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第 6 章 出来事、動きの量を表す「たくさん、数多く、多く、多数」の意味分析

6.4 出来事と動きの量を表す「数多く、たくさん、多く」

前節ではモノ名詞とものに近い名詞(単純デキゴト名詞)の数量を表す「多数」と「数 多く」の意味の違いについて考察した。本節では、出来事と動きの量を表す「数多く、多 く、たくさん」の 3 語について、連用修飾用法における意味の類似点・相違点を考察する。

以下の例を見てみよう。

(46)10 回くらい運転したと言っていますがもっと数多く(多く/たくさん)していた のでしょう。教育者としては論外な行為です。 (BCCWJ)

(47)運動を多く(たくさん/*数多く)すれば痩せると思う。(「耳ツボダイエット・

適正チェック 次の質問に答えて自分の体質や生活環境をチェックしてみましょ う」) (NLT) (48)久しぶりにたくさん(多く/*数多く)歩いて疲れもしたが、何よりも頭の中が 混乱していた。 (BCCWJ)

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(49)首都圏の山を中心に、時には南北アルプス・八ヶ岳方面へも遠征されている sanpo さん。表題に散歩道とありますが、なかなかどうしてマイナールートや健脚コー スなども数多く(たくさん/多く)歩かれている、山が大好きな女性です。 (NLT)

(50)軸足がボールから近いと思うのなら、少し離して踏み込んでみる。軸足の踏み込 みが浅いと思うのなら、少し深く踏み込んでみる。また、軸足以外にも、体の傾 き方が甘いと思うのなら、少し体を傾けてみる。助走の角度に違和感があるのな ら、少し角度を変えてみる。こういった調整を加えながら、自分の最適な蹴り方 を見つけてください。最適な蹴り方が見つかるまでには、数多く(たくさん/多

く)蹴る必要があります。 (NLT)

(51)自分の体力、能力に合ったバットを使う。数多く(たくさん/多く)振ればよい というものではない。 (=(11)) (52)なぜなら、「ダンサーは舞台に数多く(たくさん/多く)立つことでしか磨かれな

い」からだ。 (=(10))

(46)の「運転」と(47)「運動」はともに複雑デキゴト名詞と考えられるが、「数多く」

の容認度が異なる。(46)の「数多く」は「運転(する)」の回数を表す。この「数多く」

は(文体差はあるが)「多く、たくさん」とほぼ同じ意味で置き換えることができる。他方、

(47)の「多く」は「たくさん」とは置き換えが可能であるが「数多く」は難しい。これ は、(47)の「多く」は「運動」の量を、たとえば継続時間や距離、激しさなど、(頻度、

回数などを含め)結果的に一まとまりに捉えるのであって、たとえば「何回」運動したか といった個々の(運動の)構成要素に注目しているわけではないからと考えられる。この ことは「運動」を「腹筋運動」といった回数に注目しやすい個別の運動に置き換えると「数 多く」が容認可能になることからも分かる。

同様に、(48)の「たくさん」は「歩く」という継続する動きの量を、たとえば移動時間 や距離といった連続量を結果的に一まとまりに捉えるのであって、その回数に注目してい るわけではない。この場合、「たくさん」は「多く」とは置き換え可能であるが「数多く」

は難しい。つまり、「数多く」は行為や動作、出来事を点として捉え、その回数を数えるの に対して、「多く、たくさん」は動きの量を一まとまりに捉えると考えられる。このことは、

(49)において「マイナールートや健脚コースなど」と個々の構成要素が明確に捉えられ る場合「数多く」が用いられることからも分かる。

続いて、(50)(51)の「数多く」はそれぞれ「蹴る」「振る」という動きの量を表す。「蹴 る」「振る」という動きは一瞬で終わる動きであって、「数多く」はその瞬間的な動きの個々 に注目し回数を数えている。この「数多く」を「たくさん、多く」に置き換えると、動き の量を結果的に一まとまりに捉えるのであって、「数多く」とニュアンスの差が感じられる。

以上の観察から、「数多く」が出来事や動きの量を表す場合、当該の行為や動作、出来事 の「個別性」に注目し、どの程度行ったかという数量的規模を「回数」として捉えること

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が分かる。他方、「多く、たくさん」は個別性には注目せず、当該の出来事や動き、行為を どの程度行ったかという数量的規模を結果的に一まとまりに表すと考えることができる。

加藤(2006a:37)は、「連用数量詞は広義の動作量と解釈される」とし、「動作量の解釈 は、A.動作主の数量、B.動作対象事物の存在数量、C.動作対象物の属性数量・部分数量、

D.達成量、E.動作・行為の持続時間、F.動作・行為の回数・頻度、などがあるが、D は B や C であることもあり、これらは排他的分類にはなっていない」、「ただし、動作量解釈が、A

