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相対(あいたい)交渉

ドキュメント内 教育・保育関係の (ページ 155-158)

第5章 裁判及び裁判外の教育・保育紛争解決

第2節 裁判外教育・保育紛争解決

2 相対(あいたい)交渉

(1)有効性と問題点

教育をめぐるトラブル・紛争は、保護者らの学校・教師に対するクレームがその発端 となることが多い。時として保護者らは、学校の頭越しに教育委員会や首長部局や議員 に苦情を訴え、回り回って学校側にそれが下りて来て紛争になることもあるが、ここで は学校への直接のクレームという通例のルートを念頭に置くこととする。保護者らが教 育に関して日常的な不満や要求を抱くのは学校・教師に対してであり、学校側はそれを 第一次的に受け止めるべき立場にあるわけだからである。かくて、クレームを突きつけ る保護者らとこれを受ける学校側との間で、まずは相対(あいたい)交渉が開始される こととなる。

市民生活の中で何らかの(民事上の)もめごとが生じたとき、それを当事者同士の直 接の話し合い・交渉で和解しようとすることは、紛争解決におけるいわば原初的ないし は基底的な形態である。それは、近代市民社会が成立する以前からそうであったであろ うが、私的自治が重要な原理として認識されて以降、とりわけ、新自由主義における「自 己責任」が強調される現代、その意味と重要性が再認識されるに至っている。

しかし、紛争当事者による直接の交渉は、トラブルを解決する原初的・基底的な方式 には違いないが、唯一・最善・最高のものではなく、とりあえず紛争当事者が選択し、

又は選択しようと考慮に入れる一手段でしかない。相対交渉には、幾つかの長所ととも に、少なからぬ短所もあるわけだからである。

相対交渉の長所としては、さしあたり次の諸点を挙げることができるであろう。第一 に、相手が何を感じ・考えているかが、その表情や言葉遣いや身振りなどによって直接 看取でき、それを踏まえた収拾を試みる余地がある。第二に、事件の背景や細部の状況 が当事者から直に伝えられることから、伝聞などに基づく不確かな事実把握を避けるこ とができ、当該事件の全容を明らかにして問題の解決に導く可能性が大きい。第三に、

話し合いの機会を持つだけで誤解が氷解し、相手方を許すことができてトラブルが解決 してしまう場合がある。第四に、オール・オア・ナッシングでなく、相互が納得して「ウ ィンウィン」のうちに握手するといった雰囲気で収束を図ることが期待できる。

これと裏腹に相対交渉には、次のような短所もある。第一に、当事者の間に能力・資 力・情報量などの格差がある場合には、優位にある側が相手を圧倒し、相手方にとって 不本意な結果をもたらすことになってしまう。第二に、相互に自由に自らの主張を展開

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することから、解決に導く共通ルールを見出すことができず、交渉が延々と続いて決着 のめどが立たないことがある。第三に、対立関係にあることから双方が激昂し攻撃的に なり、エスカレートするばかりで、冷静で客観的な論理が通用せず、声が大きい方の言 い分が貫徹してしまう危険がある。第四に、一つの問題が片づかない内に他の問題が持 ち出されるなどして、問題の核心が明らかにならないまま紛争が錯綜することが少なく ない。

「学校トラブル」の相対交渉に焦点を合わせてみると、これらに加えて、保護者側が 自分の子どもの言うことを一方的・全面的に信じ込み、学校側の説明を全く受けつけず、

他方、学校側も自らのメンツや都合で事実を隠蔽することがあるために、交渉がゆがん だ形で進められたり、学校側が行政当局や世論を気にして自らの正当な見解を示すこと をためらい、保護者側の圧力や剣幕に押されていたずらに平身低頭して事を収めてしま う、といった事態が考えられる。

保護者からのクレームへの学校・教師の「対応」は、トラブルを解決・処理する「交 渉」とは一応別のものであるように思われる。「対応」は、学校・教師側がクレームを第 一次的に受けるということであり、当該クレームがその後どのようなトラブルに展開し ていくのか、そもそも聞くに値するクレームかどうかも未だ判然としない段階のプロセ スである。これに対して「交渉」は、解決・処理しなければならない案件について、当 事者が相互に事態を前進させることである。この、第三者を介さず直接に話し合う相対

