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160 2、『憲法義解』にみる教育の権利と思想

ドキュメント内 博士学位論文 (ページ 161-167)

『憲法義解』(以後、『義解』と呼称)は、枢密院における憲法審議に際して配布せら れた井上毅作成の「逐条説明書」を共同審査691した後、「半官的な逐条解説書」692とし て伊藤博文の私著として刊行されたものである。しかし、校註者の「解説」において「逐 条説明書は枢密院の修正を経ているし、また『義解稿本』は右の共同審査会の修正を経 ているから、両義解の文章が全部そのまま井上の筆になるということはできぬが、それ に対してもっとも多くを貢献しているのが彼であることは明らかであるから、彼をもっ て両義解の父とすることは決して間違いではない。」693述べられているように、『義解』

の骨子と内容に関して井上自身の憲法論が強く表明されていることは明瞭である。ここ では『義解』解説を基本としながら、憲法制定会議の解説資料「注解」(「憲法解説」)694 を付随資料として彼の人権思想を考察することで、そこに含まれる彼の教育権とその思 想を読み取っていきたい。

(1) 天皇大権と教育

第一章天皇・第九条では「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及 臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコ トヲ得ス」と規定する。本条は、天皇大権の一つである行政命令の大権である。命令は 天皇の裁定に依るものであり、『義解』はその命令を発する目的を二つに分けて説明し ている。一つは、法律を執行する為の処分を規定すること。二つは、「公共の安寧秩序 を保持し及臣民の幸福を増進する為の必要に於いてす」695としている。ここで、統治権 を総攬する天皇(第四条)は、その大権の一つとして、「臣民の幸福を増進」させるこ とを規定している。これは儒学思想の「仁政安民」に通じる観念である。王(天皇)た るもの、その臣民の幸福と生活の安定を図ることが重要な責務であることを使命とする もので、立憲主義の一つの柱でもある。

『義解』(附記)において、欧州を参考にしたものではあるが、「命令」作用の一つを 各国政府は安寧保持を最大職務とするが故に、文明開化と政治的進展の結果「始めて経 済及教育の方法に依り、人民の生活及知識を発達せしめ。其の幸福を増進するの必要を 発見するに至れり。」696と論じ、人民の幸福の為には「経済及教育の方法」こそが生活 と知識を発達させることに依り実現可能とした。即ち、経済による生活の安定と教育に 依る知識の増進こそ、人民の幸福増進に接続していることを確認しているのである。そ れ故に、行政命令の目的を「経済上国民の生活を富殖し、教育上其の知識を開発するの 積極手段を取ることを務めざるべからざるなり。但し、行政は固より各人の法律上の自 由を干すべからず。」697と明記したのである。したがって、第九条は、天皇大権として 経済と教育の増進を積極的に実施すべきことを宣言した条項でもある。このように教育

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推進の字句を憲法上に規定していることは、明治政府が教育を国家発展の重要な施策の 一つとして把握していたかが読み取れるのである。但し、これは既述のように国家統一 の課題を優先したものであり、そのための「積極手段」としての教育的知識の開発に付 随した「臣民の幸福」増進であるともいえる。

このことを「憲法説明」698(参照)において考察した場合、内容はプロイセン千八百 年勅令を参考としたものであると考えられる。その第三条において、公共の幸福を増進 する為としつつも、行政官庁の役目を「公共ノ安寧秩序ヲ維持スルノ必要処分ヲ施スノ ミナラス又公共ノ幸福ヲ発達増進シ及各民ノ精神並身体ノ能力ヲ育成シ法律ノ範囲内 ニ於テ便宜指導スルノ権務アリ従テ県庁ハ国民ノ教育授業及奉教ヲ監視ス」699と記して いることに明瞭である。国民の精神および身体能力を育成する為の教育を指導するもの の、それを「監視」することが職務とされているのである。しかしながら、但し書きに て、各行政機関は「各人の法律上の自由を干すべからず」と記しているように、憲法上 ではないが国民個人の「法律上の自由」に干渉せずとして、自由権保障の内容を解説し ていることは極めて稀有な内容であり重要な指摘である。

