第 9 章 結論
9.2 中国の日本語教育における「ダロウ」の扱いへの提案
9.2.1 非母語話者に対する日本語教育における「ダロウ」の導入に関する先行研究
これまで、非母語話者に対する日本語教育では、「ダロウ」はどのように導入されるべき かに言及した先行研究は、フォード丹羽(2005)、庵(2009)があげられる。
フォード丹羽(2005:119—120)では、以下の(256)(257)のような日本語学習者の自然会話 での「ダロウ」に関する誤用例を指摘している。
(256) 教師:そう(筆者注:大学院入学試験)、筆記試験?
留学生:うん。あの、あん、口頭試験もあります。
152 教師:うん。
留学生:あの~、まだ、あの、外国語の試験。日本語の試験でしょう(↓)
(中国語話者・上級)(フォード丹羽(2005:119)
(257) 教師:○〇さん、××さん遅いね。どうしたのかな。さっきまで同じ授業だったん じゃない?
〇〇:××さんはもうすぐ来るでしょう(↑)。
(朝鮮語話者・上級)(フォード丹羽(2005:120)
フォード丹羽(2005)によると、録音したデープを聞かせながら、どういう意味で「でしょ う」を使ったかを(256)(257)での日本語学習者としての本人に尋ねたところ、中国語話 者の学習者も朝鮮語話者の学習も、丁寧な推量の意味で使用しているということであった。
フォード丹羽(2005)では、日本語学習者には(256)(257)のような誤用があることを考
慮し、日本語教科書で使用練習のために導入されている次の(258)(259)のような例が必 要ではないと主張している。
(258) A:もうすぐ入学試験ですね。
B:ええ。タワポンさんは合格するでしょうか。
A:よく勉強していましたから、きっと合格するでしょう。
(『みんなの日本語 初級Ⅱ本冊』:57)
(259) Here is tomorrow's weather forecast(天気予報).Play the role of a meteorologis and tell the weather forecast each city.
Examples:Tokyo/snow
→ 東京はあした雪でしょう。
→ 東京の気温は、二度ぐらいでしょう。 (『初級日本語 げんきⅠ』:243)
そして、フォード丹羽(2005)は、日本語教育において、使用のための文法と理解のための 文法とを分けるべきであると主張している。このような主張に基づき、日本語教育における
「ダロウ」の導入について、次のように提案している。
こうして見てくると、「~でしょう」は初級段階において、いずれの用法とも使用練習 をさせる必要がない項目であると言える。一方、理解面では、読む場合に、ていねい体 基調で書かれた文章の中で、次の(52)のように、「~でしょう」を目にする機会もある ため、初級段階で教える必要がある。
(52)そうすれば、環境問題は一気に解決に向かい、南北格差もぐんと少なくなるで
153 しょう。 (『生命観を問いなおす』p.57)
聞くための文法では、「~でしょう」のイントネーションに注意させる必要がある。
上昇調なら確認要求、下降調なら推量の意味だからである。ただし、天気予報に限れば
「~でしょう」の部分は理解できなくても困らない。天気予報で使われる推量の表現と いう注があれば十分である。
以上をまとめると、「~でしょう」は、学習者が上下・親疎関係や場に応じて、てい ねい体・普通体を使い分けることができる段階に達するまでは、使用のための文法項目 としては「~でしょうか」だけを導入し、理解のため項目としては「~でしょうか」に 加えて、「~でしょう」をイントネーションとともに提示するのがよいと言える。
フォード丹羽(2005:121)
上記のフォード丹羽(2005)の提案によると、初級段階では、使用のために、「~でしょう か」を導入し、使用のためではなく、理解のために、「~でしょう」を導入すべきであると いう。しかし、理解のために「~でしょう」が導入されると、(256)(257)のような誤用例 が依然として出てくる可能性があると思われる。また、上記のように、フォード丹羽(2005) では「学習者が上下・親疎関係や場に応じて、ていねい体・普通体を使い分けることができ る段階に達する」際に、使用のために、「~でしょう」を導入すべきであると提案している。
しかし、(256)(257)での「ダロウ」文の発話者はいずれも上級レベルの日本語学習者であり、
上下・親疎関係や場に応じて、ていねい体・普通体を使い分けることができる段階に達して いるはずであるが、依然として(256)(257)のような誤用を産み出している。また、上述した
ように、(256)(257)での日本語学習者はいずれも「ていねいな推量の意味」で「~でしょう」
を使用している。つまり、上下・親疎関係や場に応じて、ていねい体・普通体を使い分ける ことができても、(256)(257)のような誤用を防ぐことができない可能性があると思われる。
このように、日本語学習者に「ダロウ」の使用場面や使用制限を提示しないと、フォード丹 羽(2005)に提 案さ れてい る 「ダ ロウ 」の 導入順 だ けで は、 根本 的に日 本 語学 習者 の (256)(257)のような誤用の問題を解決することが難しいと言わざるを得ない。
庵(2009)では、現代日本語研究会編(1997)『女性のことば・職場編』と現代日本語研 究会編(2002)『男性のことば・職場編』を調査資料とし、その中に使用されている「推量」
と「確認要求」の「でしょう」の使用状況を考察している。実際の発話では、「推量」より、
「確認要求」の「でしょう」が多く使用されており、特に、「推量」の「でしょう」の言い 切りの用法は極めて少ないという結果を得ている。このような結果に基づき、これまでの日 本語教育での「推量」→「確認要求」という導入順を批判し、表61のような順序で「ダロ ウ」の用法を導入すべきであると提案している。庵(2009)では、表61のような導入順に よって、日本語学習者の次の(260)のような誤用を防ぐことができると考えている。
(260) 教師:田中君はどこにいるか知らない?