(あいたい)交渉は、トラブルの解決・処理の最も自然で基本的な形態・方式と言える。

相対交渉は、トラブルの当事者が直接接して交流しながらトラブルの解決に向けて行 う作業である。当該トラブルに関する様々な事実をそれぞれが最もよく知っており、直 接接することを通じて、当事者が事態をどのように捉えているかが相互に看取できる等 のことから、問題をスピーディに率直に、初期の段階で容易に収めることができる可能 性を有する。学校教育のように、一定期間人間関係が継続するような領域でのクレーム・

トラブルは、当事者間の直接の交渉で収拾させることが、子どもにとってはもとより、

保護者・教師にとっても望ましい。他方、それだけに、相対交渉には、幾つかの留意す べき問題点もある。

まず、「相対」は「対等」の意味合いをも具えているが、当事者双方が対等な立場で意 見を述べ合うことは、現実にはむしろ稀で、交渉能力においても社会的・経済的地位に おいても、対等ではないのが通例である。学校について言えば、保護者は、担任の心情 を害すれば子どもの学校生活に響くのではないかと心配し、逆に学校・教師も、地域の 有力者に遠慮するということもありうる。保護者がその職業上、自らの力を誇示し、教 師を見下すことによって交渉を不当に有利に進める、といったことも、ないわけではな い。

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第二に、一方が交渉を働きかけてももう一方が乗ってこなければ、交渉は空振りに終 わる。相対交渉は何よりも、問題の解決に向けて当事者双方が協働するのでなければ、

成立しないのである。

第三に、相対交渉にあっては、共通のルールがないまま、当事者の主張ないし利害が、

いわば歯止めが効かないで正面から激突し、いたずらに要求や非難がエスカレートして、

収斂に向かわずに空中分解してしまうことがありうる。例えば教師が持っている規範・

価値観は、必ずしも保護者のそれとは同じでなく、議論がかみ合わないまま、相互の不 信感・軽蔑・憎しみが増して物別れになることにもなりうるのである。「子どものために」

という、一見いかにも争う余地のないスローガンを掲げてみても、それが交渉を確実に 進める決定打になるとは限らない。

このほかにも、相対交渉なるがゆえの不都合や限界は、種々あるであろう。

(2)交渉不調ケース

相対交渉がこじれて訴訟を提起するに至った例は少なくないが、ここではその一例と 思われる事案をみることとする。

市立小学校 1 年生で自閉症的特徴を伴う広汎性発達障害及び中程度の知的障害があっ たXは、学級担任のA教諭と養護学級担当のB教諭のもとで教育を受けていたが、偏食 のXは保育園時代に保育士から虐待を受けたり無理に食べさせられるなどして、PTS Dの病歴があった。入学してまもなくXの母親は、「給食を無理に食べさせないようお願 いします」と連絡帳に記載、A教諭は「やきそばをムリやり少しずつ食べさせました」

と連絡帳に返信したが、やがてXはフラッシュバックを起こし、不登校に陥った。

母親は教頭に対し、不登校になった原因の究明と責任の所在を明らかにするよう要望、

学校は報告書をXの母親に提出し、B教諭が謝罪した。次いで母親は、A教諭がいる限 りXは登校できないとして、A教諭を辞めさせるよう校長に要請するに至ったので、学 校側はXの再登校に向けて母親と何度か話し合いの機会を持った。夏休みに入るとA教 諭は休職し、別の教諭が担当することとなった。翌年、母親は市を相手どって簡易裁判 所に調停を申し立てたが、2 年後に調停不成立となったため、Xは市に損害賠償を求め て提訴に及んだ。判決は市の賠償責任を認めた(大阪地裁平成 17 年 11 月 4 日判決 判 例時報 1936 号 106 頁)。

問題の発生から裁判による結着まで4年以上かかり、その間、一方でA教諭は休職し、

他方でXは転校を希望したが指定外就学が認められず、フリースクールに通わざるをえ なくなったのであった。まさに泥沼の様相を呈した本事案が、相対交渉において実体的・

手続的にどのような不備や行き違いがあったのか、詳細に検証してみなければならない が、同時に、相対交渉には一定の限界があることをも、このケースは如実に物語る。

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