第2章 価値判断のモダリティの体系
3. 本研究における<当為判断>
3.1.1 事態のあり方
3.1.1.1制御可能な事態
当該事態が制御可能については、「述部」で表される<自己制御性>を、まず検討する必要 がある。述部の<自己制御性>について詳細に論じたのは仁田(1988)・(1991)である。ま た、仁田の論をさらに補足した研究は、山田(2004)18がある。
仁田(1991:243)では、「自己制御性」について、「動きの主体が、自分の意志でもって、
動きの実現化を計り、動きを遂行・達成することができる、言い換えれば、動きの主体が、
動きの発生・遂行・達成を自分の意志でもっと制御することができる、といった性質であ る」と述べている。さらに、動詞の「自己制御性」を<非自己制御性>・<達成の自己制御性
>・<過程の自己制御性>という三つのタイプに分けている。本研究は、自己制御性について、
仁田(1991)の定義と分類に従いつつ、仁田(1988)と山田(2004)の成果も一部参照し て整理した。それをまとめたものが、以下の表2である。なお、「話せる」のような「可能 動詞」は「#話せるつもり」「#話せておく」「#話せるな」「#話せろう」など意志性表現と共 起できないため、<非自己制御性>の動詞と捉えている。
18 山田(2004:76)は、「病気が治る」「役員が決まる」のような無意志動詞が含まれる事態に ついて、「事態実現への何らかの努力への着手」できると指摘した。そのため、山田氏は、それ らの事態を同じく<過程の自己制御性>とし、ただし「分かる」などの内面的な努力によって実現 へのステップが踏み出せるものは、相対的に見て制御しやすく、「病気が治る」のように外的要 因に依拠するものは、制御しにくいと捉えた。
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表2:動詞による「自己制御性」の下位分類
定 義 相当する動詞
<達成の自己制御性>
動きの主体が、動きの発 生・過程だけでなく、動き の成立そのもの・動きの達 成をも自分の意志でもっ て制御できる場合
仁田(1991):行く・食べる・殴る・読む・書く など
<非自己制御性>
動きの主体が、動きの発 生・過程・達成を全く自分 の意志でもって制御でき ないような場合
仁田(1988):開く、閉まる、光る、照る、曇る、
降る、流れる、乾く、湿る、膨れる、荒れるなど
(非人間を動きの主体に取る)
可能動詞(話せるなど)
仁田(1991):呆れる・飽きる・慌てる・困るな ど
<過程の自己制御性>
動きの成立そのもの・動き の達成は自分の意志でも って制御できないが、動き の成立・達成に至る過程、
動き達成への企ては自分 の意志でもって制御でき る場合
仁田(1991):落ち着く・勝つ・合格する・しっ かりする・思い出すなど
山田(2004):「病気が治る」「役員が決まる」
この中で、典型的に制御可能な事態が表されるのは、述部が<達成の自己制御性>を持つ 場合である。例えば、(6)のような例文が想定できる。
(6)a.若者は海外に行くべきだ。 (筆者による作例)
b.「家」を全うするためには、己を充実させなければならない
(『日本人1300年・家族の知恵』) c.「君はもう、こんなことをやめるべきだ。今やめなきゃ、もう脱け出せなくな
る!」 (『三毛猫ホームズの騒霊騒動』)
- 34 - これらの例に即して言えば、(6a)(6c)では、「海外に行く」「こんなことをやめる」と いうことが、行為者の「若者」「君」にとって実現可能なことと考えられる。一方、(6b)
のような行為者が非指示的、且つ不表示の場合、「家を全うするために」という目的を持つ 行為者が想定され、その行為者にとっては「己を充実させる」ことが同様に制御可能な事 態としても認識される。
また、述部が<非自己制御性>である場合でも、当該事態が制御可能なこととして捉えら れるケースも存在する。
(7)美術館は上野にあって余りに遠すぎる。美術館は渋谷や新宿にこそ、今後あるべ きだ。
(8)首相の諮問機関である経済戦略会議の緊急提言は、実質的な財政支出額である「真 水」だけで十兆円を上回るべきだとしている。
(中畠(1998:20)による例文)
(7)における状態動詞の「ある」と、(8)における無意志動詞の「上回る」は、<非自 己制御性>の動詞に属している。ところが、(7)の「美術館がある」という状況を生み出す には、当然のこととして行為者(人)がそれを成立させなければならない。故に、「(美術 館が)今後ある」という事態は制御可能な事態としても見なすことが出来よう。なお、(8)
も同様のケースと考えられる。中畠(1998)は、「十兆円を上回る」という事態を生じさせ るために、必ず意志の発動が前提となっていると指摘している。このように、述部が<非自 己制御性>である場合でも、当該事態を実現させる上で行為者の存在が不可欠という文脈が あれば、制御可能な事態としても見なすことが出来るのである。
それに対して、述部が<過程の自己制御性>の場合であれば、「分かる」などのような行為 は達成するまで制御できないため、制御不可能な事態しか考えられない。
3.1.1.2未実現な事態
「未実現な事態」とは、発話時・判断時(今)、その自体が未だ実現していないことを意 味する。これらは事態の性質により、「未実現な行為」(9)・「未実現なコト・モノの存在」
(10)・「未実現な状態」(11)と、行為・存在・状態とに分けられる19。
19 中でも、行為の場合、一旦過去の時点で成立していると、それに反する事態を要求できなく なるという点は状態・存在と異なる。
- 35 - (9)(あなたが)大学に行くべきだ。 (筆者による作例)
(10)使い捨てカイロと手袋はあったほうがいいですね。 (「Yahoo!知恵袋」)
(11)嫁 そしたら2種類作ってみればいいんですよね。お母さんの言われたのと自分 流のを作ってみて、カッちゃんがどっちがいいかというのを。姑 そうすると、
カツノリは親が作ったのに似ているほうがいいって言うに決まってんのよ。
(『日本一勇気ある嫁』)
(9)は、発話時点では相手が大学に行くかどうかはまだ決めていないと考えられ、(10)
では、発話時点では使い捨てカイロと手袋という物が手元に存在していないと推測できる。
また、(11)では、「カツノリは親が作ったのに似ている」状態は条件文の後件として、仮 説が表されるト節の条件文に置かれるため、発話時点では未だ実現していないと考えられ る。