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てはいけない

ドキュメント内 第1章 (ページ 120-125)

第5章 <必要系>における「必要類」

2.1 てはいけない

本研究では、テハイケナイにはテハという順接が含まれるため、テモイイ・ナクテモイ イに含まれた逆接とは対立関係があると考えている。坂田・倉持(1993)は、同じ順接が 含まれるテハイケナイとナケレバナラナイについて、(1)と(2)のように対応すると指摘 している。筆者はこれと同じ立場に立ち、両者が同じく<必要妥当系>の「必要類」に属す と考える。また、テハイケナイの基本義を「当該事態の実現しないことが必要である」と する。

(1)あまり夜ふかしをしてはいけない。

(2)夜ふかしをしないようにしなければならない。

(坂田・倉持(1993:216)(下線部が筆者))

テハイケナイについては、蓮沼(1987)・坂田・倉持(1993)・日本語記述文法研究会(2009)

などの先行研究が指摘した通り、「禁止」の意味であると一般的に認識されてきた。その中 で、<禁止>を表す形式の一つとして位置付ける研究(坂田・倉持(1993))と、<禁止>の周 辺的な用法と共通点があるとした研究(蓮沼(1987)日本語記述文法研究会(2009)高梨

(2010))とに分かれている。

先行研究から見れば、テハイケナイは「禁止」という概念と密接的に関わると言える。

次節では、先行研究において、テハイケナイがいかに<禁止>と関連して論じられているの かという点を明らかにしたい。その上で、禁止表現のスルナにも触れながら、考察を進め

- 112 - る。

2.1.1<禁止>

テハイケナイの意味用法を「禁止」という概念で説明してきた従来の研究の中で、テハ イケナイの基本義を禁止と捉えたのは、坂田・倉持(1993)である。一方、テハイケナイ で表された<禁止>を、行為者が2人称の時に生じる下位分類として捉えたのは、蓮沼(1987)、 日本語記述文法研究会(2009)、高梨(2010)である。

例えば、蓮沼(1987:5)では、「~テハイケナイ/ナラナイ」は<禁止>、或いは<回避の 必要性>といった伝達的意味を担うとされている。日本語記述文法研究会(2009:129)も、

テハイケナイについて、「その事態が聞き手の行為であれば、聞き手にその行為を禁止する 文として機能する。」とする。

(3)ここは今僕がペンキを塗ったばかりだから、触ってはいけない。

(日本語記述文法研究会(2009:129))

一方、最も典型的な禁止表現とされるのは、スルナという否定的命令の形式である。ス ルナとテハイケナイが表す禁止の意味の違いについて、日本語記述文法研究(2009)では、

個人的な希望によって禁止する場合はスルナの方がより自然であり、テハイケナイはやや 不自然となると指摘されている。

(4)a.[恋人に]もうどこにも行くな。

b.[恋人に]?もうどこにも行ってはいけない。

(日本語記述文法研究会(2009:129))

また、高梨(2010:209)では、聞き手への配慮があるか否かで区別し、<禁止>を<否定 の命令>(スルナ)と<否定の忠告>(「テハイケナイ」)のように分類する。そして前者は話 し手にとっての有益性なものが基盤になっており、後者は聞き手が悪い結果に陥らないよ うに注意を促す機能であると述べている。

(5)カオル「今ときめいたな」

ウシ「・・・・・」

- 113 - カオル「とぼけるなよ。俺にはわかる。そういうきたならしい目つきで俺のソノ

コ君を見つめるな!虫酸が走る」 (高梨(2010:209))

(6)俺のソノコ君を見つめちゃいけない。 (高梨(2010:210))

ところが、禁止という概念は、そもそも「否定の命令」として認識されている。高梨氏 が言及された「否定の忠告」という概念は意味上から考えれば、むしろ「-しないほうがい い」に近いものではないかと考えられる。この点から、テハイケナイはスルナと同じく、<

禁止>という枠組みで捉えられるのか否かという疑問を強く感じざるを得ない。よって、テ ハイケナイと「否定の命令」の関連性について、さらに検討の必要性を感じる。

3.考察

否定命令のスルナは、相手の行動を禁止する行為遂行の機能が働いているため、思考動 詞の「思う」と共起できない特徴がある。

(7)??(恋人に)「もうどこにも行くなと思う」 (筆者による作例)

一方、「必要類」のテハイケナイはナケレバナラナイと同様に事態の行為者が2人称且つ 表現者(判断者)が絶対的な権利を持つ場合には、「と思う」と共起することが難しい。

