• 検索結果がありません。

手続

ドキュメント内 教育・保育関係の (ページ 196-200)

第5章 裁判及び裁判外の教育・保育紛争解決

第3節 アイデアとしての「教育紛争ADR」

5 手続

(1)手続の開始

189

ここでは以下、調停型の教育紛争ADRをイメージし、その解決手続について想定的 に述べることとする。また、筋を分り易くするため、紛争当事者は学校・教師(学校側)

と保護者の二者に単純化しておく(この単純化は保育紛争にあっても基本的に通用する 筈である)。

教育ADRに手続を依頼・申請できるのは、保護者・学校側のいずれも可能とするが、

何らかのクレームやトラブルが生じたら直ちにそれをすることを許すのは、適当でない こと前述の通りである。これまでくり返し述べてきたように、教育をめぐるクレーム・

トラブルはまず、学校側に不満・不信を抱く保護者と教育の専門機関である学校との相 対(あいたい)交渉でその解決を図るべく、それをしないまま事件をストレートに教育 ADRに持ち込むことは、教育紛争ADRの職務を正当に果たす上でも避けなければな らない。教育紛争ADRは、保護者と学校側の間の紛争が当事者ではもはや埒があかな いまでにこじれてしまった場合にのみ申請できるものとし、いわば「学校側対応前置主 義」をとることが考えられてよいであろう。

依頼・申請は書面を提出することにより、又は教育ADR機関の窓口に口頭で申述す ることにより、行うものとする。非訟事件手続法第 8 条、民事調停規則第 2 条・第 3 条 も同旨を定めている。教育紛争ADRとしては、書面での提出に備え、また口頭での申 述を窓口で書面化する必要から、予め、申請者の氏名・住所、申請の趣旨などのほか、

申述に先立つ学校側の対応の経緯を略記する欄を設けた申請フォーマットを用意してお くのが便宜である。なお、「申請の趣旨」は、「金○○円の慰謝料を支払え」「○○の方法 で謝罪せよ」といった具体的な数的・手段的特定要求のみならず、「適切な解決を求める」

「関係の修復を望む」などの抽象的・大雑把な不特定要求、言い換えれば当事者の単な る「希望事項」をも認めるのが相当である。

教育紛争ADRは、紛争当事者の合意形成をめざして仲介・斡旋・調停等を行うもの であるが、それ故、先にも述べたように、当事者が任意に処分できない事項、学校側の 専権事項、教育政策事項、さらには刑事事案など、手続の依頼・申請に係る事件が本来 的に合意形成になじまない内容のものである場合には、受理を拒まなければならない。

義務年限の短縮や延長、教職員人事、カリキュラム編成、学力調査を実施するかどうか、

いじめ行為に対する刑罰要求などをめぐる紛争がそうしたものに該当する。こうした事 項の「解決」を求める事案は、別の機関の所掌事項である。

依頼・申請を受理すると、教育紛争ADRは、相手方当事者に、手続に参加・出席す るよう呼びかけることとなる。相手方がこれに応じる場合はいいが、応じようとしない ときは、手続は入り口で頓挫する。すでに事態はこじれているから、保護者はかたくな になってこのような場に出てこないことも十分ありうる。ADR担当者としては粘り強 く相手方当事者に参加を呼びかけるにせよ、それが実現しなければ、この点は教育紛争

190

ADRの限界とするほかないであろう。ただ、手続に乗ってこようとしない当事者への 呼びかけをいつまでも続けるわけにはいかないけれども、当事者の不参加・欠席を機械 的に直ちに手続終了の要件としてよいかどうかは、紛争解決という観点からはなお検討 の余地があるように思われる。

(2)手続の非公開

当事者双方が手続に参加することになると、紛争解決に向けての教育ADRの具体的 手続が進行を開始する。ADR一般がそうであるように、教育紛争ADRも、中立・公 正でなければならないと同時に、当事者の自主性を重んじ、簡易・柔軟・迅速でなけれ ばならず、当事者が公にしたくない事項はあえて公開する必要もないから、訴訟におけ る対審のような形式性・厳格性・公開性は必ずしも要求されない。手続担当者はおそら く、裁判における冒頭陳述とか当事者尋問などといった手続に縛られることなく、まず 当事者からとりあえず「話を聞いてみる」ことにするであろう。そしてその際、「聞いて みる話」は、性質上、さしあたっては当事者と担当者限りのものとし、手続の進め方は あくまでも、当事者の対話と合意形成を促すことを念頭に置く必要がある。

