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既定の仮説

ドキュメント内 第1章 (ページ 138-145)

第5章 <必要系>における「必要類」

3.3 結論

2.1.2 仮定的レアリティー

2.1.2.2 既定の仮説

ナケレバナラナイとベキダは、共に「既定の仮説」を表すことが出来る。それぞれの出 現率であるが、ナケレバナラナイは 37.1%である一方、ベキダは 93.18%という大きな差 が存在する。

66 ナケレバナラナイとハズダの共通点については、先行研究でもしばしば論じられてきた。

田村(1999)は、ナケレバナラナイの意味用法では「推論・推測の結果、必然的な帰結として 導き出される判断を表す」なら、ハズダと置き換えられると説明している。

・大正の生まれだというのが本当なら、もう還暦を過ぎていなければならない・るはずだ。

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「バ節とベキダ」

(15)このノッチ音を車両取扱説明書などに記載されている規定値と比較してみればよ い。規定値よりも長くなっていれば、シューの点検を考えるべきだ。

(『クルマの整備はむずかしくない』)

(16)現状に疑問や憤りを感じていれば、なおさら見習うべきだろう。

(『プロレス裏実況』)

「バ節とナケレバナラナイ」

(17)人から命令されたのでなく、自ら決めたことであれば、必ずやり遂げなければな らないと思う。 (『日本経営品質賞とは何か』)

(18)しかし、「長期間いると被曝する可能性が高まるので、今は三か月で交代となって いますが、汚染が激しいならば、滞在期間を短くしなければならないと思う」と 中村議員は語る。 (『ぼくがイラクへ行った理由』)

これらの例文の中には、前件は「状態」を表す述語である、(15)の「長くなっている」、

(16)の「感じている」の他、事柄の性質あるいは人・物の存在を表すものである、(17)

の「自ら決めたことである」、(18)の「汚染が激しい」が含まれている。「現在」に関わる 状態・存在を仮に真実であるとして、判断を出すのが「既定の仮説」である。

例えば、「バ節とベキダ」の(16)は、「現状に疑問や憤りを感じている」という現在の 心的状態について、「なおさら見習う」という判断をし、それを実行する必要性を述べてい る。また、「バ節とナケレバナラナイ」である(18)の「汚染が激しい」という状態が真で ある場合、「滞在期間を短くする」と判断した。このようにバ節と共起した場合には、ベキ ダとナケレバナラナイは双方とも「既定の仮説」が用いられることが分かった。が、ベキ ダのみが「既定の仮説」に偏っているのはなぜであろうか。次節では、この点について説 明を行っていきたい。

3.結論

以下では、本研究の分類、そして、考察の結果を整理したい。なお、便宜上、「バ・ナ」

という表記はバ節と共起したナケレバナラナイの場合を指し示すとし、「バ・ベ」はバ節と 共起したベキダの場合を指し示すこととする。また、「×」とはそれに該当するケースが見

- 131 - 当たらないことを意味する。

表1:レアリティーに基づく分類(筆者作成)

レアリティー

「バ・ナ」 「バ・ベ」

前件 後件

条 件 的 用 法

仮 定 的

仮 説

未定の仮定 仮 説 50例(40.32%) 3例(6.82%)

既定の仮定 仮 説 46例(37.10%) 41例(93.18%)

非 仮 定 的

一般・恒常 (不問) (不問) 28例(22.58%) × 反復・習慣 事 実 事 実 × ×

合計 124例 44例

調査の結果に従い、特に価値判断のレベルでは、ベキダとナケレバナラナイの相違点に ついてはバ節と共起した前件p「既定の仮定」に偏るか否かにより、ナケレバナラナイは このような偏りがない一方で、ベキダはこのような偏りがあるという結果を得た。また、

ベキダには、未定の仮説が表される用例は僅か3であった。なぜこういった差異が出てい るのであろうか。

この点については、まず未実現の事態が含まれる未定の仮説から説明を行っていきたい。

未定の仮説には、pとqの間に必然的な関連性があると考えられる。そのため、必然性が 表されるナケレバナラナイとの意味が合致しており、「pすればqなければならない」とい う文では、pが成立するためには、表現者によってナケレバナラナイでqが必然的な帰結 として提示されている。

井上(1983)は「ば―動作性」の後件に「働きかけ」を続けることが適さない理由につ いて、「S1の表す事柄が起こることが前提とならなければ、S2の命令が出来ない」として

