第 3 章 日本語と中国語の謝罪における言語表現
第 2 節 謝罪の定型表現と非定型表現
前節で挙げた用例の多くには、「ごめん」のように、謝罪場面で広く慣用的に使われ、
「謝罪のことば」と一般的に認識されている表現が現れている。このような表現を本研究で は謝罪の「定型表現」と呼ぶ。また、謝罪場面で現れた「定型表現」以外の表現を「非定型 表現」とする。上述した用例(1)を例にとれば、「買ってくるのすっかり忘れてた」や「ち ょっともう一度確かめる」などの表現である。しかし、ある表現が定型表現であるかどうか を定めるのは簡単ではない。また、謝罪の場合、定型表現とはどのようなものかを見きわめ るのは簡単ではない。
謝罪の場合、定型表現とはどのようなものかについて、森山(1992)は謝罪と感謝の考察 において、次のように述べている。
第一に、発話の目的は、対人関係の修復にあるので、文字通りの意味から離れた応答が可 能である。例えば、「ごめんなさい」は、形態的には命令形であるが、一般的な命令文に 対する応答とは違う。第二に、意味的な特殊化である。例えば、「ありがとう」は、単に
「有り+難い」という意味だけではなく、当然、感謝の意味として、慣用化された意味が ある。第三に,量的に頻用されることである。形態的な固着化がある場合もあろう。例えば
「すみません」は、「すみはしません」のような生産的な操作は(文体的なものを除き)
一般に適用できない。
(森山 1992:274-275)
つまり、ある語句を定型表現として認めるには「文字通りの意味から離れた応答が可能」で あること、「意味的な特殊化である」こと、「量的に頻用されること」の三つの要素が必要
であるというのである。ただし、森山は「定型表現とは、基本的に頻用されるかどうかとい う問題なのであり、明確な境界線が引けるようなものではない」とも付け加えている。
さて、日本語と中国語における謝罪の言語表現で、一般的に定型表現といわれるものには、
具体的にどのようなものがあるのであろうか。すでに第 1 章でも挙げたが、森山(1992)は 謝罪の定型表現を次のように四つに分類している2。
a.遂行動詞による言語行動の直接表示:「謝ります」など
b.お詫びにおける許容の直接的な依頼:「御免」「お許しください」など c.関係の単純な認定:「失礼」「お待たせしました」など
d.不均衡な関係に対する心情:「すみません」「申し訳ない」など
(森山 1992 を要約)
a は謝罪の遂行動詞類を使うものである。この類型に含まれる動詞は「謝る」のほかに、
「詫びる」、「謝罪する」、「陳謝する」だと考えられる。b は許しの依頼表現類であり、
「ごめん」あるいは「ごめんなさい」が最も典型的なものである。ただし、「お許し下さい」
は、使用頻度が少ないので定型表現として確立しているといい難く、非定型表現に入れる研 究もある(彭国躍 2003 など)。c は不快な事実関係を認定する類であるが、そのうちの「お 待たせしました」のような表現については、定型表現ではなく、非定型表現に認定する研究 もある(Olshtain Cohen 1983、熊取谷 1992 など)。d は不均衡な心理状態を表出する類で ある。相手に何らかの不利益をおよぼしたとき、その不均衡により心が落ち着かない状態を 表すものである。「すまない」は「すむ」の否定型で、相手に不利益をおよぼして心が落ち 着かない状態を表す。山内(1986)の考察によると、「すむ」には「澄む」と「済む」の二 つの漢字表記があるが、「心が落ち着く」という意味で共通性をもっているという。さらに、
山内は「「心が澄む」は相手に関係なく自分の心自体がすんで落ち着くということであり、
「済む」は相手がいて「すみません」とわびることによって初めて自分の気持ちが落ち着く ということである」と説明している。「申し訳ない」は字づら通りに解釈すれば、相手に不 利益をもたらしたことに申し訳のしようがない、申し訳が立たないという気持ちを表明する 言葉である。
次に、中国語についてみていく。彭国躍(2003)は、中国語の謝罪の定型表現を発話行為 の遂行表現の視点からとらえ、その表現を形態によって次のような三種類に分けている。
①原初的遂行表現:对不起/不好意思/抱歉
②遂行動詞:(为此我们向您)道歉/(我向你)赔礼道歉
