第2章 障害児教育裁判
第6節 アメリカの障害児教育裁判
1 形成期の障害児教育裁判例
ここで、障害児教育裁判の先進国ともいうべきアメリカの事情に触れておく。わが国の 障害児教育裁判が、どちらかというと個別の事案を紛争当事者が個別に解決しようとする 発想のもとに提起されることが多いのに比べ、アメリカにおいては、多かれ少なかれ人種
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問題とも関わりつつ、集団的な訴訟として提起され、それが蓄積して障害児教育法制に大 きな影響を与えるという形で推移してきており、その意味でアメリカの障害児教育裁判は、
政策形成を念頭に置く点に特色があるように思われる。
まず、1950 年の障害児の学校選択における裁判を見る。聾児であるマーカス・ペティは、
8 歳の時に、家から近い公立のいわゆる普通学校に入学した。しかし翌年、アイオワ州教育 委員会(Iowa State Board of Education )は、当該公立小学校においてはマーカスのための特 別な教育がなされていない現状に鑑み、マーカスを州立聾学校に通うよう命じた。この命 令を争って両親が提訴したのであるが、原審が州教育委員会の主張を認め、両親を敗訴と したため、両親側が上訴した。
学校の証言によれば、マーカスを受け持った教師は、最初の学年で実物と関連づけてマ ーカスの理解を促したり、身体表現や視覚的な意味づけなどによって指導したりした。マ ーカスはアルファベットを全て書けた。しかし、最初の学年の担当教師も翌年の担当教師 も、聾児を教育するための特別な訓練を受けた経験がなかった。学校長は、聾児マーカス のために教師が用いた教育方法が適切であるというには程遠いと証言した。しかし両親は、
教育委員会が当該公立普通小学校で子どもが教育を受けることは不可能であるということ を示していなかったとして、教委と争ったのである。
裁判所は原審を支持し、マーカスには州の聾学校での教育が最適であると判示した。「身 体に障害のある子ども(A child who has a physical defect)は、ハンディキャップのない子ど もとは必然的に異なるタイプの教育(a different type of instruction)を受けなければならない。
それ故証拠によれば明らかなように、公立学校は聾児の教育的発達のための訓練(training for the educational development of a deaf child)を提供する場でないことは明白である」
「子どもの最善の利益(the best interest of the child)は、当該児童のハンディキャップに応 じて(in the light of his hanndicap)適切に発達できるような教育が行われる学校に通うこと によって提供されるべきであるというのが、当裁判所の結論である」「我々は両親が息子を 深く愛していることを認識している。しかしながら、この愛情と献身は、子どもが適切な 教育を受けることを減じるものであってはならず、またそうであるべきでもない。両親は 子どもの幸福のためには犠牲を払う傾向にある。このケースにおいて、それは、親の責任 と義務(responsibility and duty in the instant case)なのである」(241 Iowa 506;41 N.W.2d 672;
1950 Iowa Sup.)。障害のあるわが子をできるだけ親元においておきたい親の愛情を理解した
上で、障害児が自立するための教育の機会を親は奪ってはいけないとの判示である。
次に、聾児を持つルイーズ・ミラーが起こした訴訟を見る。当時 5 歳の息子ケネスの小 学校入学に当たり、ミラーは副校長と面談し、学校区の聾学校であるケンドール小学校へ の入学を依頼した。ところがケネスが黒人であるとの理由でそれは受諾されず、ペンシル
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ベニア州マウントエイリーにあるペンシルベニア州立聾学校への入学を勧められた。そこ は、1821 年 5 月に創立され、統合教育を実施しており、他州からの生徒を受け入れ始めて いた。しかしそこでは5歳児の受け入れをしておらず、もう少し年齢が進んで受け入れ時 期が来るまで待つようにとの通知が来た。しかも学校ではケネスになんら特別に補助の必 要が認められないとして奨学金が得られないことも分かった。
