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非現場的・現場的行為指示

ドキュメント内 第1章 (ページ 125-130)

第5章 <必要系>における「必要類」

3.2 非現場的・現場的行為指示

本研究では行為指示の中で、行為者が会話の場にいる(1人称と2人称)、かつ、当該行 為(事態)の実現が「発話時(今)」に要求される場合には、それを「現場的行為指示」と する。逆に、それ以外の場合は「非現場的行為指示」とする。次節から当該事態を非現場 的・現場的行為指示に分け、考察を行っていく。

3.2.1非現場的行為指示

非現場的行為指示の場合は、当該事態の実現が要請される時点は発話時以降である。ま た、以下の例で示したように、事態の行為者はどの人称であっても想定可能である。

(14)a.なぜ愛氏はもどらないのか。ジンさんは前科者だっていう噂を思い出した。ク ッキーの作り方もパンの焼き方も、刑務所で習ったというミヤコさんの低い声に 行き当たった。思いをたぐり寄せてはいけない。 (『日の湖月の森』) b.「わかったろう。イスナーさん。彼女に思い出させてはいけないんだ。もし失

われた記憶がもどったとしたら、その瞬間に彼女の精神は破壊されてしまうだろ うよ」 (『北緯50度に消ゆ』)

c.(前略)、良い成績で私立中学に合格。本人は満足していました。それが間もな

- 117 - く気持ち悪い、吐き気がすると言い出し、休み始めたのである。(中略)もともと この息子は、クラスの中でうまく適応しきれていない、彼にとっては相当高い壁 を抱えているわけです。それを通学距離が長いとか、環境の悪い電車のため吐き 気がするとか、いろいろな理由をつけてなんとかしていた。そういうことを暴い てはいけないのです。そんなに通学しやすい環境を整えてしまうべきではないの

です。 (『「家族」はこわい』) d.父親というのは普段はそれほど存在を誇示しなくてもいい。しかし、こういう

家族の行事や、いろいろな家族的な生活の場では父親として家族の中心をなす必 要がある。そのためには、やはり父親は家族への、心配り、目配りを忘れてはい けない。 (『いま家族しか子供を守れない』)

行為者が1人称である(14a)において「思いをたぐり寄せるコト」とは、表現者がこれ からそうならないように努力しようとする判断が示されている。また、行為者が 2 人称で ある(14b)も同様に、「彼女に思い出させない」という事態の実現は発話時(今)に要請 されているのではなく、今後の相手の行動を警告しようとしているのである。また、事態 の行為者が 3 人称の(14c)と、行為者が非指示的場合の(14d)においては、行為者が発 話現場にいないことから、当該事態の実現を要求するのが発話時であることは想定しにく い。このようにこれらの事態は、いずれも「非現場的行為指示」に属する。

また、幾つか着目してほしい点に言及したい。まず事態の行為者が1人称の場合にのみ、

(14a)における「思いをたぐり寄せる」のような心的状態が表されることと同時に、制御 不可能な事態としても見なされることである。このことに関して、否定命令文のスルナに おいても、同じ共起現象が確認できる。高(2015:48)では、「慌てるな」「驚くな」「苦し むな」について、「意志動詞のように主体の動作を禁ずる意味ではなく、望ましくない動作 への注意を促す意味で用いられるため、本来の禁止の意味とは異なる」と指摘されている。

この解釈は、(14a)にも同様に当てはまると考える。

次に、テハイケナイには例文の波線部の箇所で示された通り、「qの否定的評価」が含意 されている。例えば、(15b)から分かることは「彼女に思い出させる」ことが成立した場 合、波線部の「その瞬間に彼女の精神は破壊されてしまう」という望ましくない事態も共 に実現せざるをえない点である。そのため、事態の行為者が2人称のような(14b)の場合 には、<否定の忠告>という機能が生じるのである。

- 118 - そして、こういった「非現場的行為指示」の場合には、次のように表現者の判断内容が 表される「と思う」と共起可能になる。

(15)a.クッキーの作り方もパンの焼き方も、刑務所で習ったというミヤコさんの低い 声に行き当たった。思いをたぐり寄せてはいけないと思う。

b. わかったろう。イスナーさん。彼女に思い出させてはいけないと思うんだ。

c.そういうことを暴いてはいけないと思うのです。そんなに通学しやすい環境を 整えてしまうべきではないのです。

d.そのためには、やはり父親は家族への、心配り、目配りを忘れてはいけないと 思う。 (筆者による作例)