154 学生:??図書館でしょう。 (庵(2009):58)
表61 庵(2009:66)による「ダロウ」の導入順
初級 中級 上級
と思います 〇
でしょうか 〇
だろうと思います ✖ 〇
でしょう(確認) ✖ 〇
だろう(推量) ✖ 〇
でしょうね ✖ 〇
でしょう(推量) ✖ ✖ 〇
前述したように、庵(2009)は自然会話における「ダロウ」の使用状況に関する先駆的な 研究である。しかし、問題点としてあげられるのは、「ダロウ」の1つの形態としての「で しょう」のみを対象としており、その「推量」と「確認要求」の用法のみに焦点を当て、自 然会話における「ダロウ」使用の全体像を明らかにしていない。また、庵(2009)では、フ ォーマル場面とインフォーマル場面の会話を分けないままで考察を行っているために、自 然会話における「ダロウ」の使用状況がはっきり見えないと思われる。さらに、庵(2009)
で提案されている表61のような「ダロウ」の導入について、いくつか疑問が残る。庵(2009)
はフォード丹羽(2005)と同じく、初級段階では、先に「でしょうか」という「かたまり(chunk)」
(庵 2009:65))で、「丁寧な質問文」として導入すると提案している。しかし、「でしょう
か」を「丁寧な質問文」として導入すると、「ですか」との違いに直面することが明らかで ある。つまり、同じ質問文なのに、両者の違いを日本語学習者に説明する必要がある。前述 した『新編日語』では、「でしょうか」は「ですか」より丁寧な質問であるとだけ説明して いるが、日本語学習者に「なぜ「でしょうか」は「ですか」より丁寧なのか」と聞かれてど のように説明するかが問題となる。また、表61から分かるように、庵(2009)は、自然会 話では「推量」より「確認要求」の用法が多く使用されているという理由で、「推量」より
「確認要求」が先に導入されるべきであると考えている。しかし、フォード丹羽(2005)が指 摘しているように、「推量」の用法でも、「確認要求」の用法でも、目上の人に対して使うの は不適切である。つまり、先に「確認要求」の「ダロウ」を導入しても、その使用場面や使 用制限を提示しないと、次の(261)のような誤用が出てくる可能性が十分あると思われる。
(261) 先生、レポートの締め切りは、確か来週でしょう?
(中北(2000):26) また、次の(262)の場面では、同じ「確認要求」を表す形式なのに、なぜ「でしょう?」
だけ使えないのかについて、どのように説明するのかも問題となる。
155 (262) (年齢差があり、特に親しくはない上司と部下)
上司:さっきこの辺に封筒があったと思うんだけど。
部下:a *大きい封筒でしょう?吉田さんが持って行きましたけど。
b 大きい封筒ですよね。吉田さんが持って行きましたけど。
c 大きい封筒じゃありませんか?吉田さんが持って行きましたけど。
(中北(2000):30)
以上見てきたように、フォード丹羽(2005)でも、庵(2009)でも、ただ「ダロウ」の導入 順によって日本語学習者の「ダロウ」に関する誤用の問題を解決しようとしている。しかし、
まだ検討する余地を残していると言わざるを得ない。次の9.1.2では、本研究での提案を述 べていく。