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第 3 章 理論的背景

3.5 概念に基盤を与えるイメージスキーマ

本節では、「認知言語学の研究の中心的な概念である」とされる(山梨 2009:93)イメー ジスキーマについて概観する。冒頭で見たように、言葉には、環境に働きかけ、環境と共 振しながら世界を解釈していく主体の感性的な要因や身体性にかかわる要因(五感、運動 感覚、視点の投影、イメージの形成 等)がさまざまな形で反映されている。イメージスキ ーマは「概念構造に先行する認知の図式の一種であり、言葉の創造的側面に密接にかかわ っている」(山梨 2009:94)とされる。

籾山(2010:77)は、「イメージスキーマとは、人間が、身体を通して世界と相互作用を する中で、一般化、抽象化した形で抽出することができる(認知)図式のことである」と 記述している。

たとえば、イメージスキーマの 1 つである「容器のイメージスキーマ」の形成について、

籾山(2014:15-16)は以下のように説明している。

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私たちは、生命を維持するための基本的な営みとして、空気を吸い込み、吐き出す、ま た、食べ物を摂取するとともに排泄するといったことをする。このような身体的な経験 を通して、私たちは自分の体を「容器」として理解するようになる。また、私たちは、

建物の中に入る、建物の中にいる、建物から外に出るといった日常的な経験を通して、「建 物」などを「容器」とみなすとともに、自分自身を「容器の内容物」になりえるものと して理解する。以上のような経験を通して、私たちは、「内部」、「外部」、両者を区別す る「境界」を構成要素とする「容器」のイメージスキーマを形成するに至る。

(籾山 2014:15-16)

さらに、籾山(2010)は「イメージスキーマが概念に基盤を与え、その概念の一部が言 語表現の意味に反映していると考えられる」と述べている(p.78)。

イメージスキーマに基づく概念構造の拡張のプロセスとして、山梨(2009:94)は、「イ メージスキーマの比喩的な写像による拡張」と「イメージスキーマのブリーチング(意味 の漂白化)による拡張」があると述べている。前者の典型例としてとして、容器のメージ スキーマの物理的空間から社会的、心理的空間への比喩的な拡張が考えられるとして、以 下の例をあげて説明している。

(1)a.彼は寝室に入った。<物理的空間>

b.彼は新しいクラブに入った。<社会的空間>

c.彼は躁状態に入った。<心理的空間>

(1)の a の「寝室」は、物理的空間に基づく容器として理解される。これに対し、b の「新しいクラブ」は、社会的な空間に基づく容器に、また c の「躁状態」は、心理 的な空間に基づく容器のイメージスキーマに比喩的に拡張されている。

山梨(2009:94-95)

他方、「イメージスキーマのブリーチング(意味の漂白化)による拡張」の例として、以 下の例をあげて説明している(山梨 2000:142-143)。

(2)a.穴から蛇が出てきた。

b.(X から)いい色が出てきた。

c.{月が/霧が}出てきた。

この場合には、容器のイメージスキーマが、前景化されて意識されているか、背景 化され意識されなくなるかが問題になる。(2)の a の場合には、「穴から」という表 現から明らかなように、問題の蛇がどこから出てきたかの出所(すなわち、穴とい う容器としての出所)が前景化されている。これにたいし、(2)の a から b の例に いくにしたがって、出所としての容器のイメージスキーマは相対的に背景化されて

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いる。cの場合には、月や霧がどこから出てきたかと問われても、具体的にその出 所を意識することは不可能である。図 2 は容器のイメージスキーマが、a から b、b から c にいくにしたがって、次第に背景化されていくプロセスを示している。

<イメージスキーマの背景化/ブリーチング>

図 2

山梨(2000:143)

上の(1)において、物理的空間である「寝室」のみならず、「新しいクラブ」や「躁状態」

が「容器」として理解される仕組みについて、つまり、これらに類似性が認められる仕組 みについて、籾山(2014:16-17)に詳しい説明がある。籾山は、「4 月に入る(と、ようや く暖かくなった)」と「A 大学に入る」という表現について以下のように説明している。

まず、「4 月に入る」の「4 月」は、言うまでもなく、1 年のうちの他の月と区別される 1 つの月であり、始まりと終わりが明確な期間である。また、「4 月」はもちろん空間上 の範囲ではなく、時間上の期間であるが、期間内(内部)と期間外(外部)を明確に区 別できることから、一種の「容器」とみなせるものである。さらに言えば、その期間内 に、つまりは容器内に人間が容器の内容物として存在することができる。このように考 えると、「4 月に入る」などの時間に関する表現も、容器のイメージスキーマに基づくこ とがわかる。(中略)次に、「A 大学に入る」という表現は「A 大学の学生になる」という 意味を表せる。また、A 大学の学生であるか否かは明確に区別できることである。つまり、

