第2章 障害児教育裁判
第6節 アメリカの障害児教育裁判
2 障害児教育法制
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③ 24Purd.Stat.Sec.13-1330:公立学校で学ぶものから得るものがないと心理士が認めた子
どもは、義務教育の就学を免ずることができる。
④ 24Purd.Stat.Sec.13-1326:義務教育年齢を 8 歳から 17 歳までとしているが、(精神)遅
滞の子どもは入学を延期し、又は 17 歳まで公教育から彼らを排除してきた。
そこで原告らは、1375 条及び 1304 条の運用が手続き上誤っていることなどを訴えたので ある。その結果、当局側は次のように命じられた。
① 1949 年学校法 1304 条を適用し、精神遅滞の子どもに無償で教育や訓練の公的プログ ラムにアクセスできるようにすることを、否定したり後回しにしないこと。
② 同 1326 条、又は 1330(2)、13-1326 条、13-1330 条を適用し、どの精神遅滞児も教育 と訓練の無償プログラムにアクセスすることを否定しないこと。
③ 同法 1371(1)の適用により、どの精神遅滞児も無償で公的な教育や訓練のプログラム を受けることを否定しないこと。
④ 1972 年 9 月 1 までにできるだけ早く、6 歳から 21 歳の全ての精神遅滞者が学習の能 力に応じ無償の公的な教育及び訓練プログラムをアクセスできるようにすること。
⑤ 1972 年 9 月 1 までにできるだけ早く、6 歳未満の子どもに就学前プログラムを提供す ること。
⑥ 精神遅滞時あるいはそのように考えられている子どもの教育状況について、変更の前 に通知やヒアリングの機会を提供すること。
⑦ すべての精神遅滞児の教育的課題の再評価を1年に1回、あるいは少なくとも2年に 1 回は親の要求に基づいて行い、このような再評価に対する通知やヒアリングの機会 を提供すること。
PARC訴訟は、州全体に影響を及ぼす集団訴訟であったが、裁判は和解で合意が成立した
(343 F.Supp.279;1972 U. S. Dist.)。
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我が子をできるだけ親元から近隣の学校に通わせたいという親の思いや、健常児とともに 学ばせたいという親の思い、さらに、障害児が普通教育を受ける権利の問題とが相まって、
統合教育の動きが高まり、法整備に至っていく。
当時、黒人と白人の聾児は、教育の場も分けられていた。現在、ワシントン D.C.のギャ ローデット大学内にあるケンドール小学校は、1856 年、エイモス・ケンドール(Amos Kendall)
が連邦議会に盲聾学校の設置を説得して開校したコロンビア盲聾唖指導施設である。開設 にあたり、当初 20 人の聾児と 10 人の盲児の入学は、当学区からの入学者として把握して いたが、他にメリーランドからの生徒にはわずかながら黒人の生徒が含まれることも予想 された。これは当時にあっては尋常でない状況だった。南北戦争以前、黒人の聾者は正式 な教育を受けるために戦っていた。当時、奴隷が教育を受けることは、いくつかの州では 犯罪であり、奴隷が読み書きを習うことは、フレデリック・ダグラスのように秘密にして いなければならなかった。しかし、コロンビア盲聾唖指導施設では少人数ではあったが彼 らを受け入れたのである。それは多くの場合、裕福な白人の後援者が介在して実現したも のだった。黒人と白人の生徒たちは、寝起きや食事は別にされたが、授業は一緒に教えら れた。
1898 年には 14 人の黒人聾児が入学した。しかし彼らの入学から 2 年間、校長は、黒人と 白人の混合教育について、早いうちから白人の親たちの不満を受け始めたのだった。1901 年には、白人の親たちは黒人の生徒の在籍に激しい攻撃的な反対をし始めた。親の反対が 始まると、それまで良好だった黒人と白人生徒間の関係はすぐに悪化した。白人の生徒が 黒人生徒をいじめ始めたとき、校内での黒人・白人生徒の共存力は明らかに蝕まれていっ た。
この敵対した環境の解決に役立ったのが、1896 年のプレッシーとファーグソンの裁判
(163 U.S. 537; 16 S. Ct. 1138; 41 L. Ed. 256; 1896 U.S.)である。最高裁は、法の上では平等 であるとしながら分離原則を打ち立てた。校長はミズーリのコックレル上院議員に、国会 の法案を通過するための助言を得て、1905 年 3 月にメリーランドのオーバリーに黒人聾唖 学校を作り、アフリカ系アメリカ人の生徒を強制的に転入させた。メリーランド盲唖学校 はもともと 1872 年に設立されていたが、黒人聾唖学校はその盲学校部の体育施設内に置か れた。以来 50 年間もの間、黒人聾生徒と白人聾生徒の分離教育が行われたのである。
アメリカの障害児教育裁判は、特に 1960 年代の公民権運動とともに、それらが障害児の 親のエンパワメントにつながり、社会を変革し、障害児教育の法整備に多大な影響を与え てきた。アメリカ障害児教育史研究では、安藤 (16)が公教育制度における障害児教育保障過 程を明らかにしている。アメリカ教育法については、平原らの訳書(17)がある。判例研究で は山田、草薙らの研究が見られ、いずれもアメリカ障害児教育における権利保障の重要判 例を紹介している。以下、障害者の権利と教育保障の法整備を、「親の要求」の点から見て いく。
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アメリカの特殊教育に関する法整備は、公民権運動やマイノリティの教育権保障運動な どを背景に進められた。19 世紀から 20 世紀初頭のアメリカでは、貧困層の非英語圏のカト リックやユダヤの移民がアメリカに犯罪や暴力、宗教的に我慢できないような事態や、集 団的憎悪をもたらすのではないかと恐れられ (18)、貧困政策に目を向けられた。
障害者に関連する法整備は、1920 年全米職業リハビリテーション法(National Vocational Rehabilitation Act of 1920)、1935 年社会保障法(Social Security Act of 1935)で、障害のある子 どものためのリハビリテーション・サービス・システムや健康サービスシステムが制定さ れた。また、1935 年ワグナー・オーディー法(Wagner-O’Day Act of 1938)等では、視覚障 害者の雇用に関する事業認可、1954年職業リハビリテーション法(Vocational Rehabilitation Act of 1954)では職業訓練のための大学への助成金認可がなされた。
