第四章 認識的モダリティを表す〈-不了〉
4.3. 蓋然性を表す〈‑不了〉
4.3.2. 蓋然性
4.3.2.3. 文中における位置と意味の相関性
従属節中に現れる〈非継続非意志動詞-不了: -NEG-LIAOprob〉の用例数は、相対的に見て、
非常に少ないことを論じた。また、仮定的な主従複文及び現実的な主従複文のどちらにお いても、〈非継続非意志動詞-不了: -NEG-LIAOprob〉は現れることができる。このように、用 例数は少ないが、存在するという事実より、ここでは、従属節位置に現れる〈非継続非意 志動詞-不了: -NEG-LIAOprob〉について論じる。4.3.2.3節における主な主張は、事実として、
仮定的な複文であっても従属節に〈非継続非意志動詞-不了: -NEG-LIAOprob〉が用いられる 場合は、蓋然性の意味を帯びることはできないのに対して、事実的な複文である場合は、
従属節であっても未実現の事態を表す際には、蓋然性の意味を帯びることができるという ことである。これは従属節の文らしさの度合いに関連していることを論じる。
まず、(174) に〈万一: 万が一~だったら〉という接続詞を用いた仮定複文の例を提示する。
これは、従属節中に〈到不了: 到着しない〉が現れており、その意味は「東口の銀を運ぶ車 が到着する可能性がなくても」という可能性の否定ではなく、「東口の銀を運ぶ車が到着し なくても」というように「到着する」こと自体を否定している。つまり、主節で用いられ る〈到不了: 到着する可能性はない〉のように蓋然性の意味を読み込むことはできず、どち らかというと、先行動詞が表す〈到: 到着する〉という事態が実現しないという不可能の意 味を表していると言える。
(174) 万一 东口 的 银 车 到 不 了,
万が一 東口 ASSOC 銀 車 到着する-NEG-LIAOpoten
我 还 另外 借 了 五十 万 两 银子! (CCL:《乔家大院》)
私 やはり 別の 借りる PERF 50 万 CL 銀
「万が一東口の銀を運ぶ車が到着しなくても、50万両の銀を別に借りている。」
(174) の例にある〈-不了: NEG-LIAOpoten〉に、「(到着する)可能性がない」という蓋然性の
意味が含まれていないという根拠として、次のような、〈到不了: 到着する-NEG-LIAOpoten〉 を、〈不可能到: 到着する可能性はない〉及び〈无法到: 到着できない〉に言い換えたとき の文法性判断という、統語テストが根拠となっている。(175ab) から分かるように、仮定節 にある〈到不了: 到着する-NEG-LIAOpoten〉は、(175b)〈无法到: 到着できない〉と言い換 えることはできるが、(175a)〈不可能到: 到着できない〉と言い換えることはできない。
(175) a. ?? 万一 东口 的 银 车 不 可能 到,
万が一 東口 ASSOC 銀 車 NEG AUX(可能性がある) 到着する
我 还 另外 借 了 五十 万 两 银子!
私 やはり 別の 借りる PERF 50 万 CL 銀
「万が一東口の銀を運ぶ車が到着しなくても、50万両の銀を別に借りている。」
b. 万一 东口 的 银 车 无法 到,
万が一 東口 ASSOC 銀 車 できない 到着する
我 还 另外 借 了 五十 万 两 银子!
