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裁判及び教育裁判

ドキュメント内 教育・保育関係の (ページ 148-152)

第5章 裁判及び裁判外の教育・保育紛争解決

第1節 裁判及び教育裁判

1 裁判のメリット・デメリット

(1)裁判の意義と効用

裁判はとりあえず、法律上の争訟を「一定の事実があるかどうかを明らかにした上(事 実認定)、あらかじめ予定されている規準(法)にしたがってその事実を評価(価値判断、

或いは法的価値判断)して、強制を加えるべきかどうかを決定すること」であると定義 することができる(1)。ここに挙げられている事実認定・法的価値判断・強制はそれぞれ、

裁判における厳格な証拠調べ、緻密で専門性の高い法解釈、裁定結果の確実な実現とい うことにほかならず、これらはまた、人々が裁判に対して信頼を寄せる理由ともなって いる。

裁判の特質をかいつまんで示すと、概ね次のようである。①ナマの事件・紛争をその ままの形においてではなく、法的に翻訳・加工・構成し、法的問題として解決・処理す る、②したがって、法的に重要でない、あるいは法的に無意味な事項・部分は捨象され、

事件が法的に一元化される、③過去に生じた事件ないしは現在進行中の紛争について、

事後的に解決・処理する、④実体的にも手続的にも極めて厳格な形で進行する、⑤公開 の法廷で審理がなされる、⑥その結論が、刑事にあっては有罪か無罪、民事にあっては 権利・義務ないし債権・債務があるかないか、要するに白か黒か、100%か 0%かの、い ずれかである、⑦判決に示された内容は公権力によって強制的に実現される、等。裁判 は事実認定を通じて「真実」を明らかにし、客観的なルールによって「黒白」をつけ、

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権利付与・義務賦課や制裁を実行する、いわば頼りになる紛争解決・処理手段なのであ る。

裁判を特色づけるものとしてはこのほか、過去に生じた個別の紛争・事件を事後に解 決・処理するものであること、当事者が相互に自己の権利・利益を対決的に主張し合う ものであること、慎重な手続によって進行するものであること、紛争・事件を法的・一 刀両断的に処理するものであること、第三者として関与する裁判官は中立で公正だとみ なされるものであること、判決内容が公にされて他の類似の紛争・事件の解決・処理に も波及して先例性を発揮するものであること、等を挙げることができ、これもまた裁判 のプラスの属性を表すものとして、人々の裁判に対する安心感や期待感の淵源をなして いる。

法は、社会において人々が正当な利益を追求・享有し、秩序を維持するために然るべ き責任を分担し、限りある資源を正義に叶うよう分配するための、権利・義務の公準で あり、裁判はこの法を根拠に人々の権利を守る最終的な砦である。紛争・事件が生じた ときに人々が法を援用して自らの権利・利益を主張し、その実現・回復を求めて裁判に 訴えるのは、それ故、極めて自然で正統なことである。

(2)裁判の限界

裁判は、しかし、極めて重厚な紛争処理方式ではあるが、問題の解決手段としては必 ずしも最善・最高・唯一のものとは限らないことにも注意しなければならない。先に挙 げた裁判の意義と効用は、裏を返せば 裁判に付着・内在する制約ないし限界を示すも のでもある。すなわち、裁判がもっぱら事件の法的な側面に光を当てることは、諸々の 複雑で微妙な要因を含む当該事件のトータルな解決をめざすわけではないことを意味し、

裁判が過去志向的であることは、将来に向けた関係の維持・形成という面を考慮に入れ ない傾向にあることを否定できず、また、裁判が重装備で形式重視であることは、問題 を簡易に、非公開で秘密を保持しつつ、あえて黒白をつけないで解決しようとするよう な場合には、必ずしも適切とは言えないことを意味する。

わが国では「裁判沙汰」という言葉は、「狂気の沙汰」や「喧嘩沙汰」「刃傷(にんじ ょう)沙汰」などと並んで、常軌を逸した行動として用いられ、人は裁判を、非日常的 な自分に関わりのないものとして捉え、なるべくなら避けたい、ないしは、紛争解決の 最後の手段として使いたいという意識があるようである。少額訴訟といった比較的簡易 な制度も、気軽に利用する風潮は見られないように思われる。人々がこのように裁判・

訴訟を避けようとするのは、実は前項でみた裁判の特性と関連する。

裁判が厳格な手続によって事実を認定することは、それを立証する側には大きな負担 を感じさせ、ナマの事実を法的に翻訳・加工することは、事件全体のある側面をのみ照

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らし出すに留まることを意味し、当事者が対決することは人間関係を破壊することでも あるなど、ある種の限界ないし影の部分があり、こうしたことから人々は、裁判に一定 の「使い勝手の悪さ」を感じるのである。法的専門性の高さ故のとっつきにくさや、も のものしい雰囲気の法廷などのために、裁判所に「敷居の高さ」を覚える人も少なくな いであろう。

