル」(model),「表現」(representation) の3用語の区別が不要であることを示唆する.例えば,数学における「直線」という「対 象」は,物理的に鉛筆で引かれた「直線」という「対象」にとって,相対的に記述的な モデルである.それは,物理的な直線の,数学的に興味深い特徴(例えば,直線は2点を 結んで描くことができるという特徴)のみを記述し,数学的に興味深いとは言えない特徴 (例えば,物理的な直線は幅を持つ)を無視することによって心的に形成される記述モデル である.そして,この記述モデルは,モデルであると同時に,数学的な「対象」なのであ る.*2元々「記述モデル」の「モデル」が,「模型」という意味であったことを踏まえると,
*1整数の体系は,自然数の体系から数学的に構成することができる(例えば,足立, 2011).具体的には,次 の通りである.まず,2つの自然数a,bを順序対にした(a,b)を1つの数と見なす.そして,2つの順序 対(a,b),(c,d)に対して,同値関係∼および二項演算⊕を次のように定める.
(a,b)∼(c,d)⇐⇒a+d=b+c (a,b)⊕(c,d)=(a+c,b+d)
このように定めれば,こうした順序対全体の集合は,整数の加法の体系と同型の体系となる.実際,同値 関係∼が整数の相等関係と,二項演算⊕が整数の加法+と対応する.したがって,同値関係∼および二 項演算⊕を考える限り,この順序対が持つ詳細な特徴は考慮する必要がなく,実質的に,この順序対全体 の主要な特徴を的確に表現した抽象的構成物として整数全体を用いることができる.この順序対が,整数 によって表現されるという意味で,整数は順序対の記述モデルになっている(逆に,順序対は整数の具体 モデルになっている).
*2もっと言えば,ラディカル構成主義の観点から言えば,物理的な直線という存在について,我々は正確な ことを何も言うことができない.我々が心的に抱く「物理的な直線」というものも,あくまでも我々が物
直線という数学的対象は,物理的な直線が有する特徴のうち,数学的に興味深い特徴を
「表現」した模型でもある.したがって,心的モデルを考察するにあたっては,モデル,対 象,表現の3用語を区別せずに用いることができる.
3.2 「注意の移行」論から見た具体モデルの生成と記述モデ ルの生成
数学的に興味深い特徴に焦点化することによって心的モデルが形成されるという上記の
説明は,Mason (1989)の「注意の移行」論と関連が深い.Mason (1989)は,自身の数学
的抽象論において,数学的な抽象とは,「ある表現を一般性の表現 として見ることから,
その表現を1つの対象や性質 として見ることへの,注意の繊細な移行」(p.2,強調原文)で あると述べた.例えば,「自然数n」という表現を考えよう.これは,任意の自然数のうち のいずれか1つを表現する変数であろうか,あるいは,自然数という抽象的な数学的対象 を表現したものであろうか.Mason (1989)は,この同一の表現を,前者の見方から後者 の見方へと注意を移行させることが抽象化であると指摘したのである.1,2,3,· · · という 個々別々の自然数は,例えば,「1は最小の自然数である」,「2は偶数である」,「3は奇素 数である」など,それぞれ特殊な性質を有している.こうした特殊な性質を直接考察の対 象とはしていなくとも,「自然数n」という表現を見た際に,nに当てはまる数が具体的に 何であるかわからないがゆえに,こうした特殊な性質が存在するかもしれないという可能 性に注意が向いている間は,「自然数n」という表現は,「一般性の表現」としか見えない.
しかしながら,そうした特殊な性質の存在可能性から注意をそらし,nに何が当てはまる かではなく,nを1つの数学的対象であると見なし始めたとき,抽象化が発生する.つま り,nが,すべての自然数に共通の性質のみを有する対象であると見なされるようになっ たならば,自然数nという1つの数学的対象が認識されることとなる.
抽象化が起こるかどうかは別にして,この「注意の移行」という観点は,本研究の議論 において極めて示唆的である.「直線」の例に戻ると,数学における「直線」という「対 象」は,物理的な直線の,数学的に興味深い特徴(例えば,直線は2点を結んで描くことが できるという特徴)のみに・
注・
意・
を・
移・
行させ,それ以外の特徴から注意をそらすことによっ
理的な直線を目の当たりにした時に拾い上げることができた特徴のみを記述し,そうできなかった特徴を 無視することによって心的に形成された記述モデルにすぎないのである.