第二章 可能を表す〈-得了/-不了〉と〈-不得〉
2.4. 心理的不可能を表す〈‑不得〉
2.4.4. 類似する意味を有する他形式との関係性
知覚動詞を先行述語に用いる可能補語で、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉と同様に、許容・
受容を表す形式として考えられるものとして〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉がある。
〈-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は方向補語から成る可能補語であり、〈-下去: -XIA QU〉は本 来「継続」の意味を表す(刘月华主编1998:196参照)。具体的には、次の例のように、「難
民の惨状」を「見ていられない」というように、主体がある事物を知覚・認識することに対 する否定を表しているという点で、意味的に〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉と非常に類似 している。
(90) 难民 的 惨状 实在 叫 人 看 不 下去。
難民 ASSOC 惨状 実際に CAUS 人 見る-NEG-XIA QUpoten
「難民の惨状は実に見ていられない。」(『小学館中日辞典』)
本節では、許容・受容を表すという点で共通する形式である〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉 及び〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉を比較・対照することで、以上で提示した〈知覚 動詞-不得: -NEG-DEpoten〉の意味記述をより精密に行う。具体的には、主体の心理的な要因、
及び述語が表す事態の性質という点について詳しく論じる。
まず、知覚した事物を受け入れられないことの要因であるが、2.4.1.2 節で議論した「心 理的影響」という観点では、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉も〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA
QUpoten〉も共に心理的に困難であるという意味が現れる。
(91) 有人 说:“精神 要 强调, 但没技术,
ある人 言う 精神 AUX(する必要がある)強調する しかし ない 技術
精神 还是 白搭。我 看 了 对 巴基斯坦队 的 上半场 就 不 看 了,
精神 やはり 無駄である 私 見る PERFに対して パキスタンチーム ASSOC 前半 正に NEG 見る PERF
为什么?没 特点,看 不 下去。”(CCL:《1994年报刊精选》)
なぜ ない 特徴 見る-NEG-XIA QUpoten
「ある人が言った。『精神は強調しなければならない。しかし、技術がなければ、精神は やはり無駄である。私がパキスタンチームとの前半を見たが、そこで止めた。なぜか って。特徴がないから、見ていられない。』」
(92) 她 的 性格 就是 这样 的 温柔 多情,
彼女 ACCOS 性格 正に このように ACCOS おとなしい 愛情豊か
这样 的 容易 体贴 别人。 她 的 眼睛 特别 看 不得 苦难,
このように ASSOC 容易に 気遣う 他の人 彼女 ASSOC 目 特別に 見る-NEG-DEpoten苦しみ
却 偏偏 生 在 一个 有 很 多 苦难 的 时代里。(CCL: 张炜《秋天的愤怒》)
のに 生憎 生まれる で 1 CLある とても 多い 苦しみ ASSOC 時代 中
「彼女の性格は、このようにおとなしくて愛情豊かであり、このように他人をすぐに気 遣う。彼女の眼は特に苦しみを見ていられないのに、あいにく苦しみの多い時代で生 まれた。」
(91) は〈看不下去: 見ていられない〉、(92) は〈看不得: 見ていられない〉を述語とする例 であり、(91) は文として明示されていないが、「見ていられない」ということについての心 理的な意味が感じられる。また (92) に関しても、「苦しみを見ているのは辛いから見続け られない」といった心理的な意味が読み取れる。しかし、両形式は条件として取る要因が 異なる。〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は他の可能補語の特徴と同様、「特徴がない から」という「主体に対して外在的な条件」が「見ていられない」ことの要因となってい るが、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は「性格がおとなしく愛情豊かである」という「主体 の性格・性質として現れる心理・心情的な条件」が「見ていられない」ことの要因となって いる。可能補語は一般的に、主体に対して外在的な要因を条件とし、主体の能力や心情と いった主体に内在する要因を条件とはしにくい。この点においても、〈知覚動詞-不下去:
-NEG-XIA QUpoten
