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180 義において当然の論理であったと考える。

ドキュメント内 博士学位論文 (ページ 181-185)

井上は、当時の東アジア、特に朝鮮半島をめぐる日清両国の衝突の危機を解決する手 段として、「国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ」ながら国難の解決策を採るべきことが我国の最 良の政策であることを知悉していた。その実例として、井上は、嘗て明治20年3月に 著した『経済論』において、「人民ヲシテ材利ノ欲ヲ活発ナラシメルトキハ生産従テ興 リ商買従テ繁盛シ一国以テ富強ノ塗ニ向フコト得ヘシ」758と記して、「一国」の「富強」

は人民の「材利ノ欲」を生じさせることにあると論じていた。人民こそが「国家富強」

の支柱とならねばならないことを看取している。さらに、この後明治26年6月23日 の『国家宏運意見』においては、「今果シテ我カ帝国ヲシテ東洋ノ強大国タラシメムト セバ、必ヤ海商ヲ振起シ海軍ヲ拡張セザル可ラズ、・・(略)・・以テ海軍拡張ノ用ヲ資 ケ国家雄大ノ気象ヲ警策シ、人心ヲシテ奮然有為ノ方向ヲ知ラシムベク」759と、我国が

「強大国」として成長する要件として貿易の振興と海軍力の増強を進めるべきであり、

その為には「人心」をその政策に向かわせることの重要性を論じるに至る。

これらの論より、井上の当時の心の内面には、朝鮮半島をめぐる危機に対する軍備増 強による「国家富強」の目標、そしてその為の手段としての「人心」の統一という意図 を有していたが故に、教育を通じてのみそれが実現可能であることを知っていたと推測 できる。そこに、彼が教育勅語の制定に参加していく大きな要因となったことが窺える。

初稿において教育勅語に「国憲・国法」の字句を挿入することは、既に考察したとおり 国政に憂慮すべき事態を生じさせる結果を想定して反対したのであるが、芳川らの要請 に対して、関係大臣の責任論以上に憲法や法律を遵守する臣民(人民)の育成による人 心統一こそが国難を解決する不可欠の必須事項であるとして、「国家富強」の為に自身 の勅語に対する方針をあえて変換したことは十分に考えられる。それは、時代認識の対 象として国内外の政治的危機というべき客観的実在を前にして、当面の時代が要請する ところのあるべき「時代の精神」としてのイデオロギーが想定されねばならなかったこ とも要因の一つである。こうした政治状況の中で、井上にとっての「教育勅語」の立案 は、如何なる政治的事項にも優先する主体的な課題とならざるを得なかったと考える。

(2)教育勅語にみる徳育論と知育論の教育

次に、井上の教育勅語における教育と道徳のあり方の問題について考察を試みたい。

家永は「教育勅語成立の思想史的考察」において、勅語が元田等の「儒教の宗派的立場」

を脱却した一例として、「勅語の『中間修身之條目を掲』げたる『最緊要之處』に『忠』

といふ徳目の掲げられてゐない事実を指摘したい。」760と記述している。そして「忠の 徳目の無いこそ、むしろ勅語の特色を示すもの」761と記して、「国憲・国法」を挿入し た近代的道徳により、勅語が儒教的道徳に制約されず「封建道徳の思想を脱却し得た」

762と結論付けている。

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しかしながら、中間修身の中に「忠」の徳目が無いとは雖も、第一段において「臣民 克ク忠ニ克ク孝ニ」の精神により、「皇祖皇宗」による「徳」を「深厚」することこそ が「国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源」であると宣言している。第一段冒頭に、教育の根源 ないし基本として、臣民としての「忠孝」の精神がすでに強調されている。さらには、

「国憲・国法」を掲げたことをもって「近代的国家道徳」と捉え、勅語が儒教的封建道 徳の思想から脱却したとするが、依然として儒教の五倫内容は普遍的道徳として挿入さ れており、欧米諸国の宗教と自然権的人権思想に立脚した教育理念とは異質な内容を含 んでいることは明らかである。

さらに、「近代的国家道徳」へ導いたのが「井上毅の力に負ふことは上述の通りであ るとしても、更に吾人は、これらの個人的活動を一層高所より規制した力として、一般 的に云へば、明治の時代精神、個別的に云へば明治天皇の進歩的御精神を考へないでは ゐられない。」763と述べ、それは天皇の「御製」に窺えると論じている。井上の法制官 僚並びに立憲主義者としての「力」と時代の要請する「明治の時代精神」は是認できる としても、勅語制定の推進に果たした「天皇の進歩的御精神」という評価は早計である。

家永はその理由として、伊藤博文が「帝国憲法制定の由来」を回顧して論じた「陛下の 聖断は殆ど常に自由進歩に傾き給ひしを以て、我国民は遂に現在の憲法を仰ぐを得るに 至れり。」764との記述を引用している。しかしながら、そこには何を根拠として「自由 進歩」と評したかの理由は明示されていない。さらに、天皇自身の言葉が「御製」以外 に直接公開されていない実状から鑑みて、不用意に「進歩的」と評することには首肯で きない。例え天皇が「箴言」という形で勅語制定を推進したとしても、勅語の内容とそ の精神から「天皇の進歩的御精神」と評した論には、家永が執筆した当時の時代の風潮 の中に浸透していた「国体」思想という制約に、彼自身が無意識に束縛されていた思考 が存在していたのではないかと考える。

