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ドキュメント内 栽培漁業技術開発研究 第3巻第1号 (ページ 155-160)

8月20日

3 14 i 3 〜  7

9月13顕

3 24 3 〜 エ0

10月19日

3 6

7〜 10

潮分枝流の主軸は,年によ り月によって大きく変動し また,その主軸の流れにも 強弱があって必ずしも一定 していない。しかし,一般 的な型としては,水道中央 部より東側愛媛県寄りを北 上し,水道北部で流速を増 して豊予海峡を通って内海 に流入し,伊予灘に大きく 右罰するものと,そのまま

表5 マダイ産卵時期における豊後水道の黒潮分枝流主軸の動向

琿劇

3 4 5 6

40

i分枝流の勢力弱く、 i分枝流は大分渠建部i分枝流は、大分県南

繕鮮繭に水㌔轍鋤る 憲堅塁譲 l    l    さ繍馳低

農1

囑諸藩囑濯舗霧

      

         i布、中部で西高東低          i

水遵中央を流入し、

東高西低

水遵中央に流入し、

大分梁南部では勢力 は強くない   i水道中央より菓側をL水遵南部東側から流

E2 於」麺沓購綴i       愈セこ蔑購欝  i    i出してい・

沖ノ鼠西側から流入 決、媛県沿いに中央 狽ノ至る

勢力弱く、下旬から

?央より藁側に沿っ ト流入

沖ノ島から愛媛寄り ノ流入し中央部に至 髏ィ力は強くない

勢力は弱く下旬には 戟o慰こ沿って流入

1

上旬は弱いが中下旬に反疇計回りの流れ

形成し.藁鋼から

ャ入

上旬には中央から、

ソ町には東に移り、

コ旬は西側から流入 オ、移動はげしい

上旬には東側を、申 {以降は頭側に移り ェなり強く流入

娃5

i中央よ練勧に流i入

中央部を流入し.豊

¥海門から静予灘に

ャ入

中央を北進玩豊予 C況を通り、内海へ ィ力はやや滅える

東側を流入し内海へ フ流入は強まる

46

中央より西寄りに北 繧オ、内海での流況 ヘ蓑退する

中央部を北上し、豊

¥海練では流嫉強く 煌Cに入り弱まる

寸寸から解予灘に入 閨A内海の透弱冠 抹ェともに高くなる

前月と詞様

47

水野中央部から流入 オ、内海での透明度 ヘ低くめで塩分変化

ネい

申旬には水道晒側か 逞ャ入し、下旬には ォノ島の西翻から水 ケ中央に向って流入 オ勢力も強まる・

日向灘で接岸したが k上し水道の両欄か

逞ャ入

蔚月と同様

一159一

, 北上して周防灘に流れ込むものとがある。一部は反時計始りに別府湾に入る。一方,内海から   流出する海水は,水道西側大分県寄りに南下し,一部は周防灘から関門海峡を抜けて外海に流   出する。このように,水道を北上する黒潮分枝流は,春期から夏期にかけて,次第に勢力を増   して内海域に入るが,3月(水道南部)から5月下旬(水道北部)にかけて産卵されたマダイ   の卵稚仔は,この北上流によって内海域に運ばれるとみるべきである。反対に大分県側を南下   する内海系の水流に乗った丁稚仔は,B向灘の方向に運ばれよう。

   北上流に乗って北に運ばれた卵・稚仔について検討を加へると,このうち一部は時計回りの   反流で宇和海に運ばれ,大部分のものは内海域に入って伊予灘と周防灘に運ばれるであろう。

  内海域で産卵が開始されるのは5月下旬からである。しかし,この時期には,内海西部の豊後   水道の影響を強く受ける海域では,既に水道域の産卵に由来する受血が定着期に入り,藻場や   早いものではエビ場に定着していると考えてよいのではなかろうか。

   ㈲豊後水道へのマダイ資源の補給機構  豊後水道で漁獲されるマダイの魚体が南部で大   きく,北部で小さいことは葡に述べた。また,水道域では0〜1才魚の漁獲がほとんどないこ   とも述べたとおりである。早春水道南部力・ら始つた産卵によるマダイ卵・四二の,水道域への   定着はないのであろうか。卵や稚仔が黒潮分枝流によって北流するとしても,その一部は,南   下流や大きな環流,小さな渦流によって,水道域の内湾に若干は定着しているとみてさしっか   えタいであろう。しかし,その量は水道域のマダイ資源をささえるような大きなものでないこ   とは述べてきたとおりである。このように想定してくると,水道域のマダイ資源は,内海に運   ばれた卵・稚仔が再び水道にもどってきたものと考えざるを得ない。要するに内海内部海域の   資源が全海域の:再生産のみでなく,豊後水道域からの添加によって支えられ,また豊後水道の   マダイ資源が,内海で数ケ年を過ぎた魚群によって,補給されるということを考えられないも   のであろうか。南西海区水研7)によれば,来島海峡で標識放流したマダイが,わずかに1尾で   はあるが,豊後水道蒲1コ沖で再捕されたことがあることカ・らも,中・高令マダイの内海から水   道への移動があると考えることはあながち当を得ないことではないと思う。