③遂行句:(我们対此)深表歉意/(我向你)表示道歉
①の原初的遂行表現類には「对不起」、「不好意思」と「抱歉」が含まれている。この三 つの表現は日常生活で最も広く使用されるものである。第Ⅰ部第 5 章で詳しくみるが、この 三つの表現はすべて心情を表すものである。②の遂行動詞類に分類されるのは「(为此我们 向您)道歉」(こういうことについて我々はあなたにお詫びします)の「道歉」と、「(我 向你)赔礼道歉」(私はあなたにお詫びします)の「赔礼道歉」の二つの動詞である。この 二つの動詞のほかに、崔信淑(2012)は、「致歉、赔罪、赔不是、赔话、赔情、谢罪、 谢 过」などを挙げているが、いずれも一般的な表現ではない。中でも、「谢罪」は日本語の「謝 罪(謝罪する)」と意味的には同じであるが、崔信淑(2012)によれば、これは特に戦争の 責任に関する話題の中で使用される表現であるため、「谢罪(謝罪する)」を表すときは一 般的に「道歉」を使用する。③の遂行句類には「(我们対此)深表歉意」と「(我向你)表 示道歉」があるが、いずれも「深く申し訳ない意を表します」の意味である。②と③は遂行
動詞、あるいは遂行動詞が含まれる遂行句であるため、ほぼ同一であるとみてもいい。そし て、この 2 種類の表現は遂行動詞によるものであるため、森山(1992)も指摘しているよう に、正式に謝るときでないかぎり使用されない。
彭国躍の分類法を森山(1992)と比較してみる。①の原初的遂行表現は、森山の b のお詫 びにおける許容の直接的な依頼と d の不均衡な関係に対する心情と同じカテゴリーだと考 えられる。ただし、b 類に入れている「お許しください」は、彭国躍(2003)では非定型表 現の「許しを乞う」タイプに入れている。②の遂行動詞は、a の遂行動詞による言語行動の 直接表示と同じ類と考えられる。さらに、彭国躍の定型表現の分類にはないものとして、c の関係の単純な認定類があるが、例としては、「失礼」「お待たせしました」が挙げられて いる。「失礼」は中国語にも同じ表現があるが、文語的な表現で、現在は一般的には使用さ れていない。「お待たせしました」は、彭国躍(2003)では非定型表現の「事実を認める」
類に分類されている。
以上のように、謝罪場面の発話すべてを定型表現と非定型表現を明確に分けることはとき に困難である。特に日中の言語を対照的に研究する際には、分類の基準は複雑になるため、
両言語の特徴に配慮し、どちらをも包括できる分類を考える必要がある。
本研究では、上述の森山(1992)と彭国躍(2003)における定型表現の種類についての考 察を踏まえ、謝罪の定型表現と非定型表現の分類を行った。定型表現としては、両研究に共 通する分類である「謝る」などの遂行動詞によるものと、謝る心情を表現するものを、謝罪 の定型表現とした。
ただし、今回のデータからは、遂行動詞による謝罪は現れておらず、謝る心情を表現する ものとして、日本語の〔ごめん系〕、〔すまない系〕、〔申し訳ない系〕が、中国語では「对 不起」「不好意思」「抱歉」が見い出せた。中国語では「sorry」も少数ではあるが見い出 せたため、これも含めた。
なお、このほかにも、「麻烦你」、「劳驾」、「请原谅」などが謝罪のあいさつことばと して認識されており、中国語学習者用の初級教科書には頻繁に掲載されている。しかし、こ れらは今回のデータにはまったく現れてこなかった。そこで本研究では、「对不起」「不好 意思」「抱歉」を定型表現の主な考察対象とし、それ以外の表現は謝罪の非定型表現とした。
また、謝罪のときに使用される「悪い」を定型表現として考える立場もあるが、森山(1992)
には、「「君に対して悪いと思う」のような表現は、「自分の心情にも関連する重い意味,
「悪い,悪い」のようなものは自分の立場を「悪い」と認定するだけの軽い意味」という指 摘がある。今回の調査には「本当に悪かった」のような回答もあれば、「わりぃ」のような 回答もみられ、どこまでを定型化した表現とし、どこまでを過ちを認めて自分の真情を述べ ている非定型の表現とするかの線引きが難しい。また、今回のデータでは量が多くなかった。
そこで本研究では、「悪い」とそのバリエーションをすべて、自分の非を認める意を表すも のとして、非定型表現に分類した。