教育紛争ADRの手続を、手続担当者が紛争当事者双方の同席において行うか、それ とも別席において交互に面談して行う(コーカス)かは、1つの問題である。前者は、

当事者が共に解決に向けて模索するという長所がある反面、却って両当事者の憎悪感が 増して収拾がつかなくなってしまうといった短所があり、後者は、相手方の面前では話 せない本音を出すという長所がある反面、情報が手続担当者に集中して当事者間には不 完全な、あるいは担当者のフィルターを通しての情報しかもたらされないといった短所 がある。わが国の実務ではコーカスが多いと言われる(12)。ケースごとに両方式をうまく 組み入れるのが現実的であろうが、教育紛争にあってはむしろ、教育が継続的な人間関 係を前提とするものである点に鑑み、当初は感情的な対立が多少激しくとも、保護者と 学校側が終始同席する方が解決を促すことになるように思われる。

教育紛争ADRにおける手続は非公開を大原則とする。非訟事件手続法第 13 条も民事 調停規則第 10 条も同趣旨の規定を持つ。ただ、教育紛争ADRの質を高め、関係者の「紛 争解決力」を高めていくためには、解決に至った後、あるいは解決に至らずに終了とな った後、事案の仲介・斡旋・調停の過程と内容を、当事者が特定されない形で事後に公 表し、研究者や実務家が評釈・検討・評価するができるようにすること(事例集の公刊 など)は不可欠であると考える。

(3)事実認定

裁判は、大前提たる法条に小前提たる認定事実を当てはめて結論を得るという三段論

191

法の過程であるとしばしば言われるが(これについては、末広厳太郎の「三つ巴」論が あるが、ここでは詳述しない)、ADRにあっても、事実を認定して解決規範に当てはめ、

ないしは当事者の主張を勘案して合意・和解を形成するという営みが行われる。しかし、

ADRにおける事実認定は、裁判における厳格なそれとは異なるべき面がある。

そもそも紛争当事者は、相互に異なった事実を認識し、あるいは事実に異なった意味 を与え、それぞれ別の世界を見ているが故に紛争を起こすのであり、だとすれば、当事 者がこだわっている事実を出発点にすべきだとの見方もあろう(13)。教育という、誰もが 経験し誰もがそれについてそれなりの持論を抱いている営みについては、紛争発生の源 となった「教育事実」へのこだわりの強さは格別である。裁判におけるような形式的・

強権的な法的事実認定は、むしろ紛争解決の文脈から外れてしまう危険性もある。

当事者が固執する教育事実ないし教育事実認識は、それを「事実」たらしめている当 事者の教育観が背景にあり、複雑で多様、容易には変化しないものであることに鑑み、

裁判官のようなやり方で事実を認定・確定するのではなく、当事者間の食い違いや灰色 部分や溝をとりあえずそのままにし、合致している部分、共通に議論できる領域を最大 限生かして合意形成に持ち込んでいく、という手法が有益である。裁判においても、当 事者に争いのない事実(合致部分)は認定事実とされるが、ADRにあってはそれより も緩やかに、シャドー部分をあえて証拠に基づいて明らかにしようとせず、とりあえず は当事者双方の主張のままとしておくのも1つのやり方である。もちろん、このような 事実認定技法は、「真実」を明確にし、黒か白かをはっきりさせなければならない、ある いはそのことを当事者双方が望む紛争事案においては、通用しない。

(4)手続の終了

教育紛争ADRの手続は、当事者が合意のうえで紛争が解決した場合は勿論、当事者 から申請が取り下げられた場合、仲介・斡旋・調停を行わない旨をADR側が措置した 場合、合意・和解が成立する見込みがない場合などに終了することとなる。

第一に、当事者は、手続の開始を依頼・申請した後、相手方の同意を得ないでいつで も取り下げることができる。当事者にはADRを利用するかしないかの自由があるから である。ちなみに、独立行政法人国民生活センター紛争解決委員会業務規程第 45 条もそ のように定めている。取下げの後再び相対交渉に入ることもあれば、ADR手続を打ち 切って訴訟に及ぶこともあろう。

第二に、教育紛争ADRは、事案の性質上手続を開始・実施するにふさわしくないと 認めるとき、又は、当事者が不当な目的で依頼・申請したようなときは(例えば、学校 側を困らせることをもっぱらの目的として、同じ事件をくり返し申立てるようなとき等)、

手続を終了させることができる。民事調停法第 13 条も同趣旨を定める。教育紛争ADR

ドキュメント内 教育・保育関係の (ページ 196-200)