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行為者が指示的な場合

ドキュメント内 第1章 (ページ 55-58)

第4章 <必要系>における「妥当類」

3.1 考察の枠組み

3.1.1 行為者が指示的な場合

行為者が指示的な場合では、行為者が1人称・2人称・3人称に相当する例文を全て確認 することができる。その中で、事態の主体が1人称、且つ文末表現であるものについては、

先行研究の中でも主張が分かれている。高梨(2010:127)は、「私が/君が/彼が行くべき だ」のようにベキダには人称制限がないとしている。その一方、人称制限があると指摘し たのは、森山(1992)、郷丸(1995)、森山(1997)である。

その理由について、森山(1992:32)は、「話し手が事態の制御の当事者となると同時に、

話し手がその選択における妥当性を提示することになる。つまり、話し手自身の事態の制 御の仕方について、話し手自身が判断を与えるような意味になってしまうのである。そう なれば、判断される対象と判断者が同一化することになるのであり、「自分」の意識が統一 されたものである限り、不自然な文となってしまうことになるのである」としている。26

ただし、森山(1992)でも「(この件に関しては)私が行くべきだ」というような主題内 容を補足する場合には、話者自身の判断を述べていないため、不自然ではないと指摘して いる。このような例は高梨(2010:127)が取り上げる例文に相当すると見られる。

本研究の調査においては、行為者が1人称である例は計19であるとの結果を得た。その 中の18例は、以下のように「~qの否定的評価」を含んでいると考えられる27。そう考えた

26 森山(1992:31)では「話し手が同時に事態の制御者となっていて、その事態の制御のしかた が主題として問題にされる」場合、つまり自分の意志で会議に出席することもしないこともでき る-ような場合には、「#私は今度の会議に出席するべきです」ということはできないと指摘して いる。

27 残った1例は、以下の通り。

・借りて家を見に行く。3寝室とダイニング、キッチン、暖炉もある。台所の裏口から階段を2、

指示的 行為者

行為者表示 非指示的

行為者不表示. 主題なし 主題あり

- 47 - 場合、「~qの否定的評価」の出現率は94.73%に達しているのである。

(9)今度から、こうしてファスナーに手を触れる度に、今日のことを思い出すのだろ うか。そんなのはたまらない。それなら、早くこの動作に慣れるべきだ。(『鎖』)

(10)もう決定的に、この二人は頭がおかしい。「おにーさん、どうしたの? オカカご 飯食べないの?」 皿からヒョイと顔を上げた九呂に、高広は激しくブンブンと 首を横に振った。こんな変な家からは一刻も早く立ち去るべきだ。これ以上一緒 にいたら、自分までおかしくなる。これ以上一緒にいたら、自分までおかしくな る。「いや…いいっ、俺はもう帰るっ」 (『黒ねこラブラブ注意報』)

ベキダで述べられた「早くこの動作に慣れる」、「こんな変な家からは一刻も早く立ち去 る」という事態qについては、それぞれの例における波線部の文脈によると、「~qの否定 的評価」という含意が読み取れる。

例えば(9)は、事態qの「早くこの動作に慣れる」ことが実現しない場合、「今日のこ とを思い出す」ことになる。前の文脈に見られる「そんなのはたまらない」という評価か ら理解できるのは、「今日のことを思い出す」ことが表現者にとって望ましくない事態だと いう点である。また、(10)においても、「こんな変な家からは一刻も早く立ち去る」とい う事態が実現しなければ、「自分までおかしくなる」という表現者にとって望ましくない事 態が起こることが読み取れる。このことを言い換えれば、この二つの例で示されたように

「望ましくない事態を起こしたくなければ」、必然的にqの方が選択される状況にあるとい うことである。そのため、(9)(10)のような「~qの否定評価」がある場合には、森山の 言う「[主題要素](=望ましくない事態を起こさないこと)[その主題にとっての必要事態]

(=qという事態)」という、必要性を判断する構造に相当するのではないかと考える。故 に、1人称でも用いられるのである。

次に、行為者が2人称と3人称の場合はどうであろうか。実例の割合から見れば、「~q

3段降りると糸杉で囲われたプールがある。自動タイマーが作動しているのか吸塵ロボットが プールの底を這い回ってホースを引っ張りながら動いている。プールはアルファベットの「B」

