第 1 章 の引用・参考文献
3.1 知識観の定式化
ラディカル構成主義の知識観は,ライル(1987)の哲学に基づいて定式化することが有 用であろう.ライル(1987)は,「機械の中の幽霊のドグマ」(p. 11)というフレーズで,デ カルト的心身二元論を批判した論者の一人である.曰く,心 (幽霊や魂)が,身体(機械) を動かしているという考え方は,違う次元の物事を同一の言明の中に組み込んでしまう論 理的錯誤(いわゆる,カテゴリー・ミステイク)である.彼の議論は,心に関する言明でさ え,身体に関する言明に還元できるという主張を含むことから,しばしば哲学的行動主義 (あるいは,論理的行動主義)と評される.しかしながら,ライルの直弟子Dennett (2002) が指摘するように,ライルを単なる行動主義者として捉えてしまうことは,よくある誤解 である.以下では,ライルの主張を2点引用する.1つは,方法知と内容知の区別であり,
もう 1つは意志作用という構成概念の問題である.ライル(1987)の主張の1つは,方法 を知ること(knowing how)と内容を知ること(knowing that)の区別を導入するとともに,
前者の重要性を指摘することである.ライルは,この両者の混同を次のように表現した.
ある行為が理知的行為であるための必要十分条件は,その行為者がその行為を遂行 しているときに自分が何を行っているのかということについて十分考えており,し かも,もし自分が何を行なっているかということについて考えていなかったならば その行為をそれほど巧みに行なうことはできなかったであろうと思われるような仕 方で自分は何を行なっているかということについて考えているということである.
(pp. 28-29) 例えば,自転車に乗るということは,バランスの取り方を頭で考えながら制御している からできることではないし,論理的に話すということも,論理学の法則を自分の話し方に 意識的に適用しているからできることではない.要するに,「・
方・
法を学ぶことや能力を高 めることは・
内・
容を学ぶことや情報を得ることと同種の事柄ではない」(p. 74,強調原文)の である.
ライル(1987)のもう1つの主張は,「意志作用」(volition) という構成概念の問題であ
る.すなわち,「ある主体の行為が,その主体の意志に基づいてなされている」という仮 定の問題である.ライルは,次の4点を指摘することで,意志作用なるものの存在の承認 が,デカルト的心身二元論の無批判な受容であると論じる(pp. 84-87).
1. 我々は,意志作用の頻度・持続時間・強さなどに関してどのように答えるべきかを 知らないので,意思作用なるものの存在は経験的根拠を持たない.
2. ある行為が意志作用によって引き起こされた行為なのか,反射的行為や習慣的行為 などの外部要因によって引き起こされた行為なのか,観察によって弁別することが できない.
3. 仮にある主体が,内観を通じて自らが意志を働かせていることを知り得たとして も,その知識それ自体は,その主体の意志作用がその主体の行為と結びついている ことの証明にならない.
4. 意志作用の存在を認めると,意志作用を発揮するために別の意志作用が必要とな り,無限後退に陥る.
まとめると,「意志作用に関する教説は,『ある身体的運動を意志による運動たらしめて いるものは何か』という問をその運動の原因を尋ねる問であると誤解したために採用され た因果仮説である」(p. 87).
ライル(1987)の思想は,真理を分かち与えることができるものとみなしている(p. 74)
という点で,古典的真理観に根ざした思想であり,ラディカル構成主義とその立場を異に するものと思われる.しかし,それは,ライルの言葉をパラフレーズするならば,ライル 自身が,「知識の中の真理のドグマ」に駆られていたと言えよう.つまり,この思想は,真
理を反映した内容知なるものの存在を無批判に受容してしまっている.それは,心身二元 論者が身体的運動の原因を魂に求めたように,ある知識が妥当であることの原因を真理に 求めることに等しい.
ラディカル構成主義は,真理の存在を否定しない.ただ,到達不可能性を主張するのみ である.例えば,ある人が安定して長時間,自転車に乗っているという現象の背後には,
この世界には,真理に支えられた,安定した物理法則が存在するということを示唆してい るといっても差し支えないであろう.しかし,自転車に乗る人々は,自転車に乗る人々を 支配する物理法則を言語化できるとは限らないし,仮にその法則を特定し,言語化できた としても,その言語的表現が自転車に乗る人々を支配する真理のすべてを言い尽くしてい るとは限らない.
こうした方法知は,日本語で言えば,「技」や「コツ」といった類のものである.もち ろん,方法に関する知識の中には,アルゴリズムのように,完全に,かつ,明確に言語的 に表現可能な知識も存在するし,技やコツも,断片的には言語的に表現することが可能で ある.しかしながら,それでも,方法に関する知識の中に,言語的に表現不可能な領域が 存在することもまた事実である.
以下では,便宜上,この言語的に表現不可能な知識を暗黙知(tacit knowledge),これと 対をなす言語的に表現可能な知識を形式知(formal knowledge)と呼ぶことにしよう.ま た,命題や定理といった真偽で評価可能な知識を内容知,言語化可能か否かを問わず,方 法に関する知識を方法知と呼ぶことにしよう.このとき,暗黙知/形式知の観点と内容知
/方法知の観点が互いに独立であることから,
• 形式知かつ内容知である知識(以下,形式的内容知)
• 形式知かつ方法知である知識(以下,形式的方法知)
• 暗黙知かつ内容知である知識(以下,暗黙的内容知)
• 暗黙知かつ内容知である知識(以下,暗黙的方法知)
の4種類を想定することができる.便宜上,これらの意味を整理するならば,表2.2のよ うにまとめられるであろう*4.
