第 7 章 ディルタイの自己形成論の地平Ⅱ̶̶̶歴史と価値 129
第 3 節 世界観の多様性と比較という方法
世界観の構造が解明されても,それぞれの世界観は,環境,歴史など様々な 条件のもとで発展することになるから,当然ながらそれぞれの置かれた条件に 応じて多様な世界観が生起することとなる。もちろん,歴史を経るうちにそう した世界観に「選択(Auslese)」[VIII 85]が生じる可能性をディルタイは否 定していない。つまり,こうした多様な世界観のうち,広く受容され,より影 響力をもつものが残り,それらがより洗練されたものへと昇華し,たがいに駆 逐することで,いくつかの世界観に収斂してしまうという可能性である。しか し,いくつかの世界観に収斂されようとも一つの普遍的なものになることはな く,多様性が残存することとなる。というのも,先にみたように,世界観もま た歴史的な産物だからである。それゆえ,われわれが世界観を捉えるためには,
「比較(Vergleichung)」[V 309]あるいは「比較という方法,または比較的方 法(Verfahren der Vergleichung od. vergleichendes Verfahren)」[V 308f.]が必 要になってくる。
比較という方法はディルタイ独自のものではなく,彼自身が指摘しているよ うに,かなり以前から使用されていたものである。ディルタイは,アリストテレ スにおいてその先鞭がつけられたというが,その方法が「差異(Unterschiede)・ 程度(Grade)・類型(Typen)・類似(Verwandtschaften)」を研究するために用 いられるようになったのは,18 世紀に至ってからであるとみている[vgl. V 309ff.]。これらはもともと,「自然科学(Naturwissenschaft)がその(引用者 註:個性化の問題の)解決のために発見した概念と方法」[V 309]であって,
これにもとづいて精神科学における比較という方法が成立した
(5)
。ディルタイは,
18 世紀以降に自然科学が発展していくプロセスを3段階に捉えて,第1段階を C.リンネまで,第2段階をG. L. L. d. ビュフォン,A. v. ハラーからS. C.ライ
エル,C. R.ダーウィンらの登場まで,第3段階をそれ以降としているが,精神
科学における比較という方法もこの3段階に対応すると述べているものの,そ れについては詳述していない。ただ,いずれにせよ,自然科学において示された 比較という方法を,精神科学に導入しようとしていた点は確認できる。
自然科学から比較という方法を引き入れようとしていたディルタイではあっ
たが,その比較という方法は自然科学のそれとは異なっていた。確かにディル タイは自然科学も精神科学も「事実が物的なものであれ精神的なものであれ,
外的経験あるいは内的経験に現われるのであれ,同じ思考作用や論理的過程に よって相互に結びつけられる」[V Vf.]といい,それらに科学としての共通項 が多いことを示しているが,世界観を捉えることができるのは「比較的歴史的方 法(vergleichendes geschichtliches Verfahren)」[VIII 86]のみだけであるとい う。つまり,自然科学とは異なった比較という方法が想定されていたと考えて よい。ディルタイは,宗教,文学,形而上学といった文化領域に現われる世界 観を比較することによって3つの世界観̶̶̶「自然主義(Naturalismus)」(VIII, 100ff.),「自由の観念論(Idealismus der Freiheit)」(VIII, 107ff.),「客観的観念 論(objektiver Idealismus)」(VIII, 112ff.)̶̶̶を剔抉しているが,比較という 方法を厳密に規定することをしていない。われわれがその方法を知るためには 別の手がかりを求めなければならないが,その1つは精神科学と自然科学の方 法的差異について言及している以下の部分である。
自然科学は,組み入れられるべき現象と構成手段との同種性( Gleichhar-tigkeit)を抽象化して引き出しながら,・
そ・ の・
構・ 成・
手・ 段・
を・ 従・
属・ さ・
せ・
る。それ に対して精神科学ははてしなく広がっている歴史的社会的現実を‥‥‥
それを生み出した精神的な生動性へと翻訳し直すのである。‥‥‥自然 科学では,個性化のかわりに,仮説的な説明根拠が探求され,精神科学で は,生動性においてその原因が経験される。[V 265]
ディルタイは精神科学において求められる方法を,つねに生動性を前提とし ているために抽象化されないもの,経験されるものとして位置づける。つまり,
自然科学はどこまでも「原因は結果に等しい」という原理にもとづいて対象を把 握するが,精神科学は「あらゆる心的生における連関や共通性(Gemeinsamkeit) にもとづいて,人間の歴史的な個性化の全体を把握する」[V 265]のである。