ある 1 人の人に関して、A 大学の学生であるか、そうでないかのどちらしかない。このよ うに考えると、「A 大学の大学生であるという身分」は、境界が明確であって、一種の「容 器」とみなせるものであり、やはり容器のイメージスキーマに基づくことがわかる。

(籾山 2014:16)

ここで、あらためて山梨の例(1)を見ると、「新しいクラブ」は「大学」と、「躁状態」は

「4 月」とそれぞれ平行的に考えることができる。つまり、「新しいクラブ」は、クラブの メンバーであるか否かという「境界」が明確に区別できることから、容器とみなすことが できよう。同様に「躁状態」も、躁状態である(期間内)と躁状態でない(期間外)を区 別できることから、容器とみなすことができよう。このように、容器のイメージスキーマ は、空間における物理的移動を表す表現だけでなく、より抽象的な移動あるいは変化を表 す表現の基盤ともなっている(籾山 2014:16)。

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さらに、籾山(2010:82)は、「学校/会社/サークル/野球チーム/仲間に入る」とい った一連の表現の背後には、「組織に加わることを、容器の内部に移動することを通して捉 える」という概念メタファーが存在していると考えられる、と述べている。概念メタファ ーとは、ある対象(=目標領域)をよりよく理解したいという場合に、別のよくわかって いる物事(=起点領域)を通して理解するという認知のしくみのことである(籾山 2010:82)。

籾山は、「容器の内部に移動する」という空間における行為(=起点領域)の方が、「組 織に加わる」という抽象度の高い行為(=目標領域)よりも、理解しやすいことは明らか であろうと述べ、さらには、典型的な「容器」と同様に、「組織」にもウチとソトを区別す る境界があり、「組織」に属する人と属さない人が区別される。そして、「組織」に属する 人とは、「組織」の内部にいる人である。このことを踏まえると、「組織に加わる」という ことは「組織」の外部にいた人が「組織」の内部に移行することと考えられる、と述べて いる(籾山 2010:82)。

つまり、容器の「内部」と「外部」、そして両者を区別する「境界」を構成要素とするイ メージスキーマの基本的な構造が、「組織に加わる」という目標領域においても維持されて いることが確認できる。以上のように、概念メタファーにおいて、起点領域のイメージス キーマ構造が目標領域に投射され、目標領域においても維持されることを、「不変性原理

(invariance principle)」と言う(籾山 2010:82-83)。

一方、谷口(2013:17)は、上のような類似性に基づく意味拡張とは別に、「基本的なイ メージスキーマの構造に一部変更が加えられることによって、同じ空間義ではあるが、基 本的用法とは異なる位置関係を示すように変化するという拡張も存在する」、とし「このよ うにイメージスキーマそのものにバリエーションを生み出す作用を、「イメージ・スキーマ 変換」と言う(Lakoff 1987)と述べ、以下のように説明している。

イメージ・スキーマ変換には、プロファイル(焦点)を交替させる方法や、当初のイメ ージ・スキーマを構成要素とする構造へと拡張させる方法などがある。Over を例に示す と(Lakoff 1987、Dowell 1994 の分析に基づく)、中心的なイメージ・スキーマは、図①

(The plane flew over the hill)のように、LM(ランドマーク)8の上方を横切る弧を 軌跡とする移動である。一方で、図②(The painting is over the fireplace)は LM の 上方部分のみをプロファイルする。図③(Sam lives over the hill)は主観的移動が関 与しており、イメージ・スキーマの軌跡が心的走査に置き換えられ、実際にはその終点

8 ランドマーク(LM)とトラジェクター(TR)は以下のように説明される。

認知文法は主観的意味論の立場を取り、概念内容が同じであっても、捉え方が違えば意味が異なると 考えるが、その捉え方の違いの 1 つに際だちがある。ある特定の認知領域内の構造は、その際だちの 違いによって、背景的要素として機能するベースと、焦点化され、際だちの大きいプロファイルと呼 ばれる部分とに分かれる。このプロファイルが、ある事物と他の事物の間に成立する関係を表してい る場合、双方ともプロファイルされていても、その間にはさらなる際立ちの違いがある。このような、

関係を表すプロファイルにおいて、際だちの最も大きい部分構造を「トラジェクター」と呼び、それ 以外の際だちの大きい部分構造を「ランドマーク」と呼ぶ。このトラジェクターとランドマークの区 別は、図地分化という基本的な認知能力の言語的現れであると言える(熊代 2013:255)