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第 5 章 モノ名詞の数量を表す「たくさん、多数、大量、多量」の意味分析

5.2 先行研究とその検討

5.3.1.5 別義間の関連性

本節では、4 つの別義間の関連性について考察する。

まず、別義①と別義②の関連性について考察する。意味①では、ものの量を表す「たく さん」が、別義②では動きの量を表す意味へと拡張している。本来ものを表す形式でこと を表す意味になったが、ともに数量大を表すという共通点(スキーマ)がありこの点で 2 つの意味は類似している。従って、この意味拡張はメタファー(第 3 章参照)に基づくと 考えられる。捉えにくい動きの量を捉えやすいものの量に基づいて理解しようとする人間 の認知プロセスを示していると考えられる。

別義③と別義①は時間的隣接関係が認められることから、メトニミー(第 3 章参照)に 基づく意味拡張であると考えられる。というのは、通常我々は外界の対象に対して、感覚 器官などを通してただ単に知覚するだけではなく、さらにその対象について、深く理解し たり、何らかの判断を下そうとする場合が多いと考えられるからである。つまり、別義① では、話し手は、視覚などの感覚によって知覚する対象の量を大であると捉えているが、

別義③では、さらに進んで、それだけで十分であると判断している。すなわち、本来は、

数量大を表す「たくさん」という表現で、これに時間的に後続(隣接)する、「それだけで

61 十分である」という意味を表していると言える。

なお、別義③と別義①は必ずしも明確に区分できるわけではない。これについて少し補 足すると、田中(1999)は「見る」の持つ「視覚によって対象を認知する」(例「走りなが ら空を見た」)意味と「対象を視覚的に認知し、さらにより高次の理解・判断を行う」(例

「イルカの知能がきわめて高いことは、シャチの曲芸を見てもわかる」)意味の連続性につ いて次のように述べている。

(2 つの意味の)境界も明確ではない。人は何かを見ると自然にその対象を必要な限りど こまでも理解し、判断し、評価しようとする。対象をあるカテゴリーのものとしてその 存在を認知しそこで止まるか、それともその対象に注意を集中してさらなる判断を下そ うとするかは、見る主体の関心のありようや必要性によってさまざまなケースがありう る。 (田中 1999:62)

このように、「たくさん」の別義③は、別義①と切れ目なく連続しているものと思われる。

さらに、別義③の「たくさん」は「それだけで十分である」という意味を表すが、別義

④は問題となる状態や出来事をすでに十分に継続して(繰り返して)経験したことが原因 となって「それ以上受け入れられない」という話し手の心的態度を表す。つまり、別義③ と別義④は原因と結果の関係にあり、関連性に基づくメトニミーよる意味拡張と考えられ る。このように、「たくさん」の別義④は、別義①、別義③と連続しているものと思われる。

また、この意味拡張は「数量が大である」から「それだけで十分である(それ以上必要 ない)」、さらには「それ以上受け入れられない」へと、数量の多さを機縁として含むフレ ームの異なる段階に焦点がシフトしていることに基づくと考えることができる。

「フレーム」とは、日常の経験を一般化することによって身につけた、複数の要素が統 合された知識の型のことである(籾山 2010:86)。籾山(2010)は、「適切なフレームを設 定することによって、一連の言葉の相違点を、フレーム内のどの要素、あるいはどのよう な要素間の関係に焦点を当てるのかの違いとして明確に把握することができる」と述べ

(p.93)、メトニミーはフレームの観点から説明することもできると指摘している(p.92)。 たとえば、「(お)手洗い」は、本来は<用便>のあとに行う<手を洗うこと>を表すが、

時間的な隣接関係に基づくメトニミーによって、<手を洗うこと>の前に行う<用便>(さ らには、<用便するところ>)を表すことができる(pp.46-47)。このことを「トイレ」の フレーム(「トイレに入る→排泄する→手を洗う→トイレから出る」)に基づいてあらため て考えると、「手を洗う」ことから「排泄する」ことに焦点がずれる(シフトする)ことと 考えることができると説明している(p.92)。

「たくさん」の場合も、「数量が大である」ことを機縁として含むフレーム、すなわち、

「数量が大である→それだけで十分である(それ以上必要ない)→それ以上受け入れられ ない」の異なる段階に焦点がシフトしていることに基づくと考えることができる。

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以上をまとめると、図 2 のように表すことができる。

スキーマ<数量が大であると捉える>

メタファー メトニミー

図 2 「たくさん」の多義構造

5.3.2 「大量」の意味分析

まず、「大量+の+名詞」の形式において「大量」と共起する名詞を見てみよう。NLT を利 用して検索すると、「大量+の+名詞」の形式は出現頻度 18238 である。頻度順に 14 位まで の名詞を以下の表 3 に示す。

表 3 「大量+の」に共起する上位頻度の名詞14語(併記の数字は出現頻度)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

