第5章 <必要系>における「必要類」
2.1 なければならない
価値判断のモダリティでは、ナケレバナラナイは最も頻繁に言及されてきた形式である
(丹羽(1991)高梨(2010)須田(1991)中畠(2002)など)。その中で意味用法の定義に ついては、高梨(2010)のように、ナケレバナラナイの形式自体の意味をそのまま「その
- 99 - 事態が実現しないことが許容されない」とする研究が見られる一方、丹羽(1991)が取り 上げた「状況からの要請」というような文脈との関わりに注目した研究もある。また、要 請する主体のみならず、要請される客体が何(誰)であるかの違いにより、詳しくその意 味用法を検討した研究としては中畠(2002)がある。
中畠(2002:20)
(ⅰ)これは大変なことになった。早く脱出しなければならない。
(ⅱ)こんな成績だったから、私はどこかのやさしい関西の私大にでも行けばよかった が、親が旧制高校を受けねばいけぬという。
(ⅲ)「二十一世紀には何としてもこの悲願を達成しなくてはなりません」と秋葉市長 は訴えた。
(ⅳ)私の湯呑みの条件は、書斎へ持って入るものだからまずたっぷり入る大きなもの、
そしてそそっかしい私が机の上で引っくり返さないよう、坐りの良いもの、とこ れだけの必要を充たしてくれなければならないのである。
(ⅴ)プロ将棋指しになるにはまず奨励会という組織に加わらなければならない。
(ⅵ)会社や個人事業者は、売り上げ分の消費税から仕入れにかかった消費税を差し引 いた分を税務署に納めなければならない。
中畠氏の説明は明快で分りやすい。要請側の「道理」と「法理・人倫」という分け方は やや不明であるが、筆者は(v)・(vi)のような場合は、同じく表現者以外の判断に属する「知 識表明文」だと考える。
本研究は中畠氏による下位分類を認める上で、ナケレバナラナイの基本義を「当該事態 の実現が必要である」とする。また、(v)・(vi)に関しては<当為判断>とは見なせないため、
要請者 被要請者
話し手 道理 法理・人倫
意志志性の者
話し手 (i)意欲 (v)必 須 の 条
件・必然の帰結
(vi)義務
聞き手 (ii)指図
一般 (iii)呼びかけ
非意志性のもの・こと (iv)理想
- 100 - (ⅰ)・(ⅱ)・(ⅲ)・(ⅳ)とは一線を画すことにしたい。
2.2「なければならない」と「ざるを得ない」
ナケレバナラナイとザルヲエナイの基本義については、日本語記述文法学会(2009)や 丹羽(1991)などが参考になる。具体的には両者の基本義について、ナケレバナラナイを
「状況からの要請」とされ、ザルヲエナイを「状況からの不可避」54としている。また、両 者の価値判断のモダリティにおける位置付けについては、同じ枠の下で捉える研究がある 一方、異なる枠の中で捉えようとする研究もある。前者については、例えば、益岡(2007)
は両者とも「必要類」としている。また、高梨(2010)も同じ「必要妥当類」としている。
第2 章では既に触れているが、ザルヲエナイで述べた事態の行為者には 2人称が取れない ため、果たしてナケレバナラナイと同じ分類で捉えることが適切なのかと筆者には疑問に 感じざるを得ない。
一方、後者については森山(1997)の研究がある。両者の違いについて森山(1997)は、
未実現な事態の選択形式の一つとして、ナケレバラナイは「絶対的価値付与型」、類似表現 のザルヲエナイは「選択無余地型」であるとしている。ザルヲエナイは以下のように反対 の文脈を続けることができないが、ナケレバナラナイはそれが可能だからである。
(5)*出頭に応じない以上、彼は逃げるつもりだと判断せざるを得なかった。が、あえ て私はそうは判断しなかった。
(6)出頭に応じない以上、彼は逃げるつもりだと判断しなければならなかった。が、
あえて私はそうは判断しなかった。
(森山(1997:115)による例文)
この点について、益岡(2007)高梨(2010)などの研究もザルヲエナイがタ形になった 場合、当該事態qは必然的に事実の事態が述べられる一方で、ナケレバナラナイがタ形に
54 ザルヲエナイについて日本語記述文法研究会(2009)は、その事態の実現が不可避なもの、
必然的なものであり、また多くの場合、その事態の実現が行為者の意向や気持ちに反することが 多いと述べている
・体調がわるいのだが、今日は会議があるので、出勤せざるを得ない。(日本語記述文法学会
(2009:114)
日本語記述文法研究会(2009)ではザルヲエナイについて、「事情やなりゆきなど外的要因に よって不可避であることを表す」と述べている。本稿では、それに従い、ザルヲエナイを「状況 からの不可避」と定義する。例文を検討していく。
- 101 - なると、事実が表される場合と非現実が表される場合とに分かれるとしている。具体的に は、ザルヲエナカッタで事実が述べられた後では、それを取り消せないのに対し、ナケレ バナラナカッタでは述べられた当該事態が実現されなかったケースが有りうる。ところが、
以下のような例文は森山の理論によっては解釈が難しいと思われる。
(7)マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さんも 働かなければならない。でも、その奥さんはあえて働かないことにした。
(8)マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さんも 働かざるを得ない。でも、その奥さんはあえて働かないことにした。
(筆者による作例)
(7)・(8)の例文から、森山による「選択無余地型」と「絶対的価値付与型」という分 類法は全ての事例を包括してはいないと言わざるを得ないのである。よって、両者の違い は改めて検討する必要があると考える。
3.考察
考察を整理して進めるために、まず両者とも用いられるケースと、片方しか用いられな いケースとに分けて検討を始めたい。ナケレバナラナイとザルヲエナイは、次のような文 脈であれば双方とも用いることが出来る。
(9)a.マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さん も働かなければならない。 (『欲望の戦後史』) b.マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さん
も働ざるを得ない。 (筆者による作例)
ところが、次のような文脈ではザルヲエナイのみ、用いることは出来ないのである。
(10)a.自分の足で立って,逃げることができるようになるだけで,ずいぶんとそのリ スクは軽減されることが予想されるが,乳幼児は自己防衛の手段を持たない,
親の保護や愛情を必要とするこの時期の虐待はなんとしてもなくさなければな
- 102 - らない。 (『子供への最大の人権侵害』)
b.??乳幼児は自己防衛の手段を持たない,(前略)親の保護や愛情を必要とするこ の時期の虐待はなんとしてもなくさざるをえない。 (筆者による作例)
従来の研究における、「状況からの要請」と「状況からの不可避」という意味解釈は、(10)
の違いを説明しにくくしていると考える。波線部の「乳幼児が自己防衛の手段を持たない」
ために、「乳幼児の時期の虐待はなんとしてもなくす」という事態の発生は、理屈上「状況 からの不可避」としても解釈できるはずである。それにもかかわらずザルヲエナイのみが 用いられないのはなぜであろうか。
本研究では、(9)・(10)において表れた差異に基づいて、当該事態には行為者の「意図 性」が含まれるか否かという点で対立するのだと考える。次節では、この「意図性」につ いて詳しく論じていこうと思う。