• 検索結果がありません。

近代が抱えた問題̶̶ ̶自己の主体性

第 8 章 ディルタイの自己形成論の地平Ⅲ̶̶̶自然・歴史・生 147

第 2 節 近代が抱えた問題̶̶ ̶自己の主体性

ハイデガーが人間学を,そしてディルタイを批判した焦点は,デカルトによっ て打ち立てられた,人間を〈主体〉として捉えたことにあったが,これは近代社 会が抱えることになり,そして現在に至るまでわれわれに残存している問題を 喝破したといえる2。もちろん,何をもって「近代」と捉えるのかについては異論 もあろうが,ここではデカルトにはじまる人間を主体と捉えようとする思想が 前提とされる時代としておきたい。これは,フランス革命を通じて確立されて いく自由権や,近代社会が見出してきた基本的人権や個性3などもまたここに内 包されるといってよい。

テンニース[1887=1957]はゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャ

フト(Gesellschaft)という特徴づけによって,前近代社会から近代社会への移行

を鮮明にした。彼は,ゲマインシャフトとして家族生活,村落生活,町生活を見 出し,そこではそれぞれ,一体性,慣習,宗教が基軸になっているという。一方 で,ゲゼルシャフトとして大都市生活,国民生活,世界主義的生活をとりあげ,

それぞれ協約,政治,世論と結びついていることを示した[T¨onnies 1887=1957:

下; 208f.]。そして,両者の違いとして際立つのは人間と社会との関係である。

ゲマインシャフトは「本来的あるいは自然的状態としての人々の意志の完全な 統一」である一方で,ゲゼルシャフトにおいて「人々は本質的に結びついている のではなくて,本質的に分離している」のであって,「人々はそれぞれ一人ぼっ ちであって,自分以外のすべての人々に対しては緊張状態にある」[T¨onnies

1887=1957: ; 41, 91]。ゲマインシャフトにおいては,血縁や地縁,さらには

言語などの文化を紐帯として結び付いているが,ゲゼルシャフトは分離した人 間が「必然的に意見を同じくする理性的なもの・正しいもの・真なるもの」を 紐帯として結び付いているという[T¨onnies 1887=1957: ; 95]。そして,こう した移行は,ディルタイによれば文学において先んじて現れていたと考えるこ とが可能であろう。ディルタイは,シェークスピアを「その全精神力をあげて 身辺の世界と生活のなかに起こる事象に差し向けつつ,主として世の中の経験 のなかに生きていた」[XXVI 139]と特徴づける一方で,「近代ヨーロッパに おいて,ジャン・ジャック・ルソーがはじめて‥‥‥自分自身の豊かな内的体 験と思惟から出た形態(Gestalt)を展開する」[XXVI 140]と特徴づけた。本 研究では両者の立場を客観的想像力と主観的想像力と名づけたが4,ディルタイ がみていたのは両者の想像力の差異であるとともに,両者が結び付けられてい た時代状況・社会状況であったといってもいいすぎではないだろう。すなわち,

シェークスピアの文学においては彼らが生活している・ 社・

会に目が向けられてい るのに対して,ルソーの文学においては・

自・

己の内面に焦点が当てられるように なったことを示していたのである。この2 人の想像力はテンニースが特徴づけ たゲマインシャフトとゲゼルシャフトとの関係と相即に捉えることが可能であ ろう。そしてまた,結論を先取りすれば,シェークスピアとルソー両者の想像力 を和解させたゲーテの詩的想像力̶̶̶主観=客観的想像力̶̶̶にこそ,そして また,ゲーテの生の哲学にこそ,前近代社会と近代社会との対立やそれらが抱え た問題を乗り越える新たな社会像とそのもとでの自己像,そしてそれらを踏ま えた自己形成の論理を見出しうることが予見されるところでもある。

デカルトが見出した人間を〈主体〉とし,そしてそれを基点として世界や社 会を捉えようとする仕方は,まさにこうしたゲゼルシャフトとしての社会を構

成する際の出発点となっていると考えてよい。デカルト[1637=1967: 44ff.]が

「われ思う,ゆえにわれあり(cogito ergo sum」を哲学の第一原理と措定したこ とは,社会もまた,自己からしか措定されないものであることへと帰結するもの であったといえるからである。

そしてまた,自己を基点に社会を捉えることによって,社会は自己に従属す るものとして扱われることになる。これが自由権等の諸権利が人間に賦与され ているという思想に結節していく。そしてそうした社会において社会的合意は 個々人の意志の合意として捉えられると考えてよい5

ただ,社会的合意が個々人の意志の合意として捉えられるとすると,デカルト のいうような自己を基点にした場合,個々人の自由が前面に出てきてしまうこ とにもなりかねない。それゆえ,T.ホッブス[1651=1979: 160ff.]はそうした 自然状態における人間は「万人の万人に対する闘争」を生み出すだけであるか ら,契約(contract)によってお互いの権利を譲渡することでそうした闘争状態 を乗り越えようとした。これが社会契約説にほかならないが,この場合,そうし た権利の行使がいかに行われるのかが個人と社会との関係においては重要にな る。例えば,ルソー[1762=1978: 252ff.]にとっての社会は人間の一般意志に よって維持されるものであったが,一般意志が理性にもとづくものであり,そ れゆえに誰にでも内在している一般意志によって社会が維持されるのであれば,

自己と社会の矛盾が生じることはない。社会を成立させる結び目に一般意志を 見出すことで自己と社会の矛盾を解消させたのである。すなわち,社会契約説 においては,社会における個々人の相違点は理性という共通性に支えられる一 般意志によって乗り越えられたといってよいだろう。

しかし,理性を基点として社会的合意を得ようとすることは,2つの点で困難 な道筋である。それについて,ディルタイはベンサムの功利主義を批判する文 脈で「彼の理論の根本的な欠陥は,そのアトミズムと,現実の諸衝動・諸欲求が 切り離されている」[X 32]と述べている。これは先に確認したように,1つに はここまで確認してきた社会が個人から構成されるとするアトミズム的な思考 への批判である。そしてもう1つは,理性に対する不信と,われわれの生の現 実に照らした際に見出される諸衝動と諸欲求への信頼である。

ここから見通されるのは,ディルタイにとって社会は個人から構成されるよ

うなものではないということと,理性ではなく諸衝動と諸欲求から社会との関 係が構想されるということである。とはいえ,このことは,デカルト的な自己概 念を排除しているとはいえても,テンニースの図式でいうところのゲゼルシャ フトからゲマインシャフトへの回帰とも受け取られかねないものである。ディ ルタイが生の哲学の生成プロセスとしてみていた1770年から 1800年までの文 学的・哲学的運動は,ドイツ精神の昂揚を表現したとみることができる。実際,

ノール[1970=1997: 212ff.]は,その時代を「ドイツ運動」と名づけ,生の哲学

が後退しているとディルタイがみていた1800年以降も描いている。そこで示さ れるドイツ運動の第 4段階(1860 年代)では,詳細は示されていないものの,

ディルタイらをあげて,彼らが歴史的生と国民的生を結び付けようとしていた と指摘している。すでに述べたように

6

,ディルタイは,ラザルスらが打ち立てた 民族心理学と非常に近い位置にいた。そのことをもってすると,ノールの指摘 には妥当性があると考えられ,それゆえに,ディルタイもまた,ゲマインシャフ ト的な社会観を抜け出ていなかったと断じられてしまう可能性はある。

しかし,ディルタイが生をどのように社会や国家と結び付けていたのかを確 認しなければ,このことに対して答えることはできないだろう。それゆえ,この 点について次節で検討していくこととする。