一方、裁判は多くの費用と時間を要し、それが、人々の裁判へのアクセスを躊躇させ る一因とも言われる。費用について言うと、裁判は、例えば民事訴訟を提起する場合、

弁護士に依頼したときは、法定費用との間に若干の違いはあるが相当額の手数料がかか り(2)、その負担は決して小さくない。時間について言えば、確かに裁判は、2003(平成 15)年の「裁判の迅速化に関する法律」以来、迅速化が図られ、07(平成 19)年 7 月公 表の最高裁判所の報告によれば、06(平成 18)年中に終了した民事第一審訴訟事件全体 の平均審理時間は 7.8 月、証人尋問や当事者尋問の人証調べを実施した事件の平均審理 期間は 18.8 月で、2 年を超えたものは全体の 5.5%である。また、高等裁判所の民事控 訴審訴訟事件の平均審理期間は、全体の 70%が受理から 6 カ月以内に終了している(3)。 これらの数値が紛争当事者にとって長いか短いかはいちがいには決められないが、裁判 に要する期間は、関係者の努力によって短縮の傾向を示しているものの、当事者にとっ てはなお負担が大きいと思われる。

2 教育・保育裁判のメリット・デメリット

(1)教育・保育裁判の意義と効用

教育裁判は、かつての教科書検定や学力テストをめぐるものなどの教育権(学習権)

問題や、在学関係(学校事故、いじめ、体罰等)、教職員の公務災害や労働条件等に関わ るもの、また、成績評価や教育情報に関するものなど、すこぶる広範にわたる。いずれ も、教育に関する紛争・事件を裁判所で争い、相手方と対決して法的に結着させようと するものにほかならず、当事者はそれぞれ、裁判の有するメリットを活用しようとする のである。

例えば障害児の「普通学校」への入学をめぐる裁判(東京地裁昭和 55 年 9 月 9 日判決、

東京高裁昭和 57 年 1 月 28 日判決 判例タイムズ 474 号 242 頁。いわゆる花畑東小学校 自主登校事件)は、障害児が自主登校を続ける中での、支援者の小学校内への侵入や職 員への暴行などの行為に係るもので、控訴審判決は、「同児(障害児)を残して先に世を 去ることが確実な両親が、教育制度の現状にあきたらず、教育理念、教育手段の進展を 待ち得ないとする焦燥感をいだくことはけだし当然のこと(で)…この過程において、

個人の行為が仮に形式的に成文法に抵触することがあっても、実質的に違法の評価がで

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きない場合があるのである」としつつも、分離教育がただちに憲法 14 条、25 条、26 条 に違反するものではないとしたが、この裁判は、障害児の普通学校入学をめぐる問題を 広く世に知らしめることとなり、障害児の学習権について大きな影響をもたらした。

裁判は、勝敗とは別に、そうした紛争・事件が法廷に係るだけでも、支援団体が組織 されるなど、社会にある種の影響を及ぼし、世論を喚起する効果があるのである。

(2)教育・保育裁判の限界

しかし他方で、裁判の限界は教育・保育裁判の限界でもあることを指摘しておかなけ ればならない。かつて、市立中学校の生徒Aが、脳腫瘍の手術を受けて身体に障害が残 る転校生を他の生徒らとともにいじめたとして教師から体罰等を受けたことに対し、損 害賠償を請求した事案で、Aの請求を一部認容した判決がある(静岡地裁昭和 63 年 2 月 4 日判決 判例時報 1266 号 90 頁)。

また、特別活動の一環として少年自然の家で合宿をした市立中学校の生徒Bが、山頂 で風に帽子を飛ばされたので崖を下りて取ろうとして滑落し、負傷したため、引率教師 らの過失を理由に損害賠償を請求した事案では、判決は、Bを救助しようとして崖を下 りて行き誤って転落死した教師の過失を認め、Bの請求を一部認容している(松山地裁 今治支部平成元年 6 月 27 日判決 判時 1325 号 128 頁)。

前者にあっては、真の被害者は、目に軽い怪我をしたAではむしろなく、平素から様々 な嫌がらせやいじめを受けていた転校生でこそあるところ、また後者にあっては、真の 犠牲者は、負傷したBであるよりはむしろ、生徒を助けようとして自らの命を落とした 教師でこそあるところ、いずれも訴訟では、被害者・原告として学校設置者の責任を問 うた生徒側が勝訴している。事件を法的に事後的・一刀両断的に裁判で処理したことで、

却って世人の心情にはマッチしないような解決を導いたものと言えなくはない。

審理の公開を原則とする裁判(憲法第 82 条第 1 項)にあっては、傍聴人らの前で事実 が明らかにされることは、子どもにとっても学校・教師にとっても、教育関係の維持・

継続という面からは、好ましくないダメージを与えることもありうる。

教育トラブルの解決には、必ずしも厳格な事実認定と緻密な法解釈に基づいて黒白を はっきりさせず、あえてグレーゾーンのままにしておくことの方がむしろ有益な場合も ありうる。もとよりこのことは、問題をうやむやにしたまま蓋をしてしまうことをよし とするものではないが、教育に特有な継続関係の形成を重んじるようなときは、裁判は むしろなじまない面があるのである。

(3)教育裁判の今後

ところで、わが国の教育裁判は、子どもや親が原告となって教師や自治体を訴える例

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