- 132 - いる。命令文と同じく行為要求として表される価値判断のモダリティも同様のケースだと 考えられる。

必然性を表すナケレバナラナイと異なり、妥当性を表すベキダで述べられた事態qには、

必ずpという前提が含まれるという意味が含まれていないと考えられる。よって、ベキダ は、「pすればqをする」のような未定の仮説による行為要求を表しにくいのである。

それに対し、既定の仮説の場合には、qの成立が必然的に既実現である事態pには依存 していない。そのため、ベキダも用いることが可能である。pからの帰結ではなく、qは 表現者による判断として見なすことができるであろう。稲葉(1990)は「ば―状態性」が 後件に「意欲文」「命令・依頼文」が続く理由について、「前件が状態性とは、話者や聞き 手の意志に関係なく、ある事柄が存在するかしないかを表す。また、前件が、「話者の意志 で制御できないような事柄」というのは、条件の実現性が話者の意志に左右されないとい う意味では、状態性と同じだと説明している。言い換えれば、未定の仮説とは異なり、「p していれば、qすべきだ」のような既定の仮説には、ベキダによる判断領域がqしか及ば ないのである。よって、問題なく用いられるのである。このように、必然性が表されるナ ケレバナラナイと、妥当性が表されるベキダの意味上の違いは、条件節バとの共起関係の 相違によるものと言えよう。

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第7章 <許容系>

Ⅰ 「てもいい」

1.はじめに

本研究は、テモイイの基本義を、先行研究で示した「当該事態が許容されていることを 表す」に沿った上で、さらに「対立事態許容型」と「並立事態許容型」とに分けることに する。この分類の下で考察を進め、テモイイがいかに<当為判断>と関連しているのかを明 らかにする。

2.先行研究 2.1「てもいい」

森山(1997)では、「未実現の事態についての選択コメント」と呼ぶモデルの中で、価値 判断のモダリティを統一的に捉えている。その体系の中で、テモイイは「一つの事態選択 に価値付与するという意味から離れ、選択の自由度を増やすという意味だからである。選 択事態のリストに自由な選択候補を附加する」という理由から、「選択候補附加型」として 位置づけている。そして、森山は以下のように同形式の否定的意味を並立させることが可 能だと指摘している。

(1)~してもいいし、~しなくてもいい。

また、テモイイの基本義について、高梨(2010)は、「「ても」で逆条件の読みが優先さ れることに並行し、通常は「許容」と解釈されると指摘し、「当該事態が許容されることを 表す」と定義している。本研究は、以上の先行研究の説明を認め、特に高梨の説明に基づ いてテモイイの基本義を「当該事態が許容されることを表す」と定義する。ただし、本研 究では、(1)のような肯定・否定の事態が両者とも許容される場合には、<当為判断>とし て捉えることは難しいと考える。ところが、従来の研究では、価値判断のモダリティの中 心的概念として、<当為判断>が存在するとされてきた。よって、<当為判断>の観点からテ モイイを再検討する余地がある。次節で従来の研究からテモイイと<当為判断>の関連を取

- 134 - り上げ、その問題点を明らかにしたい。

2.1.1<当為判断>との関連

高梨(2010)は<当為判断>であるケースの中で、行為者が 2 人称の場合には、行為要求 の機能が生じると指摘している。この基準から推し測ると、当該事態が制御可能でかつ未 実現の場合に行為者が 2 人称であれば、どのような価値判断のモダリティによる文であっ ても行為要求を表すと考えられる。

しかし、例えばテモイイとベキダによって表される行為者が 2 人称の文においては、次 のような違いが認められる。

(2)あなたが行くべきだと思う。 (筆者による作例)

(3)そうすべきではないと思うが、あなたがそうしたいのなら、そうしてもいい。

(筆者による作例)

(2)のようなベキダで表される2人称行為者の文では、相手に「『行く』のが望ましい」

という話し手の判断を示しており、その行為を実現に移すという行為要求に出されるもの と考えられる。事態の実現が表現者にとって望ましいことである点は、ベキダの文が「と 思う」と共起するところからも確認できる。一方、(3)のテモイイの文の場合、波線部「そ うすべきではないと思うが」の箇所から分かることは、「そうする」ことは表現者にとって 望ましくない事態が予想される点であろう。この場合、テモイイで述べられた事態は、単 に相手の要求に応じ、事態の実現が許容されているといった「許可」を与えているに過ぎ ない。このような許可が行為要求であるか否かという点については、筆者は甚だ疑問であ る。行為要求として考えにくい点から、<許可>は厳密には<当為判断>と見なせないと考え られる。

ところが、テモイイで述べられた事態の行為者が 2 人称である実例においては、次のよ うな例は<許可>とは考えにくい。

(4)「こんばんは、顔の赤いバラさん」「こんばんは、顔の黒いモグラくん。」「バラさ

ん、なぜ、上ばかり見ているの。たまには、ぼくらのいる下を見てくれてもいい と思うよ。」「だって、空はおもしろいもの」(『クレヨン王国森のクリスマス物語』)

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