私 やはり 別の 借りる PERF 50 万 CL 銀
「万が一東口の銀を運ぶ車が到着しなくても、50万両の銀を別に借りている。」
(175a) の〈不可能: 可能性がない〉は、ある事態が起こる可能性がないということを表す法
助動詞であり、(175b) の〈无法: できない〉は、何らかの状況或いは能力がないために「~
する方法がない」、「~できない」という不可能の意味を表す表現である。よって、〈到不了: 到 着する-NEG-LIAOpoten〉は、蓋然性ではなく、先行動詞が表す事態が起こらないという可能 に近い意味を表していると言える。更に、もう一例挙げる。
(176) 假若 当时 这 期 杂志 到 不 了 我 手中,
もしも 当時 この CL 雑誌 到着する-NEG-LIAO 私 手中
假若 当时 我 不 曾 对 《母亲的帐单》 感 兴趣…
もしも 当時 私 NEG かつて に対して 母親の勘定書 感じる 興味
幸运 的 是 这 一切 都 没有 发生。(CCL:《读者(合订本)》)
幸運 NOM COP これ 一切の すべて ない 起こる
「もしもあの時雑誌が手に入らなければ、そして、もしもあの時『母の勘定書』に興味 を持たなければ、…幸いにもこれら全ては起こることはなかった。」
(176) のように、〈假若: もしも〉という従属節中にある〈到不了: 手に入らない〉は、可能
性の意味を読み込んだ「手に入る可能性がなければ」というのではなく、「手に入らなけれ ば」と断定的に解釈する方が自然である。なぜなら、2文目にある〈《母亲的帐单》:『母の 勘定書』〉は、雑誌の中にある一つの記事あるいはその雑誌を表しており、更に、ここでは 省略したが、(176) には、〈我认真地读了几遍后,…: 私は真剣に何度か読んだ後、…〉とい う文が続き、実際に雑誌が手に入っていることが分かるからである。よって、1文目にある 従属節では、雑誌が手に入ったか否かということを問題にしているのであり、手に入る可 能性があるか否かを問題にしているわけではないと言えよう。
次 に 、事 実 的 な事 態を 表 す 因果 複 文 の従 属節 に 現 れる 〈 非 継続 非意 志 動 詞-不 了:
-NEG-LIAOprob〉であるが、(177) のように、従属節が既実現の事態を表す場合は、勿論〈-不了: -NEG-LIAOprob〉に蓋然性の意味は読み込めない。
(177) 他 和 战士们 一起 打 篮球 时,大家 都 不 愿意
彼 と 兵士達 一緒に する バスケットボール のとき みんな 全て NEG希望する
跟 他 在 一队, 因为 同 他 一起 打 球 总也 赢 不 了。
と 彼 いる 同じチーム だから と 彼 一緒に する ボール いつも 勝つ-NEG-LIAOprob
(CCL:《读书》)
「彼と兵士達が一緒にバスケットボールをするとき、皆は彼と同じチームに入ることを 望まない。なぜなら彼と一緒にバスケットをして勝てないからだ。」
これは〈因为同他一起打球总也赢不了: なぜなら彼と一緒にバスケットをして勝ったことが ないからだ 〉というように既実現の事態を表している。しかし一方で、事実的な因果複文 の従属節に〈非継続非意志動詞-不了: -NEG-LIAOprob〉が用いられるときでも、未実現の事 態を表している場合は、〈-不了: -NEG-LIAOprob〉に蓋然性の意味が現れる。
(178)a. 因为 钥匙 丢 不 了, 所以 我 很 放心。
だから 鍵 失くす-NEG-LIAOprob 従って 私 とても 安心する
「鍵は失くなる可能性がないから、私は安心している。」
b. 因为 钥匙 不 可能 丢, 所以 我 很 放心。
だから 鍵 NEG AUX(可能性がある)失くす 従って 私 とても 安心する
「鍵は失くなる可能性はないから、私は安心している。」
(178a) の〈丢不了: 失う可能性がない〉の補語〈-不了: NEG-LIAOprob〉に蓋然性の意味が現
れるという事実は、(178b) の〈不可能丢: 失う可能性がない〉という可能性の意味を表す法 助動詞を用いた形式と言い換えられることからも分かる。
以上の議論を簡潔にまとめると次の表のようになる。
(表22)従属節における〈-不了: NEG-LIAOprob〉の蓋然性の含意
複文の種類 〈V不了〉の位置 事態の実現性の対立 蓋然性の含意
仮定的 従属節 存在しない なし
事実的
従属節 既実現 なし
従属節 未実現 あり
(表22)における要点は、事実的な複文の場合、従属節に現れる〈非継続非意志動詞-不了:
-NEG-LIAO〉は、事態が既実現の場合には蓋然性の意味が現れ難く、未実現の場合は現れ るという対応を見せるのに対して、仮定的な複文の場合は、仮定・空想的な事態を表し専ら 非現実のこととして述べられるのため、事態の実現性の対立は存在しないのにも関わらず、
蓋然性の意味が現れないという点である。そこで、この事実に対する原理は、従属節の文 らしさ(陳述度)が関わっていることを論じる。
一般的に仮定節の主節に対する従属度は非常に高い、つまり、文らしさという度合が低 い。それに対して、事実的な事態である原因節の主節に対する従属度は非常に低く、文ら しい節であるとされてきた。つまり、前者の仮定節はモダリティ的な要素を取り込み難い 節であるのに対して、後者の原因節はモダリティ的な要素を取り込みやすい節であるとい うことができる。よって、従属節という共通性はあるものの、〈非継続非意志動詞-不了:
-NEG-LIAOprob〉に蓋然性の意味が読み込めるか否かは、その環境によって異なることが分
かった。