1960 年代の法整備は、The Teachers of the Deaf Act (PL 87-276) (1961 年)において難聴や 聴覚障害者の教員養成を供給した。 また、1963 年精神遅滞施設及び地域精神保健センター 建設法(Mental Retardation Facilities and Community Mental Health Centers Construction Act of 1963)では、精神遅滞施設及び関連施設建設の助成金認可がなされた。そして、1965 年初 等・中等教育法(Elementary and Secondary Education Act of 1965)では、障害児童を含む貧 困家庭児童の教育のために、連邦政府が州及び地方政府への援助を認可した。翌 1966 年同 法修正法(Elementary and Secondary Education Act Amendment of 1966)では,連邦教育局に 障害者のための教育局を創設、障害児童に対する国家諮問委員会を創設した。1963 年のケ ネディ大統領暗殺後、ケネディ路線を踏襲したジョンソン大統領は、1964 年の『年頭教書』
演説で「アメリカの貧困に対する徹底的な闘い」を宣言し,同年1月の『大統領経済報告』
で「貧困との戦い」の具体的な提案内容を示した。「貧困との戦い」は, 1964 年以降に相 次いで立法化され、初等・中等教育法、同法修正法もその中で立法化されたのである。The Handicapped Children’s Early Education Assistance Act of 1968 (PL 90-538)(1968 年)障害幼児 援助法では、就学前の障害幼児教育支援が実験的に認定された。
1960 年代 70 年代にかけても、障害のある子どもの公立小学校への入学をめぐる運動や裁 判が隔離教育の違憲性を訴えて起きた。様々な障害生徒を公立学校から排除するというこ とが、すべての障害児に公教育を保証するということと矛盾し、親たちの公教育機会拡大 を求める運動は大きくなった。
1975 年には、全障害児教育法 (Education for All Handicapped Children Act of 1975 PUB-LIC LAW 94-142—NOV. 29, 1975)が制定された。通称 PL94-142 は、アメリカの特殊教育史 において重要な法律であり、未就学障害児へ無償で適切な公教育を保障するという主要目 標により、公教育における環境整備が進んだのである。同法で示された「無償で適切な公 教育」とは、特殊教育及び関連のサービスを含むもので、(A)公的な管理や指導を無償で、
公費でまかなわれるサービスと、(B)州教育局の基準に合ったサービス、また、(C)国の 適切な就学前教育、小学校、中学校教育を含み、さらに(D)614(a)(5).で示されている (19)
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個別の指導計画に準拠して提供されるサービスのことである (20)。同法における「特殊教育」
とは、「保護者や後見人に無償で、障害のある子どもの特殊なニーズに合わせて、個別の指 導計画が特別に実施される指導であり、教室内の指導や体育での指導、家庭での指導、病 院や施設での指導」を意味している (21)。
上記の適切な公教育を保障するために、障害児や親、後見人の権利擁護が重視され、親 と後見人の権利は次の5点とされた。
A 障害のある子どもの親又は後見人が、子どもの判定・評価・教育的措置について、全 ての関連記録を調査し、当該子どもに無償で適切な公教育を提供し、及び、子どもの自 立教育の評価を得る機会を保障すること。
an opportunity for the parents or guardian of a handicapped child to examine all relevant records with respect to the identification, evaluation, and educational placement of the child, and the pro-vision of a free appropriate public education to such child, and to obtain an independent educa-tional evaluation of the child;
B 子どもの親又は後見人が知れない場合、存在しない場合、又は当該子どもが州の監督 下にある場合は、親又は後見人の代理人として個人(州の教育当局、地方の教育当局又 は子どもの教育又は保護を行う介在的な教育機関に雇用されていない者)が指名する場 合を含め、いつでも子どもの権利を守るための手続を保障すること。
procedures to protect the rights of the child whenever the parents or guardian of the child are not known, unavailable, or the child is a ward of the State, including the assignment of an individual (who shall not be an employee of the State educational agency, local educational agency, or in-termediate educational unit involved in the education or care of the child) to act as a surrogate for the parents or guardian;
C 当該機関が、子どもの判定、評価、教育上の紹介、又は無償の公教育の提供につき、(i) 開始又は変更の申し出を受理し、又は、(ii)開始又は変更の申し出を受理しない場合は、
親又は後見人に対し予め文書で通知しなければならないこと。
written prior notice to the parents or guardian of the child whenever such agency or unit—
(i) proposes to initiate or change, or
(ii) refuses to initiate or change,the identification, evaluation, or educational placement of the child or the provision of a free appropriate public education to the child;
D 前C項の通知は、本項に準じる全ての手続を行うことが明らかに不可能な場合を除き、
親又は後見人の母国語により、親又は後見人に知らされなければならないこと。
procedures designed to assure that the notice required by clause (C) fully inform the parents or guardian, in the parents' or guardian's native language, unless it clearly is not feasible to do so, of all procedures available pursuant to this section;