• 検索結果がありません。

心理的不可能

ドキュメント内 ― 可能とモダリティ ― (ページ 71-76)

第二章 可能を表す〈-得了/-不了〉と〈-不得〉

2.4. 心理的不可能を表す〈‑不得〉

2.4.1. 心理的不可能

2.4.1節では、知覚動詞が先行する〈-不得: -NEG-DEpoten〉が表す心理的不可能の意味的特

徴について考察を行う。ここでは主に、知覚動詞を伴い、可能の意味を表す〈-不了:

-NEG-LIAOpoten〉と比較・対照することで、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉の意味的特徴をよ

り明確に記述・分析する。具体的には、知覚動詞に付く〈-不得: -NEG-DEpoten〉は、許容・受 容の意味を表し、心理・心情的に困難であるという意味を帯びる。よって、知覚動詞を取る 可能補語〈-不得: -NEG-DEpoten〉の意味を心理的不可能と呼ぶこととする。

まず、2.4.1.1節では、働きかけと許容・受容という観点から〈-不得: -NEG-DEpoten〉の意味 を考察し、2.4.1.2節では、心理・心情的に困難であるという心理的影響に関する意味につい て論じる。

2.4.1.1. 働きかけと許容・受容

本節では、知覚動詞に後続する〈-不得: -NEG-DEpoten〉は主体の許容・受容を表すのに対し て、知覚動詞に後続する〈-不了:-NEG-LIAOpoten〉は主体の働きかけを表すことを明らかに する(井上優先生からの私信による)48

まず、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は、主体が知覚対象を許容・受容するという側面に 言及するという特徴を持つ。その例として、(75) では、主体が対象を既に捉えているか、

或いは捉えることが仮定されており、それに対する認識を表している。

48 ここで述べた「働きかけ」と「受容・許容」という意味素性における分析は、2012年10 月28日の第62回日本中国語学会での口頭発表での井上優先生のご指摘、及び2012年11 月7日-8日に頂いた井上優先生からの私信によって、ご指摘及びご助言頂いたものである。

しかし、内容に関する一切の責任は筆者にある。

(75) 他 在 黑暗时代 中 处处 碰壁, 不 得 仕进 也 不屑 仕进;

彼 で 暗黒時代 の中 至る所で 行き詰る NEG AUX(許す)(官吏が)昇進する も 軽蔑する 昇進する

眼睛里 看 不 得 人世间 的 一切 不平事, 肚皮里 充满 了 怨气怒气,

目の中 見る-NEG-DEpoten世の中 ASSOC 一切の 不公平なこと 腹の中 満る PERF 恨みつらみ

一触即发, 一 发 就 不 可 收拾。(CCL:《读书vol.099》)

一触即発 一度 発する 正に NEG AUX(できる) 収拾する

「彼は暗黒時代で至る所で行き詰まり、官吏として昇進することもできず、また昇進す ることも軽蔑しており、その目はこの世の一切の不公平な事を見ていられず、腹の中 に恨みつらみが渦巻き、一触即発、一度発すれば収拾はつかない。」

(75) の〈看不得: 見ていられない〉は、「この世の一切の不公平な事を見ていられない」と いうように、主体にとって、「不公平な事」が既に認識されてしまっている状態で、主体は 知覚をこれ以上続けられないということを表している。つまり、〈-不得: -NEG-DEpoten〉に先 行する動詞〈看: 見る〉は、「映像を受け入れる」という許容・受容の側面に着目した用法と なっていることが分かる。この許容・受容というのは、基本的に主体の恒常的な感情を表し ており、この恒常性という点では、一般的な可能補語と同じ特徴を示す。

(76) 他 看 不 得 别人 受苦。

彼 見る-NEG-DEpoten 別の人 辛い目に合う

「彼は他人が苦しむのを見ていられない。」

例えば、(76) は、発話時に「彼が他人が苦しんでいるのを知覚している」という状況で発 せられた発話というよりも、主体の性質として、ある種仮定的とでもいえるような事態に おいて、「他人が苦しんでいるときには」という状況で述べられていると解釈する方が自然 であり、これは可能補語一般に共通する特徴である。