810 デ ー 439

情報

362 放射

323

258 放 射 181

ごみ

180

エ ネ ル ギー 160

土砂

157

資金

147

放 射 145

出血

140

メ ー 129

水分

110

上の表から分かるように、「大量」は「水」「汗」といった液体や、「放射線、ごみ、

土砂」のような特定の形態をもたない均質な存在、つまり連続体と共起する例が圧倒的に 多く観察できる。連続体は、特徴的な形や明確な境界線、内部構造を持たない均質な<モ ノ>として捉えられる(深田・仲本 2008:215)。また、これらは空間に存在する具体物で ある。さらに、「データ、情報、資金」といった抽象物も観察できるが、これらは抽象物 とはいえ具体的に計量類別詞によって数量化できるものである。ただし、「大量」は「人」

のような(特徴的な形と明確な境界線、内部構造を持った)個体を表す名詞とも問題なく 共起する。実例を見てみよう(連用修飾形や表 3 の上位 14 語以外の語を含む)。以下の例 はすべて BCCWJ と NLT からの引用であるが、ジャンルの参考のために出典を記す。

(18)もっとも気候が暖かい現在は、週末にもなるとビーチに大量の人が観光も兼ねて 押し寄せてくる。 (書籍『えっせい』人間化学研究所(NLT))

(19)ニュースになったりもしましたが、大量の本は床をブチ抜きます。

(本を捨てたくない。。。でも整理はしたい!という人のため の「捨てない整理術(収納術)」 - シンプルモダンインテリアスタイル.net(NLT))

(20)フロッピーディスク装置などの周辺機器の高性能化により、大量のデータを迅速

① ②

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に処理できるようになったこと。 (『中小企業白書』(BCCWJ))

(21)一方、8月以降、中南米諸国において株価が急落し、大量の資金が流出した。

(『外交白書』(BCCWJ))

(22)IC のもうひとつの特長はこれが著しい量産効果をもっていることだ。はじめの 1 個の費用は 10 万ドルかかるが、2 個目からは 5 セントがかかるだけだなどといわれ る。つまり、装置工業の製品なのである。そこで、ゆるがせにできない点は、いか にして大量の需要を確保するかということだ。

(http://www.nawa-k.info/doc2.html(NLT))

(23)近所のおばあさんからゴーヤを大量に戴きました。 (Yahoo!知恵袋(BCCWJ))

(24)ぼくはただちにスーパーマーケットにおもむき、コンニャクを大量に購入するこ とにした。コンニャクを五枚買い求めた。 (書籍『なんたって「ショージ君」』(BCCWJ))

(25)メガフロートには巨大な空間があるので、非常用発電設備、医療設備、大量の水 や食糧などを用意しておくことができ、その中には2万人までの避難者を受け入れ ることができる。 (書籍『技術社会関係論』(BCCWJ))

(26)瓶、缶類を買いだめする必要がなくなりました。それに代わって、最近の傾向と しては大量のミネラルウォーターを常備する家庭が増えています。

(書籍『Dr.コパのまるごと風水事典』(BCCWJ))

(18)(19)の「大量」は、それぞれ、「人」「本」の数量が著しく大であることを表 す。これらの名詞の指示対象は、普通、特徴的な形と明確な境界線、内部構造が認められ る個体であるが、(18)(19)においてはその特徴的な形と明確な境界線、内部構造が際 立たない。たとえば(18)の「大量の人」は「押し寄せる」と共起している。「押し寄せ る」は「多くの人やものが勢いよく迫って行く。また、迫って来る。」(『大辞林』(第 三版))と記述されるが、NLB を利用して検索すると、共起する頻度が最も高い語は「波」

である14。人の集まりは、境界領域を持つ個体の成員からなる集合である。しかし、「大量 の人」は個々の「人」に注目せず、この複数の個体の集合を「波」と同様の連続体として 認知し、複数の個体全体のダイナミックな動きを叙述している15。同様に、(19)の「本」

も「床をブチ抜きます」という表現から分かるように複数個体全体(の重量)に注目して いるのであって、個々の本には注目しない。すなわち、「大量」で表される対象は内部構 造が際立たない連続体として捉えられている。

「個体」が「連続体化」する条件として、池上(1983:246)は「(数が無限に多くなっ たり、大きさが無限に微小になったりして)際立たなくなる」と述べている。上の例にお

14 NLB を利用して検索すると「が押し寄せる」の頻度は 365 で、共起する名詞は頻度が高い順から①「波」

(頻度 67)②「人」(頻度 18)③「客」(頻度 14)であった。

15 山梨(1995:125 下線は原文のまま)は「この大阪駅へ、群衆は、押し寄せては、また四方へ流れ出ても いる。」という文について、「人の集まり(この場合、群衆)は、境界領域をもつ個体の成員からなる集 合である。しかし、われわれは、この複数の個体の集合を液体と同じように連続体として認知し、この後 者のイメージに基づいて複数の個体全体のダイナミックな動きを叙述している」と記述している。