-F のいずれと結び付きやすいかは動詞の意味による。最も結び付きやすいものが連用不定 数量詞の無標の解釈としてあらわれる」と述べている。

確かに、上の例から分かるように(連用修飾用法における)動作量の解釈は「歩く」と いった継続動詞の場合、「動作・行為の持続時間」や距離など「達成量」33と解釈すること が可能である。他方、「振る、蹴る」といった瞬間動詞の場合、「動作・行為の回数・頻度」

と解釈できることから「動作量解釈がいずれと結びつきやすいかは動詞の意味による」と 考えられる部分が大きい。

しかし、同じく「蹴る」という動詞と共起しても、「数多く」は動きの個々の構成要素に 注目して一回一回数えるのに対して、「たくさん、多く」は、個々の構成要素には注目せず、

動きの量を一まとまりとして捉える。このことから、「動作量解釈が、A-F のいずれと結び 付きやすいか」は(「動詞の意味」それ自体よりもむしろ)「数多く、たくさん、多く」の ような「不特定数量詞」が際立たせると考えることができる。このことは、影山(編)(2011:

17)が、「学生、医者、子供」などの名詞が「~人」という類別詞を選ぶのか、それとも逆 に、「~人」という類別詞のほうが対象物を選ぶのかという問いに対して、「類別詞が名詞 を限定している-たとえば『~人』という類別詞は人間を表す名詞を選び、『~台』という 類別詞は機械類を表す名詞を選ぶ-と考えるのが正しいだろう」と答えていることと平行 して考えることができる34

一方、(52)の「立つ」は、6.2.2 で見たように、概ね「(本番の)舞台の上に立ち演技す る」という経験の量を表す。この場合「数多く」をほぼ同じ意味で「たくさん、多く」と 置き換えることができると思われる。このことから「多く、たくさん」は具体的な行為、

動きの「回数」の意味を際立たせることは難しいが、経験の量として一まとまりに表す場 合については容認度が高いと思われる。

それでは、連用修飾用法における「たくさん」と「多く」の相違点は何なのであろうか。

(53)野萱草(ノカンゾウ)

山菜というと山の奥深くに生えるイメージがありますが、ノカンゾウは別。人里

33 加藤(2006a:35)は「動作の達成量」として「走った距離」や「他動詞の目的語の数量」も含めること ができると記述している。

34 影山(編)(2011:17)は、その証拠として、「たとえば『私が見たのは』と言っただけでは何を見たの か不明であるが、『私が見たのは 3 人です』と言えば人間を見たと解釈され、『私が見たのは 3 匹です』と 言えば何らかの動物を見たと理解できる。類別詞が手がかりになって、対象物の姿が分かってくるのであ る」と述べている。

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で多く(たくさん/?数多く)目にする山菜です。アクもクセもなく、普通の野菜 と変わらぬ清々しい味わいが特徴。 (NLT)

(54)ハリウッド映画はただの娯楽でメッセージ性を持たないと多く(*たくさん/*

数多く)言われるが、そう思うか。日本映画も娯楽でメッセージ性を持たないと 思うか。 (=(3))

(53)の「多く」は「ノカンゾウを目にする」頻度・回数を表すと思われる。この「多 く」は「たくさん」と置き換えることができる。ただし、ニュアンスが異なる。「たくさん」

は「頻度・回数」ではなく、「ノカンゾウ」というものの数に注目すると捉えられる。

一方、(54)の「多く」は「言われる」という出来事の生起する頻度・回数を表すと捉え ることができる。この場合、「たくさん」は容認できないことから「たくさん」は頻度・回 数を表すことが難しいことが分かる。また、先述のように、「ハリウッド映画はただの娯 楽でメッセージ性を持たない」という評価は実際、客観的なものかどうかは不明である。

しかし、ここで「多く」を用いた話し手の意図は、「ハリウッド映画はただの娯楽でメッ セージ性を持たないと言われる」という出来事の生起する頻度・回数が大であると述べる ことによって、「だだの娯楽でメッセージ性を持たない」という「ハリウッド映画」の特 徴や評価を述べることである。先述のように、複数回の同類の事態生起から帰納的推論に よって、それが一般的な特徴や評価であると捉えることが可能になるからである。ここで もう一度(53)を見ると、ここで「多く」を用いた話し手の意図は、「人里で目にする」と いう出来事の頻度・回数を大であると述べることによって、「ノカンゾウ」の特徴を述べる ことにあると考えられる。すなわち、「ノカンゾウ」は「人里に生育する」という属性を持 つことを述べることであると考えられる。以上の考察から、「多く」は頻度・回数を述べ ることによって属性を表すことができるが、「たくさん」は難しいと考えられる(詳細は 第 9 章)。