の形をしており、ジャグジー(ジェット噴流)バスもついていた。うーむ、これは買うべきだ。

不動産屋に戻ると、マネージャーがいきなり「コングラチュレーション!買うんだろ?おめで とう。俺たちプロだからね、すぐ分かったよ」という。(『シドニー郊外暮らし』)

- 48 - の否定的評価」が含まれている例もかなりの数を占めている。それぞれの出現率は、行為 者が2人称の場合が85%、行為者が3人称の場合が82.41%であった。

(11)「工藤さん」「ドラマのセリフじゃない。本気だ。こんなセリフ、ドラマでも言っ たことがないけどな」「工藤さん…」 「君はもう、こんなことをやめるべきだ。

今やめなきゃ、もう脱け出せなくなる!」28 (『三毛猫ホームズの騒霊騒動』)

(12)七月の完全失業率は五%に達したが、今後さらに上昇していくことは避けられな い。日本経済再生のために構造改革は不可欠であることは確かだが、マイナス成 長となった以上、痛みをできるだけ小さくすべきだ。 (『週刊ダイヤモンド』)

行為者が 2 人称である(11)と行為者が 3 人称の(12)はいずれも、文脈から判断すれ ば「~qの否定的評価」が含まれていると考えられる。(11)の波線部の箇所から、「(君が)

こんなことをやめなければ、もう抜け出せなくなる」という意味合いを読み取れることが できる。続いて行為者が3人称である(12)においても、「痛みをできるだけ小さくしなけ れば、マイナス成長という状況がさらに深刻になる」という意味が含まれている。

その一方で、「~qの否定的評価」が用いられていない実例も存在する。

(13)そこで、あなたは事業家としてより、もっと大きな仕事で立つべきだと私から言 って、お引き取り願ったけどね。 (『満州裏史』)

(14)日米関係については、「日本が戦後復興したことはまさに奇跡的であり、いまや国 際社会の指導国の一つになった。今後日米両国は、協力によって補完しあい、太 平洋圏の将来を切り開くべきだ。日米関係はすばらしく成熟しており、心配はな い」と楽観的な見通しを語った。 (『駐日アメリカ大使』)

これらの例には、特にqの「もっと大きな仕事でたつ」ことや「太平洋圏の将来を切り 開く」ことを実現しないと場合、何か望ましくない事態が起こるという意味は特に含まれ ていない。

上述のように行為者が指示的な場合では、「~qの否定的評価」があるか否かに分け、論

28 「行為者が指示的」である場合では、(11)のように行為者が明示されていないが、文脈上か ら行為者の人称が読み取れる場合も考察対象として扱う。

- 49 - じてきた。行為者が1人称の場合、(9)・(10)のように「~qの否定的評価」が含まれ、q の実現に対してその必要性があると判断すると考えられるため、qを実現するという<意向

>の意味用法が生じてくる。

一方、行為者が2人称と3人称の事態において、「~qの否定的評価」が含まれる場合と、

含まれていない場合が両方とも存在する。特に2人称の場合には、「~qの否定的評価」が 含まれるか否かにより、表現性が変わってくる。「qをしなければ、何らかの悪い結果を起 こす」という~qの否定的評価が含まれる場合(11)には、<忠告>という意味合いが生じて くると本稿では考える。それに対し、「~qの否定的評価」が含まれていない場合(13)に は当該事態は<提案>(勧め)として相手に提示されるに過ぎないのだと考えられる。

従来の研究では、ベキダで述べられた事態の行為者が 2 人称の場合には、<勧め>という 下位用法が用いられると指摘されてきた29。それに対して本研究では、文脈上「~qの否定 的評価」という条件が揃えば、<忠告>という意味用法が生じてくると考えるのである。

また、行為者が 3 人称の場合について、当該人物が発話時の場にいないため、このよう な表現性の分化がないと考えられる。「~qの否定的評価」が含まれるか否かに関わらず同 じく<事態の妥当性>が表されるが、含まれる方はよりその実現が望まれていると考えられ る。

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