ケネスの父親はその地区の警官、母親は国勢調査局の統計事務官であった。両親は、ケ ネスに最良の教育機会を与えようとし、聾児として抜きん出るためには早期教育が必要と 考え、1947 年から 1948 年まで家庭教師をつけ、ケネスが 8 歳になった 1949 年にペンシル ベニア州立聾学校に入学させた。ケネスは親元を離れ、2 年間そこで教育を受けた。両親は 当初子どもが親元を離れても心配はないだろうと思っていたが、障害のある子どもが小さ いうちからあまりにも遠い地で親元から離れて暮らすことは、実際、問題だった。両親は 州に相談し、教育のために子どもを他の州に送らなければならない現行制度を変えてほし いと要望した。それは他の障害を持つ子どもの親の運動ともなり、次々に陳情の手紙が州 に送られた。手紙の多くはコロンビア州区のケンドール小学校に聾児の入学許可を要望す るものであった。
1952 年の裁判ではケネスは 11 歳になっていた。また、原告はケネスとケネスの両親の他、
7 家族とその子どもたちが加わる集団訴訟となった。裁判所の判断は、「黒人・白人両方の 人種のために平等な教育の便宜を図る必要がある」として、ケンドール小学校のおよそ 50 年間の分離教育を速やかに変えることを言い渡したのである。「本件に伴う慣例は、ゲイン ズ判決に反するものであり、それ故、人種を分離することの正当性を維持するためには、
地区内でいずれの人種の聾児にも等しい教育機会を提供すること(to provide equal educa-tional facilities within the District for deaf children of both races)が地区の義務であるとするのが 相当である」(106 F. Supp. 988; 1952 U.S. Dist.)。
続いて、PARC訴訟を見てみる。ペンシルバニア州の知的障害者協会(The Pennsylvania Association for Retarded Children)と 6 歳から 21 歳 13 名の精神遅滞の障害者の親たちが起こ した集団訴訟である。被告は、ペンシルバニア州の福祉局、教育委員会、及び、ペンシル ベニア州にある 13 の学区等である。障害のある子ども達は、州の学校法に定める次の 4 点 を根拠に、公立学校の教育や訓練のプログラムから除外されており、親たちは不平を抱い ていた。
① 24Purd.Stat.Sec.13-1375 :州教育委員会は、公立学校心理士が「教育不能または訓練
不能」と認めた子どもを教育する義務から解かれる。このような子どもを保護する責 務は、教育的サービスの義務を持っていない福祉局にシフトされる。
② 24Purd.Stat.Sec.13-1304:精神年齢が5歳に達しない子どもは全て、公立学校への不確
定期間の入学延期が許される。
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③ 24Purd.Stat.Sec.13-1330:公立学校で学ぶものから得るものがないと心理士が認めた子
どもは、義務教育の就学を免ずることができる。
④ 24Purd.Stat.Sec.13-1326:義務教育年齢を 8 歳から 17 歳までとしているが、(精神)遅
滞の子どもは入学を延期し、又は 17 歳まで公教育から彼らを排除してきた。
そこで原告らは、1375 条及び 1304 条の運用が手続き上誤っていることなどを訴えたので ある。その結果、当局側は次のように命じられた。
① 1949 年学校法 1304 条を適用し、精神遅滞の子どもに無償で教育や訓練の公的プログ ラムにアクセスできるようにすることを、否定したり後回しにしないこと。
② 同 1326 条、又は 1330(2)、13-1326 条、13-1330 条を適用し、どの精神遅滞児も教育 と訓練の無償プログラムにアクセスすることを否定しないこと。
③ 同法 1371(1)の適用により、どの精神遅滞児も無償で公的な教育や訓練のプログラム を受けることを否定しないこと。
④ 1972 年 9 月 1 までにできるだけ早く、6 歳から 21 歳の全ての精神遅滞者が学習の能 力に応じ無償の公的な教育及び訓練プログラムをアクセスできるようにすること。
⑤ 1972 年 9 月 1 までにできるだけ早く、6 歳未満の子どもに就学前プログラムを提供す ること。
⑥ 精神遅滞時あるいはそのように考えられている子どもの教育状況について、変更の前 に通知やヒアリングの機会を提供すること。
⑦ すべての精神遅滞児の教育的課題の再評価を1年に1回、あるいは少なくとも2年に 1 回は親の要求に基づいて行い、このような再評価に対する通知やヒアリングの機会 を提供すること。
PARC訴訟は、州全体に影響を及ぼす集団訴訟であったが、裁判は和解で合意が成立した
(343 F.Supp.279;1972 U. S. Dist.)。