〉は一般的な可能補語と同等の特質を有すると言える。また〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は、2.4.2.2節で見た〈最: とても〉との共起、並びに目的語の特 徴に関しても〈知覚動詞-不了: -NEG-LIAOpoten〉と同様の振る舞いを見せる。つまり〈最: と ても〉とは共起し難く、主述句を目的語要素としても取り難い。また、〈知覚動詞-不下去:
-NEG-XIA QUpoten〉は主語-述語構造及び主題-評言構造の両者を基本的には取ることができ
る。しかし、主題-評言構造を取った場合は非常に良く用いられるのに対して、主語-述語構 造の場合の使用度は低くなるという相違が見られる。
(93) a. 我 看 不下去 书 了。
私 見る-NEG-XIA QUpoten 本 SFP
「私は本を読んでいられなくなった。」
b. 这 本 书 我 看 不 下去 了。
この CL本 私 見る-NEG-XIA QUpoten SFP
「この本は私は読んでいられなくなった。」
まず、(93a) は主語-述語構造、(93b) は主題-評言構造を取っており、基本的には両者とも非
文法的な文ではない53。しかし、〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は (93a) の主語-述 語構造よりも、(93b) の主題-評言構造の方がよく用いられるという。これは、(表 11)の CCLコーパスを用いた調査から分かるように、〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は主 題-評言構造を取る場合が全体の 97% と、主語-述語構造より圧倒的に出現頻度が高いこと からも裏付けられる。
(表11)〈知覚動詞-不下去〉の「主語-述語」構造或いは「主題-評言」構造に現れる用例数
看不下去 听不下去 合計
主語-述語 2例 4例 6例 / 2.2%
主題-評言 77例 185例 262例 / 97.8%
出現頻度としては全体の2.2% と非常に低いが、〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉が主 語-述語構造を取っている例として、以下のような文が挙げられる。
(94) “你 先 说, 不然 你 也 听 不 下去 我 的。”(CCL:老舍《老张的哲学》)
あなた 先に 言う そうでないと あなた も 聞く-NEG-XIA QUpoten 私 NOM
「『あなたが先に言って、そうじゃないとあなたも私の話を聞いていられないでしょ。』」
53 下記の3名の中国語母語話者に確認をした。
F. 女性, 貴州省貴太市, 20代 G. 河北省石家荘, 女性, 20代 H. 男性, 山西省太原市, 20代
次に、述語が表す事態の特徴であるが、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten 〉及び〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉は、文末助詞 (sentence final particle) の〈-了: SFP〉と共起する か 否 かと いう 点で 異なる 。(95ab) 及び (96) から 分 かる よう に、〈 知覚動 詞-不 下 去:
-NEG-XIA QUpoten〉は〈-了: SFP〉と共起し得るが、〈知覚動詞-不得〉は共起することがで
きない。
(95) a. 映雪 越听 脸色 越白,最后 终于 听 不下去 了。(CCL:琼瑶《鬼丈夫》)
映雪 聞くにつれて 顔色 白くなる 最後に ついに 聞く-NEG-XIA QUpotenSFP
「映雪は聞くにつれて顔色がみるみる青白くなり、最後にはついに聞いていられなくな った。」
b. 下午 的 旁听者 明显 减少,大概 实在 是 听 不 下去 了…。
午後 ASSOC 傍聴者 明らかに 減少する 恐らく 確かに COP聞く-NEG-XIA QUpotenSFP
(CCL:《1994年报刊精选》)
「午後の傍聴者は明らかに減少した。たぶん実際に聞いていられないのだろう…。」
(96) ??他们 看 不 得 别人 受苦 了,…。
彼ら 見る-NEG-DEpoten 他の人 苦しい目に合う SFP
「彼らは他人が苦しむのを見ていられなくなり、…。」
文末助詞の〈-了: SFP〉は、「何らかの〈変化〉が参照時において〈既に実現済み〉である ことを表す(木村2012:140)」と記述される。つまり、〈知覚動詞-不下去: -NEG-XIA QUpoten〉 は未然の事態から既然の事態への変化を表すことができる、即ち動的な事態を許すと解釈 することができる。それに対して、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は事態の変化を含意する ことができない。それは、主体の感情の変化の結果等ではなく、恒常的な感情を表してい るためであると考えられる。
以上の議論を含めて、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉の意味を更に精密に記述すると、「主 体が許容或いは受容している事態に対して、主体の性格・性質として現れる心理・心情的な 要因により、知覚を受け入れられないという主体の恒常的な感情を表す」形式であるとす ることができる。