一方、〈知覚動詞-不了:-NEG-LIAOpoten〉は、主体の働きかけに着目した用法であると言え る。それは、(77) の〈看不了: 読めない〉が表すように、「読もうとしても(読むことがで きない)」という意味の現れから窺える。これは、可能補語〈-得了/-不了: -DE-LIAOpoten /

-NEG-LIAOpoten〉一般に共通する特徴であると言える。

(77) 那 些 失眠 的 夜晚,她 看 不 了 书,也 睡 不 着 觉,…。

あの CL眠れない NOM 彼女 見る-NEG-LIAOpoten も 寝る-NEG-入る 眠る

(CCL:《皮皮》)

「あのような眠れない夜は、彼女は本も読めないし、眠ることもできず、…。」

「見る」や「聞く」といった知覚現象には、一般的に「対象に対して働きかける」とい う側面と「対象を許容・受容する」という側面を持つと考えることができる。それは、知覚 するという事態が、主体が自らの働きかけにより知覚を実現させるという側面と、主体に 対して対象が偶然知覚されるという側面があり得ることが関係していると考えられる。こ れ は 知 覚 事 態 が 表 す 特 徴 の 一 つ で あ る と 言 え よ う 。 そ の 中 で 、〈 知 覚 動 詞-不 了: -NEG-LIAOpoten〉では、前者の働きかけの側面が取り上げられ、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉 では、後者の受容・許容の側面が取り上げられると言える(井上優先生の私信による)。こ のような相違が、〈-不了:-NEG-LIAOpoten〉及び〈-不得: -NEG-DEpoten〉が表す意味の違いと して現れていると考えられる49。この議論をまとめると、次の(表8)のようになる。

(表8) 働きかけと許容・受容から見た〈-不得〉及び〈-不了〉

[ 働きかけ ] [ 許容・受容 ]

〈知覚動詞-不得〉 言及しない 言及する

〈知覚動詞-不了〉 言及する 言及しない

次に、問題とするべき点は意志性という意味素性との関連性である。可能という意味を 形成する上で、意志性は非常に重要な素性であった。そこで、働きかけに言及する〈知覚 動詞-不了:-NEG-LIAOpoten〉に関しては、意志性を有することは明らかである。しかし、許

49 この知覚動詞における分析は、Tsunoda (1985) や角田 (2009) 等の他動性 (transitivity) の 議論における ‘see: 見える’ と ‘look at: 見る’ の相違に類似している。そこでは、‘see: 見 える’ は受影性 (affectedness) を表し、‘look at: 見る’ は意志性 (volitional) を表すことが指 摘されている。

⑤ a. see:「対象の映像を既に捉えてしまった状態を指す」(角田2009:103)

b. look at:「対象の映像を捉えようとする努力を指す」(角田2009:103)

しかし、英語の ‘see’ は、中国語では〈看见: 見る-見える〉に当たると思われ、また受影性 は一般的に受身や再帰性の議論の際に用いられる術語であるため、本研究ではその使用を 避けた。

容・受容に言及する〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉はどうであろうか。対象を許容或いは受 容しているということは、主体が意志を持って知覚するという行為を行ったとも見られる し、主体が意図することがなく、たまたま「見えた」或いは「聞こえた」ということを表 していると見ることもできる。確実に言えることは、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉にとっ て、意志性という意味素性には重点が置かれていないということまでであろう。そこで、

本研究では、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉にも意志性という意味素性が基本的には含意さ れているという前提のもとで議論を進めたい。それは、中国語の〈看: 見る〉や〈听: 聞く〉

という動詞が、本来的に表す特徴を根拠としている。

まず、〈看: 見る〉や〈听: 聞く〉は、「動詞+補語」という動補構造(〈动补结构〉)にお いて、基本的に先行動詞の位置に現れる。この動補構造は、先行動詞が動作の働きかけを 表し、補語がそれに対する結果事象を表す。つまり、先行動詞として基本的に用いられる ということは、〈看: 見る〉及び〈听: 聞く〉は動作行為を働きかける、能動的な事態を表 す動詞であると考えられる。このような事情を踏まえて、〈看不得: 見ていられない〉及び