   昭和20年代の初期には,別府湾から国東半島沖を通り,姫島一山口県祝島沖に至る広い漁場1   で,タイかづら縛り網が数統操業されていた(表6)。この漁業は,かづら縄を使ってマダイを   集め,これを大型まき網で漁獲するもので,菱の穂の出る頃,佐賀関沖から漁期が始まり,産   卵のために集ったマダイ群を追って北上していた。これらの漁業者は,漁期の初めには大型群   が獲れ,漁期の終期には魚体が小さくなり,大型群から産卵が開始されると云っていた。終漁   期は山口県祝島附近で迎え,この頃からマダイの分散があって操業を打ち切っていたらしい。

表6 タイ縛り網漁業の変遷

集    次 眠・21

 9 Q2 23

2塵 25

26 、 27

躁 業 隻 数 6 6 3 1 0 1     0

 この漁業は,著智網がローラー書影網に改良されて,マダイの漁獲が漸減したために,廃業 に追い込まれた。一方,ローラ吾智網の方が年々隻数が増加し,やがて水道域にまで進出して いったが,水道域の一本釣や延縄漁業者の反対で操業を許可されるに至らなかった。したがっ て,水道域のマダイは,ローラー著智網の漁獲から,資源を保護したことになる(内海域では 現在でも60隻以上力『操業を許可されている)。

 このような経過で,漁業者間でも入り込みをあまり強く主張しなくなったが,それでも水道 入口の豊予海峡では,明らかに魚体の形態から,水道から入り込んだ「上りだい」,内海から出 てきた「降りだい」あるいは「地つきだい」という呼称が絹いられている。これまで述べてき

た推定からは,水道域と内海域のマダイの交流は,従来漁業者間で言われてきた現象とは反対 の現象であるのかも知れない。

   附記:マダイ系統群の識別

 豊後水道域でマダイ若歯群の獲れないことと,内海域で一才群が大量に獲られていることか ら,また,すくなくとも大分県におけるマダイの漁獲量は,水道域がおおいことなどから,水 道域のマダイの重要性を述べてきたが今後は水道域のマダイの年令組成を,漁具,漁法別に,

漁場・漁期別に把握しなければならない。また,底棲生活に入った頃から満1〜2才までの棲 息場の発見にも努力する必要がある。内海奥部のマダイが,備讃瀬戸と燧灘で2系統に分けら れるといわれているが,前に述べたように,内海西部海域には豊後水道の親群によって維持さ れている資源があると予想されるので,この系統群と内海系統群との識別をつけたい。

 最も常識的に考えれば,産卵期のズレによる成長差があってよい筈である。海老名(1936)

(1940)の報告だけでみると,伊予・燧灘および佐賀関の同年令群の成長にかなりの差がみら れ,水温の〜番低い燧灘が,一番成長のよいのは何に起因しているのであろうか(夏:場の水温 と餌の量によるものかもわからない)。内海西部佐賀関で漁獲されたマダイの漁場に問題がある としてもこの点は理解できないところである。

 水道域からマダイの卵・稚仔が内海に運搬されることは前に述べたが,中・高令期になって 水道域に戻るときには,明らかに内海語群と水道系群とに区分されるのであろうか。北太平洋 の鮭鱒が,米国・アラスカ等に団帰するものと,日本・シベリヤに回帰するものとが混尊して おりながら,産卵期にはそれぞれ別の行動をとって東西にわかれて回帰することからも,両系 統のマダイが,別行動をとってそれぞれの産卵場に向うと考えられないであろうかρ豊後水道 や内海西部を生活圏とするカタクチイワシの系統群を考えた場合,水道発生群と内海発生群は 夏〜秋にかけて内海で混在し,冬期になってその大部分は水道に南下してくるが8)一部は内海

での越冬群になることが知られている。このときにノ南下群と内海越冬群に発生海域による有 意の差は認められず,かえって,その時期での海況に支配されると思われる公算が強い。マダ イの場合も海況によって回遊路の支配をうけ,発生系統と回遊系統の識別は交錯して複雑なの かもわからない。このように推察すると,,春期水道から内海に捕給された卵・稚仔が,再び水 道に涙るときは,内海系統群と混在して出てゆくこともあり得る。

 最近魚肉蛋白の電気泳動像9)によっつて系統群の識別が試みられていることから,この方法 による識別など,適当な識別法の開発が望まれる。

   おわりに

 大分県の豊後水道域におけるマダイ資源の補給を中心に,種々の疑問点をあげてきたが,そ れだけに魚類放流技術開発調査の豊後水道マダイグループに課せられた責任は非常に大きなも のであり,豊後水道域だけにとどまらず,すくなくとも水道に隣接した内海域のマダイ資源に ついても,かなり詳細な調査を実施しなければならないであろう。昭和48年度は,関係4県が 共乱して大量なマダイ0才魚(10c溝前後〉を標識放流し,今後も油鼠群を含めての標識放流が 計画されているが,発生系統群による回遊に差があるとすれば,天然群についても,心当多量 の標識放流が必要となる。日本をとりまく各海域で,栽培漁業が推進されているが,その対象 魚種のなかには必ずマダイがとりあげられており,このグループの調査研究成果は,水道域だ

けにとどまらず,全国的に注視されていることを知るべきであり,速急に以上の疑問が一つ一 つ解明されることを切望してやまない。

ドキュメント内 栽培漁業技術開発研究 第3巻第1号 (ページ 155-160)