このように、「忠」は、冒頭の第一段に配置されているように、勅語の一つの基本命 題として、「孝」と並び「皇運ヲ扶翼スヘシ」ところの「忠良ノ臣民」の支柱としての

「徳」として構成されている。よって、勅語は「国家富強」の中核として臣民が「皇運」

を支える忠孝の「徳」の普及として、即ち、我国の教育思想並びに国民道徳としての道 徳心の育成と涵養を促進する手段の一つとして制定されたものといえよう。

だが、本論は井上の勅語案初稿を考察するかぎり、彼の「勅語」制定の意図は、道徳 心の育成涵養という徳育に限定せず知的教育の育成と推進が強調されているのが特色 であると考えている。そのことを示す内容は、一つは第一段の最後「教育ヲ慎カシム教 育ノ要ハ善ニ従ヒ知ヲ進ムルニ在リ」の内容である。ここにおいて、彼は教育の要(基 本)を「善ニ従ヒ」という、所謂「善」(徳)という徳育と「知ヲ進ムル」という知育 の二つの知徳一体論を主張している。知徳一体とした上で、第二段前節にて「父母ニ孝 ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」等の五倫の徳育内容765を明記して、「義勇公ニ奉シ」して「以 テ天壌無窮ノ皇運ヲ翼戴ス善ニ非スシテ何ソ乎」と結ぶことで、天壌無窮の「皇運ヲ翼

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戴」する為の「義勇」を有する人民の育成が徳育の役割であると規定したのである。他 方、同段後節にて「人知ノ発達」は「公益ヲ広メ以テ俊良ノ民ト為リ身ヲ立テ家ヲ利シ 國ノ興運ヲ助ク知ニ非スシテ何ソ乎」と結ぶことで、知の発達こそが、「公益」を拡大 し個々の「俊良」なる人民を育成し、彼らの力によって国家の「興運」を図るのが知育 の役割であると規定したのである。

この「知」を「善」(徳)に相対させることで、「知」の重要性を配置したところに彼 の「科学的」な知識を重視する先進的な思想が表明されていると考える。即ち、井上は、

徳育と知育の相対的な役割を区別することで、教育はどちらかに比重を置くものではな く、相互に協調し合うことが最良であることを強調している。この考え方は、欧米の宗 教的道徳と「科学的」知識の両者の尊重という図式にも合致している。したがって、こ の初稿を起案した段階において、彼は知徳の一体化こそが皇室と国家を支える基盤であ ることを勅語に明記する必要性を認識していた。そして、最後の第三段において、この 普遍的教育観こそが「祖宗ノ遺訓」であり、「中外ニ施シテ悖ラザルヘシ」最良の「道」

であると結論付けたのである。

以上の考察から、井上が初稿に込めた教育思想は、国体思想による国家構想の実現に 向けて、一つは特定の道徳観を強制することなく、儒教の五倫を主とする普遍的な儒教 道徳を例示することで、天皇・皇室並びに国家にとっての有為な人間像を創造していく 徳育論。二つは、知識の享受による自立した人間の育成を目的とする知育論。この二つ を均衡させて配置することで、元田らの国家主義的儒教道徳の導入を阻止して、嘗て『教 育議』に示された「科学的」知識による教育の普及を図ることでそれを抑制したのであ る。当時の東アジア情勢の緊迫した中で、今最も必要とする人材の育成は何であるかを 深く考慮しての勅語初稿案であると考える。それは、井上が東アジア情勢を深く憂慮し て、立憲主義の立場から山県の軍国主義とも連携しつつ「国家富強」のための政策立案 として起案したのが教育勅語であったともいえる。

彼は勅語制定の後、1893(明治26)年3月より第二次伊藤内閣の文部大臣とし て教育政策に関わり、特に人材育成のための実業教育に力を入れていくが、そこにおい ても「国家富強」を念頭に置いた教育政策が基本となっている。同年5月26日付け『伊 東巳代治宛書簡』には、「教育ノ基礎ヲ固クシ国家富強ノ源ヲ培養セントセハ、唯欧州 各国の例ニ倣ひ、高等教育会を設けて文部諮詢の機関とし、公儀の力ニ借りて決行シ、

以テ招来の強固ヲ期スルノ一途アルのミ」766と記して、教育の基礎固め、所謂教育勅語 の知育徳育教育の実現を確固たるものにすることこそが、政府の「国家富強」の礎を育 成せんとする目標であると論じている。

さらに、井上は実業教育の実施に際しては、明治26年7月の『実業補習学校施設意 見』の中で、「国家富強の第一着手たるへき殖産興業の道に於て、一般人民実業上の智 識は、無形の資本として価値ある元素なり」と論じて、「国家富強」への殖産興業にお いて、人民の実業に関する「智識」が「無形の資本」として「価値ある元素」であるこ

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