以上のように、非現場的行為指示の場合には、「と思う」と共起できる点で否定的命令と は異なっていることが分かる。では、「現場的行為指示」の場合はどうであろうか。

3.2.2現場的行為指示

本研究における「現場的行為指示」とは、事態の行為者が発話現場にいる、かつ当該事 態の実現が「発話時(今)」に要求される場合を指している。発話現場にいるという条件か ら考えれば、この場合には事態の行為者が1 人称か 2 人称しか想定出来ない。ここでは、

まず事態の行為者が1人称の場合から見ていこう。

(16)じゃまをしてはいけない、と思いながら、好奇心に勝てず、私は医者の大きな箱 に近づいた。 (『かがやく水の時代』)

(17)何かの衝動が私を駆り立てた。この光景を壊してはいけない。しかし、あの友己

に何か声をかけたくなった。あの笑顔がどうしても欲しくなった。

(『もうひとつのラブソング』)

(18)自分自身を情けなく思うというより、あわれで、かわいそうで仕方ないのでした。

「こんなことで、へこたれてはいけない」と自分を力づけ、元気づけなければ食 べ物が喉を通らないのです。 (『死刑囚からの恋うた』)

(19)―騙されてはいけない。 根っからの悪党なのだから、この男は。(『二階の沈黙』)

これらの例文における当該事態は、いずれも「現場的行為指示」として考えられる。例

- 119 - えば(17)・(18)・(19)では、当該事態の「この光景を壊す」・「こんなことでへこたれる」・

「(この男に)騙される」の中にコノ・コンナという指示詞が用いられている点から、当該 事態の非実現が「今」まさに要求されていることが分かる。

また、これらの例はいずれも「qの否定的評価」が含意されていることが分かる。文脈 上には明示されていないが、(16)・(17)の「邪魔する」と「この光景を壊す」ことが実現 された場合、他人に迷惑をかけることが想定される。一方、(18)・(19)では、波線部から

「qの否定的評価」が読み取れる。例えば、(19)では、波線部の「悪党なこの男に騙され たら(q)、酷い目に遭う」という否定的評価が含まれていることが読み取れるはずである。

このような行為者が 1 人称の場合には、日本語記述文法研究会(2003)と田中(2010)

では、「言い聞かせ」60の機能があるとされる。田中(2010:356)は、その機能が自分に義 務的な行為を意識させる「暗示」であるとする。即ち、テハイケナイで述べられた事態の 行為者が1人称の場合には、独話によって意志が表されているのである。

ところで、興味深いのは、制御可能な事態の場合、(16)・(17)の波線部、「好奇心に勝 てず、私は医者の大きな箱に近づいた」と「しかし、あの友己に何か声をかけたくなった。

あの笑顔がどうしても欲しくなった」から理解できるように、「じゃまをしたい」「この光 景を壊したい」という表現者の本音が含まれている点である。それに対し、制御不可能な 事態である(18)・(19)には、「へこたれる」こと、「騙される」ことがいずれも表現者に とって望ましくない事態として考えられるため、制御可能な事態の場合と異なり、qをし たいという本音は含まれていない。このような当該事態の行為者が 1 人称、かつ、制御不 可能な事態の場合には、望ましくない事態を避けようとする<決意>が表されている。高

(2015:51)では、このような主体の無意識・不注意による動作については、「失ってはい けない」・「遅れてはいけない」というのが主体の意志が強く働いている文であるとされて いる。それに対して制御可能な事態の場合には、本音と出された判断が分岐しているとい う特徴があるため、単なる<意志の表出>として考えられる。

安達(1999:77,78)では、独話における意志の文は「意志の表出」と「決意の表明」と に分けられている61。前者について、「話し手が聞き手に伝達するという意図を持たず、発

60 「言い聞かせ」という概念について、「ノダ文」から詳細な説明を行ったは名嶋(2003)であ る。名嶋(2003:240)では、「言い聞かせようなニュアンスを伴う」というノダ文について、「規 範性をもつ「一般常識」や「社会通念」などの第三者に帰属する思考を「聞き手の側から見た解 釈として」提示し、それを受け入れさせることによって「物事の道理」を納得させようとしてい るからと考えられる」と述べられている。

61 安達(1999)はこの分け方に基づいて、「しよう」と「する」の違いを論じている。

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