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ある望ましい事態を実現するため、事態qの実現が望ましい

ドキュメント内 第1章 (ページ 96-99)

第4章 <必要系>における「妥当類」

3.1 差異比較構文

3.1.2 ある望ましい事態を実現するため、事態qの実現が望ましい

- 87 - のね」の箇所から理解できることは、「いつもこれくらいで帰れる(q)」という事態は偽 である点であろう。また、(18)の「たびたび伺える(q)」コトに対して、実際の「仕事 しているものですから出にくい」という現状から判断して、同じく偽であることが分かる。

(19)も同じく、波線部の「もしいたとしたら、うわさに敏感なあなたたちが、知らない はずないでしょ?」という箇所から判断して、実際には「そんな男の人はいない」ことが 分かる。この場合、「帰れる」や「伺える」のような可能動詞がしばしば用いられる。つま り、行為者は帰る・伺うなどが本来は可能であるが、過去のある時点で何らかの状況によ って、この動作が一時期不可能となったのである48。ゆえに、反事実で表された願望は、残 念・後悔・申し訳ないなどの含意が含まれていると考えられる。このように、3形式が反事 実を表す願望が用いられることに関しては、従来の研究では言及が見られないため、興味 深い点だと言える。上述のように動機づけが存在しない「単なる望ましい事態q」につい ては、本研究は以下図2のような下位分類が存在すると考える。

図2:「単に事態qの実現が望ましい」における下位分類(筆者作成)

- 88 - 共起される。

(20)油揚げも厚揚げも油抜きしてから料理してね。油は調味料をしみにくくさせるの で、味をよくするために、余分な油を落とし、油のアクも取ってから料理すると いいのよ。 (『「台所おばあちゃん」の料理秘伝』)

(21)剝がすときには、糊面全体でべったり貼りついているわけではなく、いわば球の 表面で支えられているだけだから、簡単に剝がれてくる、というわけだ。しっか り貼りつけたいときには、対象物に強く押しつけてやればいい。

(『人・ひんと・ヒット』)

(22)どうすればそこから脱却できるかじゃなくて、具体的に「なりたい自分」のイメ ージを常に持っていることが大切だと思います。人間はいきなり変われないんだ から、少しずつなりたい自分へ近づくために意識した生活を送ったらいいと思い ます。二十二歳 大学生より。 (「Yahoo!知恵袋」)

(20)の「味をよくするために」、(21)の「しっかり貼りつけたいときには」、(22)の

「少しずつなりたい自分へ近づくために」は、いずれも当該事態qの実現に関わる動機付

けZ「ある望ましい事態を実現する」として解釈することができる。これらの例には、例え

ば「しっかり貼り付けたければ(Z)、対象物に強く押し付けてやる(q)」という「Z(=

帰結)ならばq(条件)」(=(q(条件)ならば、Z(帰結)))のような条件が読み取れる。

ところがこれは、当該事態qがその目的を達成する唯一の手段としては考えにくい。なぜ なら、「余分な油を落とし、油のアクも取ってから料理しないと(~q)、味がよくない(~

Z)」、「対象物に強く押しつけてやらなければ(~q)、しっかり貼りつけない(~Z)」、「意 識した生活を送らなかったら(~q)、少しずつなりたい自分へ近づかない(~Z)」といっ た誘導推論49は必ず成立するというわけではないのである。同じ目的を達成するための他の

49 坂原(1985:101)でも述べられたように、「pならばq」は「~pならば~q」という推論す るように誘いかける、この現象を「誘導推論」とされている。さらに誘導推論の成立条件につい て、「“pならばq”を“pであれば、かつpである時に限り、q”と解釈するように」と説明し ている。ただし、一つ注意しなければならないのは、坂原(1985:100)が挙げた「加山が謝罪 するなら(p)、彼の無礼を忘れてやる」とその誘導推論の「加山が謝罪しないなら(~p)、彼の 無礼を忘れてやらない(~q)」では、pが条件、qが帰結という論理関係が存在するのに対し て、本研究が示した動機付けがある②③④では、Zの方が帰結である一方、qの方が条件という 点である。

- 89 - 手段を想定することは可能である。例えば(22)の場合、「まず今の自分をちゃんと見る」

などのことも一つの手段だと言えるだろう。つまり、「~qても、Z」という逆条件の存在 が可能であるため、「~q」に対して「望ましい事態が起こらない」という否定的評価が存 在していないのである。(22)に即して説明すれば、「少しずつなりたい自分へ近づくこと

(Z)」と「意識した生活を送ること(q)」は、必然的に結びついてはいないことが分かる。

qは十分な条件として提示されているが、必要十分な条件としては提示されてないからで ある。

このようにこの場合の望ましい事態qが十分な条件として表されているため、特に行為 要求に関連する場合、以下の(23)のようにqは表現者による「望ましい事態を実現する ため」の一つの<提案>として考えることができる。

(23)a.「見せてくれるかな」洪作が疑問をさしはさむと、「斥候を出して、様子を見れ ばいいじゃないか」 (『しろばんば』) b.「高杉四郎の本名を教えてもらいまへんか」突然、黒沢が訊いた。巡査部長は

一瞬驚いた顔をしたが、「そこまで調べているんかいな」と、二人を交互に見た。

「あんた、本社に帰って十七年前の記録を調べるといい」 (『天才投手』)

c.「そんなこと、どうだっていいじゃないか。おじさんは休みたいだろう。だっ

たら、とっととあがってきたらいいじゃないか」 (『長崎源之助全集』)

例えば、(23a)と(23c)のように、波線部の「じゃないか」の確認疑問文と共起される 点から理解できるのは、事態q以外の可能性を全て否定するという断定が含まれていない ことである。よって、望ましい事態qは単に表現者による一つの提案であるということが 分かる。

ところで、本研究では、動機づけ③の場合でも行為者が 1 人称の場合、バイイの例のみ しか確認できていない。なぜこういった差異が見られるのか、この点について後節で論じ ていく。

(24)自分は騙そうとしているのではない。信じてもらうために来たのではないか。そ れなら、真実をさえ語ればいいのだ。 (『ルナル・サーガ』)

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(24)では、波線部の箇所から「信じてもらう」という表現者にとっての望ましい事態 が読み取れる。そして、それを達成するために、「真実をさえ語る」という事態qは、その 手段として見なされている。この場合、事態qを実行するという表現者の<意向>として捉 えられる。

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