この解説は、1890(明治23)年、井上が内閣法制局長官として首相山県有朋よ り教育勅語の草案に関して意見を要請された時、『教育勅語ニ付総理大臣山県伯ヘ与フ ル意見』として宛てた文面にて明確にしている。即ち、「此ノ勅語」は政治上の勅語と は異なり「今日ノ立憲政体ノ主義ニ従ヘハ君主ハ臣民ノ良心ノ自由ニ干渉セズ・・・今 勅諭ヲ発シテ教育ノ方向ヲ示サルゝハ政治上ノ命令ト区別シテ社会上ノ君主ノ著作公 告トシテ看ザルヘカラズ」700と論じて、君主従って政府も「臣民ノ良心ノ自由ニ干渉セ ズ」ことの要請と確認をしている。この内容から、井上は立憲主義の基本に国民の精神 的自由権を配置して、教育に対する政治権力の関係に制限を設けているのである。した がって、教育勅語は政治権力の「政治上ノ命令」とせず、精神的権威を有する「社会上 ノ君主ノ著作」として「公告」すべきことを意見具申したのである。そこに、彼の立憲 主義者としての矜持が見受けられる。

(2)臣民権利義務の自由権と教育権並びに教育思想

天皇大権における「臣民ノ幸福ヲ増進」するために、明治憲法はその第二章で「臣民 権利義務」の条項を規定している。フランス、イギリス、アメリカの憲法に見られる制 限規範性と国民の人権保障を基本とする立憲主義の道を選択せず、ドイツ型の外見的立 憲主義を採択した明治政府であったが、法律の範囲内という制限付きながらもその権利 を規定している。その中でも、特に教育権とその思想に関連した条文として、第二八条

(信教の自由)と第二九条(言論・集会・結社の自由)に焦点を置いて考察していきた い。701

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①憲法第二八条「信教の自由」

憲法第二八条は、「日本国民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於 テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定する。この規定について、『義解』は、信教の自由はフラ ンス革命とアメリカ独立戦争を経て「公然の宣告」を得て以来各国が是認したと前置き して、「現在各国政府は或は其の国教を存し或いは社会の組織又は教育に於て仍一派の 宗教に偏袒するに拘らず、法律上一般に各人に対し信教の自由は予へざるはあらず」702 と「国教」並びに「社会の組織」・「教育」において信教の自由が保障されていることを 先ず確認している。欧州にては近代立憲主義の制度が確立しており、宗教教育が一派に 偏向しない限りその自由が保障されていることを記すことで、日本の宗教教育も立憲主 義の立場を堅持するに際してその自由を保障すべきことを示唆している。このことは、

宗教教育に限らず、全ての教育に関しても自由であるべきことを暗示しているとみるこ とが出来ると考えられる。

続けて「信教の自由は之を近世文明の一大美果として看ることを得べく、而して人類 の尤も至貴至重なる本心の自由と正理の伸長は、数百年間沈倫茫昧して、纔に光輝を登 場するの今日に達したり。」703と記する。信教の自由を、現在漸く獲得し得た人類の貴 重な財産として、その「本心の自由」としての内面の精神的自由と「正理」としての正 しいものの道理の発展を賞讃するのである。それ故に、「蓋し本心の自由は人の内部に 存する者にして、固より国法の干渉する区域の外に在り。而して国教を以て偏信を強ふ るは尤人知自然の発達と学術競進の運歩を障害する者にして、何れの国も政治上の威権 を用いて以て教門無形の信衣を制圧せむとするの権利と機能とを有せざるべし。」704と 論じ、ここでも内心の自由を政治的権力によって抑圧することを禁止している。さらに、

国教による宗教の偏信を強制することが、「人知自然の発達と学術競進の運歩を障害す る」と論じているように、政治的抑圧が如何に「学術」の発展を阻害してきたかを批判 する。このことは、「学術」即ち学問と教育の自由な「競進」によってこそ文明の進歩 が向上発展すること、したがって、それを抑圧することの非が言及されている。これら のことから、信教の自由条項の中に、基本的人権としての教育権の保障とその思想を見 出すことができるのである。

ただし、「内部に於ける信教の自由は完全にして、一の制限を受けず。而して外部に 於ける礼拝・布教の自由は法律規則に対し必要なる制限を受けざるべからず。及臣民一 般の義務に服従せざるべからず。此れ憲法の裁定する所にして政教互相関係する所の界 域なり」705と記して、内面的な信仰は完全な自由であっても外在的行為の宗教活動は法 律上の必要なる制限を受けるとしている。この条項に関して、「憲法説明」の(参照)

では、アメリカ、イギリスを除く、フランス、ベルギー、プロイセン等欧州七カ国の憲 法における宗教の自由について参照条文として記載しているが、いずれも「信教の自由」

はほとんどの国が無条件に保障している中で、プロイセン憲法第十二条は「但シ教門自

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