第2章 価値判断のモダリティの体系
2.1 日本語学における当為
高梨(1995:236)では、「当為判断」について、「ある制御可能な事態を実現させること を望ましいとか必要だとする判断のこと」と説明されている。
(1)「(略)まあ、落ち着き先がはっきりするまで、うちに泊まればいいわ。いつでも 好きな時に上京してきて」 (高梨(1995:235)による例文)
16 例えば、重見(2000)、雨宮(2000)、川蔦 (2004)、高梨(1995)(2010)、井島(2013)な どの研究が挙げられる。
- 27 - また、高梨(2010:38)は、行為者が聞き手であれば、<当為判断>からさらに次のよう な<勧め>、<忠告>、<許可>などの行為要求の機能が生じると指摘している。
(2)a.早く行くべきだよ。<勧め>
b.ここに入ってもいいよ。<許可>
c.ここに入ってはいけないよ。<否定の忠告>
(高梨(2010:38)による例文)
ところが、(2b)のような<許可>は「ここに入ってもいいですか」という相手の希望に応 じた判断として考えられるため、厳密的に言えば、相手に「ここに入る」行為を要求して いるのではないと考えられる。このことから、<許容系>が如何に<当為判断>に関わってい るのかを、更に検討する余地があると考えられる。
一方、井島(2013)では、当為の定義について特に触れていないが、当為表現を貫く基 本原理が二つあるとされている。一つは、<義務>/<許容>である。井島は当為表現の根幹に はこの対概念が存在するとしている。
(3)a.山田は大学にいかなくてはらない。<義務>
b.山田は大学に行ってはならない。<禁止(否定義務)>
c.山田は大学に行ってもいい。<許容>
d.山田は大学に行かなくてもいい。<否定の許容>
(井島(2013:143)による例文)
もう一つは<付与>/<判断>である。<付与>について、井島氏は次の例を挙げながら、現実 世界においての発話時に、話し手か聞き手かに何らかの義務や許容を付与するものである と説明している。
(4)a.君は明日七時に出勤しなければならない。 (井島(2013:143)による例文)
b.君は仕事が終ったのなら、帰ってもいい。 (井島(2013:143)による例文)
c.私は明日七時に出勤しなければならない。 (井島(2013:143)による例文)
d.私は仕事が終ったのでいつ帰ってもいい。 (井島(2013:143)による例文)
- 28 - f.転入者は一週間以内に届けを出さなければならない。
(井島(2013:144)による例文)
その中で、行為者が 1 人称の(4c)(4d)の例文に対し、井島は、「付与者が明確に存在 する場合だけではなく、法律や規則、その他の状況によって義務や許容が付加され、被付 与者に付加された状態であることを表す。そのような意味で、しばしば“客観的“表現だ と言われる」と述べている。井島(2013)の主張によれば、(4)における付与用法・被付 与用法では「と思う」は接続できないことになる。
一方、<判断>については、当該の義務や許容が存在するものかどうかを判断するもので あるため、「と思う」を接続可能であるとしている。
(5)a.君は明日七時に出勤するべきだ。 (井島(2013:143)による例文)
b.君は仕事が終わったのなら帰ったほうがいい。(井島(2013:143)による例文)
c.この愛は一時的なものだ。ゲレンデの下までたどり着き、無事に宿に帰れば、
それっきりで過ぎてしまう幻のような愛の姿だ。けれども彼は女を愛し、女を 助けなければならないと思っていた。 (石川達三『青春の蹉跌』) (井島(2013:155)による例文)
d.洋食皿に分けてもらった肉が、どんな思いで私ののどを通ったか。私は色んな 人の姿を思い浮べた。そしてみんなくだらなく思えた。松田さんと結婚をして
もいいと思った。夕食のあと、初めて松田の部屋へ遊びに行ってみる。
(林芙美子 『放浪記』)(井島(2013:155)による例文)
井島は当為表現を<義務>/<許容>と<付与>/<判断>という系列に沿ってまとめたが、それ らを整理したのが以下の図表である。
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表1:井島(2010:145)の図表六
井島によれば、義務と許容が対概念であるため、表 1 のようにベキダとホウガイイ・ト イイ・バイイ・タライイは対立することになる。その中で、ベキダとホウガイイの相違に 関しては、前者の判断内容が<義務>の有無であるのに対し、後者の判断内容が<望ましさ>
の優劣であると指摘している(p.158)。
筆者は井島の主張に対して、二つの疑問を持った。一つ目は、ベキダで述べられた「義 務」が、ホウガイイで述べられた<望ましさ>の優劣と対立していることに関しては、甚だ 疑問になる点である。二つ目は、(4)のように法律や規則が含まれる付与用法・被付与用
判 断 付 与 ベキダ
モノダ コトダ
ナケレバ ナラナイ ナクテハ イケナイ ネバ そのほか ザルヲエナイ
ナイワケニイカナイ シカナイ
肯 定
義 務
ベキデハナイ ナイモノダ ナイコトダ
ナラナイ テハ イケナイ そのほか ワケニイカナイ
否 定
ホウガイイ トイイ バイイ タライイ
テモイイ テイイ ガイイ
肯 定
許 容
ナイホウガイイ ナイトイイ ナケレバイイ ナカッタライイ
ナクテモイイ ナクテイイ
否 定
- 30 - 法は、果たして当為として見なすことが適切であろうかという点である。この 2 点の疑問 を考えつつ、当為の概念を再検討する必要があるのではないだろうか。