これを比較という方法に敷衍すれば,自然科学におけるそれは諸事象の背後にあ る法則性を抽象化し,その法則の下に諸事象を従属させることにほかならない が,精神科学におけるそれは諸事象から「一定の類型,発展の過程,そして変化 の規則」[VIII 85]を認識するものであり,そうした成果は「暫定的(vorl¨aufig)」
[VIII 86]なものにすぎないために,「継続のあらゆる可能性を持続しておかな ければならない」[VIII 86]のである。こうした方法は,ディルタイの心的生 の捉え方が前提になっている。彼は心的生の同形性とそこから個性化された個 別性とを想定しており,心的生は普遍的形態として同形性を有しているが,個々 の心的生はその同形性にもとづき,個性化されて個別性を獲得すると考えてい た[vgl. V 259ff., usw.]。これが世界観においても同様の形式をなすのである。
世界観は普遍的構造を有しているものの,それぞれの置かれた位置,環境等に よって多様性が発現してくる。そして,そうした世界観の多様性を比較という 方法を通して把握することでいくつかの類型を「暫定的」に認識することが可能 となる。ディルタイ自身が明言しているわけではないが,ここには比較という 方法が 18世紀以降に生起してきた際の影響を看取できる。ディルタイは18 世 紀の科学の背後に「形態学的考察(morphologische Betrachtung)」[V 311]が あったと指摘するが,ディルタイの心的生の同形性と個別性という関係は,そ うした形態学的な見方を基礎にしていると考えることができる。ディルタイは ゲーテとヘルダーの方法に関して「生物の個性化全体は,一つの原型(Typus) から,そのなかにある可変性にしたがって導出することができる」[V 314]と 述べるが,ここに示される・
生・ 物・
の個性化のプロセスは,ディルタイが示す・ 心・
的・ 生
・の個性化のプロセス,あるいは・ 世・
界・ 観・
の個性化のプロセスとのアナロジーとし てみることが可能だからである
(6)
。しかし,このように形態学のアナロジーとし て心的生の構造を捉えたことに対して,ヨルクのディルタイに対する批判を吟 味しておく必要がある。ヨルクはディルタイの歴史研究に対して次のような批 判を行っている。
とくに,比較という方法が精神科学の方法として要求されている。この 点であなたと別れる。‥‥‥比較はつねに美的で,つねに形態(Gestalt) に付着している。ヴィンデルバンドは歴史に形態を割り当てている。あ なたの類型概念ははるかに内的なものである。[BrY 193]
ディルタイが精神を主題としているにもかかわらず,比較という形態学的方 法にとどまっていることに対して,ヨルクは異論を唱えている。そして,ディル タイを「存在的なものと歴史的なものとの類的差別を強調することが少なすぎ
る」[BrY 191]と批判する。この点については,ハイデガー[1927=1994: 下;
352ff.]もまたヨルクの批判に同意するが,そのハイデガーが指摘するように,
存在的なものと歴史的なものというのは,「自然として・ 存・
在・ す・
る存在者」と「歴史 として・
存・ 在・
す・
る存在者」という差異にもかかわってくる[Heidegger 1927=1994:
下; 353]。つまり,ディルタイの問題意識は歴史にあるにもかかわらず,それ
を捉える方法は自然科学的であるという点に問題があると考えられる。これは,
彼自身が指摘していた生と学の矛盾の陥穽に自ら落ちてしまったということで あろうか(7)。
この問いに対して答えることは容易ではない。なぜなら,ディルタイ自身が ヨルクのこの批判に対して・
直・ 接・
的・ に・
は答えていないからである。しかしながら,
ヨルクの目にディルタイが形態学にこだわっているように映り,そのためにヨル クに批判されることはおそらくディルタイ自身がある程度認めざるを得なかっ たのではないだろうか。ディルタイは,同形的な心的生の個性化のプロセス,
あるいは世界観の個性化のプロセスを,歴史的な連関において捉え直そうとし ている。先に指摘したように,ディルタイはどこまでも,これらの同形性と個 性化のプロセスが歴史的に生起するがゆえに,その個別的なものを比較するこ とによって得られる類型が「暫定的」でしかなく,さらには「証明され得ない
(unbeweisbar)」[VIII 86]ものでしかないというのである。つまり,心的生を 同形性とそこから個性化された個別性として捉えるディルタイにとって,ヨル クの批判を受け入れて形態学的な立場を断念することは自らの思想にとって根 本的な心的生の構造を破棄することにもなりかねない。確かにヨルクの批判は そうした心的生の構造に対してであったのだが,ディルタイは心的生を歴史的 に捉え直すことにおいて,構造という形態を保持しつつも,個性化のプロセスを 歴史的連関のなかで生じるものとして位置づけたのであり,その結果,類型を類 型として普遍的に規定するのではなく,暫定的なものにとどめざるを得なかっ たのである。ここに,ディルタイがこの方法をなぜ「比較的・
歴・ 史・
的方法」(傍点 引用者)とよぶのかという理由が示されていると考えることができるのである。