(8)a.諸君と同じ仏教徒であらせられる。ウソはいけない。外国人をあなたたちはだ ましてはいけない。先生にそのことが知れたら、鉄挙制裁がふりかかる。まあ君 たちは一撃でおだぶつだな。 (『スリランカで午後の紅茶を』」) b. ??諸君と同じ仏教徒であらせられる。ウソはいけない。外国人をあなたたちは だましてはいけないと思う。先生にそのことが知れたら、鉄挙制裁がふりかかる。

まあ君たちは一撃でおだぶつだな。 (筆者による作例)

例えば(8a)では、「先生対生徒」という上下関係が存在するうえ、波線部の「先生にそ のことが知れたら、鉄挙制裁がふりかかる。まあ君たちは一撃でおだぶつだな」の箇所か ら理解できることは、「qをすれば、君達を罰する」というqの否定的評価をもたらす行為 者が、表現者自身という点である。そのため、行為者が 2 人称、かつ表現者が絶対的な権

- 114 - 利を持つという場合には、<否定の忠告>として解釈することは難しくなり、<否定の命令>

として考える方が適切だと言えるだろう。

本節では、このように「と思う」と共起できるか否かという点を手掛かりにして、他に どんな場合に「と思う」と共起できないのかを検討することで、否定命令との関連を明ら かにしていく。「と思う」と共起できるか否かという点は、叙述された判断が「現場的行為 指示・非現場的行為指示」に関わっているからだと考えられる。そのため、その点を軸に おいて考察を進めたい。なお、テハイケナイとスルナの共通点を究明するためには、先ず 3.1節で両者の違いを予め確認しなければならない。その後、当該事態を「非現場的行為指 示」(3.2節)と「現場的行為指示」(3.3節)とに分け、特に否定命令を表すことの出来る 行為者が2人称の場合に着目し、考察を行っていく。

3.1「するな」との違い

否定命令文のスルナについて詳しく論じたのは佐藤(2013)である。この節では、まず 氏の説明を引用しながら、スルナの意味やその特徴をおさえていく。

佐藤(2013:25)では否定命令文の「な」について、命令文の相手みずからが引き起こ す側面を有する動作・事態を表す、また、命令文の相手の努力で動作・事態の実現を回避 できる(と話し手が想定している)と述べられている。

(9)a.「今日から赤の他人や。もうウチに来るな」

b.(迫って来る男に)「寄るな、あぶねえぞ」

c.(ある人物の発言に対し)「みんな騙されるな」

(佐藤(2013)による例文)

また、主語には無情物、かつ動作の主語が来られる場合は、<願望>58の機能が見られると 指摘される。

(10)a.車の中で頬のマッサージをした。下がるな、下がるな、とおまじないをかけな がら。

b.(空を見上げて)明日は降るなよ。59 (佐藤(2013)による例文)

58 仁田(1991)(2014)も命令形は主語に関わる意図性を有していることから、<命令>と<願望>

に区分するとしている。

59 佐藤氏はこのような例文の動作回避の可能性について、相手が非情物であるため、相手の努 力で回避できると判定しづらいことがあるとしている。ところで、氏の論によれば、頬、雨が擬

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そして佐藤は、動作が完了している場合においても用いられることを指摘している。

(11)a.(突然現れた相手に)「うわあ、急に現れるなよ。話が佳境に入ってるんだから。」

b.(あの人はドラ息子だという発言に対し)「失礼なことをぬかすな」

c.(あなたから借りていた時計をなくしてしまったと告げられ)「なくすなよ」

(佐藤(2013)による例文)

(11)について佐藤は「この種の否定命令文は、話者が、既におきた当該の望ましくない 事態が実現する瞬間を想起し、事態の実現回避に対する要求的態度を、自身の過去に対す る理想として相手に提示しているのである」と述べている。

また、佐藤は(11c)について、「時計がみつかってない状態で再び同じ時計をなくすな どということはまず考えられない」とし、(11b)における「失礼なことをぬかす」ことは 日常的にみられるため、発話以降でも起こる可能性が十分に見込まれるという点で違いが あるとする。

以上の佐藤の考察からスルナに関しては、制御不可能な事態と既実現の事態とが共起で きることが分かった。

それに対し、テハイケナイには、行為者が想定できない制御不可能な事態が用いること が出来ない。

(12)??(空を見上げて)明日は降ってはいけないよ。 (筆者による作例)

テハイケナイは(12)が示したように、事態の存在においては、行為者が存在し得ない 自然現象と共起できないのである。一方、(11)のような既実現の事態においては、テハイ ケナイが用いられる場合と用いられない場合と区分することが出来る。

(13)a.(突然現れた相手に)

??「うわあ、急に現れてはいけないよ。話が佳境に入ってるんだから。」

b.(あの人はドラ息子だという発言に対し)

人化されているとみなすことができる。そのため、話者が頬、雨に「下がる」「降る」動作の実 現を回避する能力があると想定していることが考えられる。

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