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第7章 人間を表す数量表現の類義語分析

7.2 類似点

7.4.3 出来事の意味の際立ち

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きないことからも確認できる。実際、「発生する」と共起するヒト名詞には厳しい制限があ ると思われる。たとえば、「見物人、看護婦、犯人」といったヒト名詞は「発生する」とは 言えない。それでは、なぜ「多数」が数えるヒト名詞は「発生する」と言えるのであろう か。

宮島(1997)は、ヒト名詞を「アスペクト的性格」によって次の 4 つに分類している。

(A)現実のシテ「…している人」例:見物人、運転者、参加者、住人、利用者など

(B)潜在的なシテ「…する人」例:看護婦、教師、小説家、愛読者、視聴者など

(C)経験者「…したことがある人」例:犯人、被害者、犠牲者、殺人者など

(D)一定の状態にある者「…している人」例:病人、入場者、婚約者、失業者など

宮島(1997:157-165)の説明を詳しく見てみよう。

まず、(A)の「見物人」は、見物するという動作をしているかぎりにおいて「見物人」

なのであって、なにかの見物がおわって、あるきだしてしまえば、もう「見物人」ではな い。(B)の「看護婦」は看護するという動作を、げんにしているかどうかにかかわらず、

自宅にいようが、球場で野球の見物をしていようが、つねに「看護婦」である。(C)の経 験者は、たんに過去のある時点で、ある行動をしたということではない。その経験が現在 においても経歴として焼き付けられているということが重要なのである。現在どういう状 態にあるかを問題にしない。たとえば、「犯人」は、現在くいあらためているかどうかに関 係なく「犯人」である。しかし、ある動き・事件があって、その後ひきつづき一定の状態 にある、ということが重要な名詞がある。(D)の「病人」はその例であって、病気にかか る、という経験をへて、その後も(問題にしている時点で)病気にかかっている、という 状態にあることをしめす。

宮島の 4 分類の中で、「発生する」と共起できるヒト名詞は(C)の「経験者」と(D)の

「一定の状態にある者」の中の一部に限られ、(A)や(B)の「シテ」は言いにくいと思わ れる。

宮島の説明を手掛かりに、「発生する」と共起するヒト名詞について考えると、「シテ」

である(A)の「見物人」や(B)の「看護婦」が「発生する」と言いにくいのは、これら はそれぞれ「(見物を)している人」、「(看護を)する人」を表し、自らの力で、すなわち 意図的に、ある動きを行う動作主として働く人間である。7.3 で見たように、動作主として 働く人間は人間らしさの際立つ人間であり、この場合「発生する」とは言いにくいと考え られる。同様に、(C)の「犯人、殺人者」が「発生する」と言いにくいのは、「犯人、殺人 者」は、(多くは)自分の意図によって犯罪や殺人を起こした人間であるからと考えられる。

これに対して、同じく「経験者」であっても「被害者」や「犠牲者」は「発生する」と言 えるのは、それぞれ「被害を受けた人」「戦争や災害などで死んだり、大きな被害を受けた りした人」(『大辞林』(第三版))であって自らの意図とは関係なく出来事を非意図的に、

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あるいは受動的に経験した人間である。さらに(D)の「病人、失業者」も(多くは)自ら の意図とは関係なく病気や失業という出来事を経験した人間である。他方、同じく「一定 の状態にある者」であっても意図的な出来事である「入場、婚約」を経験した「入場者、

婚約者」は言えない。つまり「発生する」と言えるヒト名詞は、非意図的な、あるいは受 動的な出来事の主体であると思われる。さらに、非意図性、受動性とともに、偶然性も関 わると思われる。というのは、ある出来事が非意図的、あるいは受動的であることは偶然 性と大きく関わると考えられるからである。たとえば、「入場、婚約」といった意図的な出 来事は(多くは)あらかじめ計画され偶然性が低い。同様に、たとえば「当選者、合格者」

は、自らの力で(意図的に)「当選」や「合格」を経験するわけではないとはいっても、「当 選、合格」という出来事(の発生)自体はあらかじめ決められている計画的な出来事であ り、偶然性が低い。このため「発生する」と言いにくいと考えられる。このことは「落選 者、不合格者」がやはり「発生する」と言いにくいことからも分かる。

さらに、「発生する」と共起するヒト名詞には、「難民、死傷者、犠牲者」といったマイ ナス評価のヒト名詞が多く観察できるが、プラス評価のヒト名詞は観察できない。これは 非意図的に、あるいは受動的に偶然生じる出来事は一般にマイナス評価の出来事が多いこ とによるのではないであろうか。また、先述のように「発生する」の主体は普通「物や事」

であって「人間」に用いられない表現であることも、(人間扱いされていない、すなわち、

人間の条件を満たさないと捉えられ)マイナス評価を伴いやすい理由であると考えられる。

以上をまとめると、「発生する」と言えるヒト名詞は、非意図的に、あるいは受動的に偶 然生じたある出来事を表すと考えられる。たとえば(30)の「ぜん息患者」は、非意図的 に偶然「病気(ぜん息)にかかる」という出来事を表す。同様に、(31)の「行方不明者」

も、(多くは)受動的に、自らの意図とは関係なく偶然に「行方不明になる」という出来事 を表す。

以上のことから、「発生する」と言える人間は、(生き物としての人間らしさが際立つ)「人 間」というよりむしろ「出来事」を表すと捉えることができる。つまりヒト名詞が「発生 する」の主体である場合、「多数」は、出来事の数を表すと考えることができる。

ここでもう一度、共起するヒト名詞に注目して 7.2 の表 1 を見てみよう。先述のように、

これら 4 語と共起するヒト名詞は「人、人々、人間」などが上位にあることが共通してい る。しかし、これらのヒト名詞が「発生する」と共起する例は観察できない。これに対し て「多数」は、「死傷者、患者、被害者」など動詞「発生する」と共起するヒト名詞が多く 観察できる。この理由は先述のように「多数」と高頻度で共起する動詞に「発生する」が 含まれることから自然に導かれる。

先に「発生する」と共起するヒト名詞が、出来事を表すと捉えることができる例(「ぜん 息患者、行方不明者」など)を見たが、「多数」と共起する「死傷者」、「被害者」も、出来 事を表す名詞であると考えることができる。

影山(編)(2011)は、日本語ではモノ名詞(=具体的ないし抽象的な個物を表す)・デ

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キゴト名詞(=出来事や動作・活動を表す)の区別は重要な文法的働きをする(p.252)と し、「参加者、欠席者」などのようなヒト名詞は「事態発生を意味する要素が名詞の一部と して組み込まれている」(p.253)と記述している。さらに「参加者、欠席者」といった名 詞は人間を表すと同時に、「参加、欠席」という出来事も意味すると述べている(p.254)。 この記述をもとに考えると、「死傷者、被害者」も人間を表すと同時に「死傷(する)、被 害(を受ける)」という出来事(の発生)を意味することから、これらのヒト名詞と共起し た「多数」は出来事の数を表すと考えることができる。

(30)(31)の「多数」は「数多く」と置き換えることができる。一方、「たくさん」は

「発生する」と共起する例が 5 例観察できるが、人間を表す例は観察できない36。「大勢」

は先述のように「発生する」と共起が難しい。つまり、物理的な存在物である生き物とし ての人間らしさが際立たず、出来事(の発生)の意味が際立つ場合、「多数」が最も選択さ れやすく、「数多く」も用いることができる。一方、「たくさん」と「大勢」は選択されに くいと言える。