〈听不得: 聞いていられない〉に関しても、基本的にはそこに主体の能動的な側面、つまり 意志性が関与していると考える。それに対して、許容・受容を表す形式は、〈看见〉及び〈听 见〉という動補構造で表される。しかし、この点に関しては、更に慎重に考察する必要が あり、今後の課題としたい。

以上の議論をまとめると、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は主体が対象を既に捉えてしま っている、或いは捉えていることを仮定しているという許容・受容に着目した用法であるの に対して、〈知覚動詞-不了:-NEG-LIAOpoten〉は対象を捉えようと努力するという働きかけに 着目した用法であるという相違があることを明らかにした。

2.4.1.2. 心理的影響

〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は、心理的に困難であるという意味を帯びるのに対して、

〈知覚動詞-不了: -NEG-LIAOpoten〉はそのような意味を帯びない。ここでは、心理的困難と いうことの内実を明らかにするとともに、このような意味が現れる原理について考察を行 う。

この心理的困難というのは、(78a) の〈看不得〉が表す「見ていられない」、「見るに堪え ない」といった意味を指して言う。これは、(78b) の〈看不了: 読めない〉からは窺えない 意味特徴である。

(78) a. 心术 不 正 的 人,打击 了 敌人, 分明 胜利 之后,

心がけ NEG 正しい NOM 人 攻撃する PERF はっきりと 勝利 の後

还 看 不 得 失败者 立即 抹 干 眼泪, 重新 为 人。

まだ 見る-NEG-DEpoten失敗者 直ちに 拭く-乾く 再び となる 人

(CCL:梁凤仪《九重恩怨》)

「心がけが正しくない人は、敵を攻撃し、ちゃんと勝利した後なのに、それでも失敗し た者が直ちに涙を拭いて、再び新たな人生を始めるのを見ていられない。」

b. 如果 这个 民族 只 会 看 小人书,而 看 不 了 《红楼梦》,

もしも このCL 民族 ただ AUX(できる) 読む 絵本 そして 読む-NEG-LIAOpoten『紅楼夢』

是 这个 民族 的 悲哀。 (CCL:《1994年人民日报》)

COP このCL 民族 ASSOC 悲哀

「もしもこの民族がただ絵本ばかり読んで、『紅楼夢』を読めなければ、それはこの民族 の悲哀であろう。」

そこで、心理的に困難な意味を帯びる要因として、主体がある事物の受容を否定するとい う点から考察を行う。

まず、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉は、許容・受容を表すことより、たとえ仮定的であ り、その場で実際に対象を知覚していなくとも、許容或いは受容していることを表す。(78a) で再度確認すると、〈看不得失败者立即抹干眼泪,重新为人: 失敗した者が直ちに涙を拭い て、再び新たな人生を始めるのを見ていられない〉ということから、主体が事態を目とい う器官を通して受容しており、その受容に対して否定詞〈不〉を用いて否定を行っている ことが分かる。つまりここから、主体が事物の認識を受け入れられないという、心理的に 困難であるという意味との関連が窺える。よって、この「許容・受容に対する否定」という 点が、心理的困難の意味を表すようになる要因の一つであると考えられる。それに対して、

働きかけを表す〈知覚動詞-不了: -NEG-LIAOpoten〉は、行為を企ててもその事態が実現され ないことを表す。(78b) で確認すると、「『紅楼夢』を読むことができない」ということは、

主体が読むという行為を企てたとしても、その行為が実現しないということを述べており、

何ら主体の心理的な困難の意味は現れない。

ここでは、〈知覚動詞-不得: -NEG-DEpoten〉が心理的困難の意味を表し、その要因として、

ドキュメント内 ― 可能とモダリティ ― (ページ 71-76)