*4なお,暗黙的内容知は,ここまで例が挙がっていなかったが,本研究では,潜在的に形式知となり得る内 容知のこととして想定している.つまり,個人の言語能力の限界によって明瞭に言語化されていないよう な内容知のことである.
表2.2 本研究における知識の分類
知識の種類 説明
形式知 内容知 命題や定理といった,言語化可能で真偽で評価可能な知識.
方法知 アルゴリズムや一部の技やコツなど,言語化可能な方法に関する知識.
暗黙知 内容知 言語化不可能であるが真偽で評価可能な知識.潜在的な形式知.
方法知 言語化不可能な方法に関する知識.
ここで,前節でも引用した構成主義の2つの主張を再び取り上げよう.すなわち,「生 存可能性はいつもある選ばれた目標に相対的」(von Glasersfeld, 1992, p. 384)であり,学 習が「方略の内容それ自身の変化以上に,方略の応用可能性の移行」(Smith, diSessa, &
Roschelle, 1994, p. 137)に関係している,という主張である.このことを踏まえると,例
えば,ニュートン力学に関する知識は,真理を反映してはいるかもしれないが,どの程度,
その真理を反映しているかを評価しえず,ただ何かの目的(例えば,ボールをより遠くに 飛ばすための射出角度を求める,など)を達成するための・
方・
法・
知として,生存可能である のみなのである.ニュートン力学は,形式的内容知として表現されたものであるかもしれ ないが,人間がその物理学が示す内容を認識し,使用するという状況を想定する限りにお いては,ニュートン力学でさえ,暗黙的方法知として捉えることができる.また,ニュー トン力学が,言語化され,内容知として記述された場合,そういう形で記述するというこ とそれ自体が,別の何らかの目的(例えば,その方法知を,共有しやすくする,伝達しや すくするという目的)を達成するための方法知である,と考えることもできる.
このような科学的知識観は,Goldin (2003)が主張する反証可能性を中心とした科学的 知識観と整合的である.Goldin (2003)は,人間の存在に先行する何らかの「世界」の存在 を明確に仮定し,科学理論を,適用範囲が明確に制限された近似的に真な知の体系,とし て捉えているのであった.ニュートン力学が量子力学で置き換えられた過程は,まさに,
科学者集団におけるニュートン力学の方法知としての生存可能性が,ありとあらゆる場合 において生存可能であった状態から,巨視的な物体を扱う場合においてのみ生存可能で ある状態へと移行した過程として考えられる.表2.1に示したように,人間の存在に先行 する「世界」が存在しようとしまいとラディカル構成主義は成立するから,その意味で,
その「世界」に直接的に触れることができないという原理さえ維持されるなら,Goldin
(2003)のように「世界」の存在を仮定する立場とも,ラディカル構成主義の知識観は整合
的なのである.この状態は,ラディカル構成主義が矛盾している状態としてではなくて,
ラディカル構成主義の提案する知識観が,健全な科学的知識観あるいは健全な数学的知識 観を包摂している状態であるとして説明できるであろう.ただし,ラディカル構成主義の 知識観というのは,「知識」としての力点の置き方にズレがあって,人間の認識において
「知識」として見なす部分が,方法知に制約されている,と言うことができるであろう.
このように,形式的方法知だけでなく,形式的内容知や暗黙的内容知でさえ,それらを いつどんなタイミングでどのように活用するかまでを含めて知識だと捉えるならば,すべ て暗黙的方法知として捉えることができる.この見方は,当然,数学的知識に対しても同 様に適用することができる.例えば,「3は素数である」ということは,素朴には内容知で あるかもしれないが,人間がそのことを認識し,知識として使用するという状況を想定す る限りにおいては,方法知として捉えることができる.実際,専門家でさえ,常に3を素 数として認識しているわけではないであろう.例えば,24=23×3という式を見た場合,
この3を素数として認識するかもしれないけれど,y=3xという式を見た場合,普通,こ のときの 3を素数として認識するようなことはしないであろう.y = 3xという式が出現 するような文脈においては,多くの場合,3が素数であるということよりもむしろ,その 3を一次関数の傾きとして見なす方が,問題解決に資することが多いと考えられるからで ある.
本研究は,便宜上,表2.2のように,知識を,形式的な内容知,形式的な方法知,暗黙的 な内容知,暗黙的な方法知として分類したが,ラディカル構成主義は,形式的な内容知,
形式的な方法知,暗黙的な内容知の3種類を,すべて暗黙的な方法知として捉え直す哲学 である.たとえ内容知であっても,学習者が,その内容知を,道具としてどんな場面で使 用する傾向にあるかを議論するならば,暗黙的な方法知として捉えられるし,形式的な方 法知であっても,個々の学習者が,実際にその方法知をどんな場面で使用する傾向にある かを議論するならば,暗黙的な方法知として捉えざるを得なくなるであろう.以下では,
簡単のため,単に「方法知」と言った場合は,暗黙的な方法知を指すものとする.
ライル(1987)が成し遂げた心身二元論に対するブレークスルーは,方法知・内容知と
いう新たなる二元論をもたらした.その意味で,ラディカル構成主義に対する批判的な議