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第 9 章 「多く」と「たくさん」の意味分析

9.2 先行研究とその検討

9.4.1 連用修飾用法における類似点と相違点

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から、両語は<あるものの数量が><大であると捉える>という類似点を持っていると言 える。

ところが以下のような場合は、「たくさん」を「多く」と置き換えることができない。

(37) 彼女の財布にはお金がたくさん(*多く)ある 。 (=(27)) (38) 今日は皆でたくさん(*多く)遊びました。 (=(28))

(37)の「たくさん」は「彼女の財布」という物理的空間における「お金」の量を表す。

これを「多く」に置き換えると、母集合や基準が想定され、それと比較しつつお金の数量 を述べるという読みになり、不自然な文となる。「多く」に置き換えるには、たとえば「い つもより」など、比較の基準になる語を付加したり、「お金」を「小銭」にして、「彼女の 財布には小銭が多くある」のように、比べる基準(たとえば、紙幣と比べて)が想定でき なければならないことから、先述のように、「多く」を用いるには「個別の基準が明示され るか想定できなければならない」という制約があることが確認できる。同様に、(38)の「た くさん」は「遊ぶ」という動きの量を表すが、この「たくさん」を「多く」に置き換える と非文となる。自然な文となるには、やはり、「いつもより」など、比較の基準が示される 必要がある。一方、「たくさん」の基準は前節で見たように一般的な基準であり、基準が明 示、想定される必要がない。

ところが、(35)(36)のように、「多く」と「たくさん」が自然に置き換えられ、「多く」

が制約なしに用いられる例もある。これら基準の明示化という制約が有効な文と無効な文 の違いは何なのであろう。次の例を見てみよう。

(39) a. 待合室に日本人の重役が1人いる。

b. 我社には日本人の重役が1人いる。 (池上・河上他(訳)1993:689)71

(39a)においては、「1人」を「多く」に置き換えると容認度が下がる。容認度を上げ るには、たとえば、「アメリカ人の重役より(多くいる)」のように基準が明示されるか あるいは想定できなければならない。一方、(39b)の「1人」を「多く」に置き換えても 容認度は落ちない(その場合、「多く」は別義②の「割合」の意味、あるいは別義③の「数 量大」を表す意味であると解釈できる)。中右(1998)は、(39a)について、「日本人重役 と待合室との間」には「どのような内在的関係もない。あるのはただ、偶然的な空間関係 だけである。日本人重役がたまたま待合室という物理的空間に位置しているにすぎない」

(p.73)と述べている。これに対して、(39b)については、「会社と重役には空間的関係以 上に、内在的関係がある。特別の事情がないかぎり、重役は会社という組織の構成員とし

71 この例文は英語原文からの翻訳であるが、本研究の論点には影響しないと考えられるためそのまま引用 する。

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て理解されるからである」(p.73)と述べ、「我社」と「日本人の重役」が全体と部分の 内在的な関係にあるとしている。このことから、連用修飾用法の「多く」は、偶然的な空 間関係にある量を表す場合は制約が有効であるが、全体と部分のような内在的な関係にあ る場合は、制約が無効であると考えられる。

ところで、(39a)と(39b)は、文の叙述の仕方が異なると考えることもできる。益岡(2004:4)

は、文の叙述の仕方には、大きく 2 つの類型があるとし、一つは「属性叙述」であり、も う一つは「事象叙述」である、と記述した上で以下のように説明している。

(40) 属性叙述とは、ある対象 X がある属性 Y を有することを述べるものである。言い換 えれば、対象 X に属性 Y を付与するものである。(中略)これに対して、事象叙述 とは、ある時空間に実現する(出現する・存在する)ある事象(広義の event)を 叙述するものである。 (益岡 2004:4)

つまり、叙述の類型という観点から見ると、(39b)は対象が所有する性質を表す属性叙 述であり、(39a)はある時空間に存在する事象を表す事象叙述であると捉え直すことがで きる。

ここでもう一度(35)を見ると、「群馬県南部」は「有力な豪族が多く出現した」という 属性を有する対象と捉えることができる。同様に、(36)は「このカロリヌム」の属性を表 す文であると捉えられる。というのは、「有名な学者が多く訪れる」は、単なる出来事の叙 述ではなく、「このカロリヌム」を特徴付ける叙述であると捉えることができるからである。

つまり、「このカロリヌム」は有名な学者が多く訪れたくなるようなプラスの属性を有する と捉えることができる。(35)(36)においては、「多く」は比較の基準を想定することは難 しい。

以上の考察から、連用修飾用法の「多く」の制約について以下のように記述できる。

(41) 「多く」を用いるには、比較の基準が明示されるかあるいは想定できなくてはなら ない。ただし、属性叙述においてはそのような制約が無効である。

一方「たくさん」は、数量詞「1 人」同様、上の(39a、b)どちらにも生起することがで き、「日本人の重役」の数を表すことができる。

それでは、なぜ事象叙述においては制約が有効であり、属性叙述においては制約が無効 なのであろうか。影山(2012:11)は「通常の事象叙述文で観察される統語的制約は属性 叙述文には当てはまらないということである。このことから、事象叙述文と属性叙述文は、

意味的な特徴だけでなく統語的性質においても、それぞれ異なる世界を形成していると推 測できる」と述べている。「多く」も、属性か事象かという叙述の意味的性質の違いが統 語的振舞いに反映されていると考えられる。

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最後に、以下のように「多く」が頻度を表す別義④で用いられる場合、「たくさん」とは 基本的に置き換えが難しい。このことから「たくさん」は、頻度を表す意味では用いられ にくいと言える。

(42) 抗がん剤は、細胞へのダメージの与え方によって数類にわけられ、治療の際には、

2 種類以上の抗がん剤を組み合わせて使用することも多く(*たくさん)おこなわ

れている。 ((=25))