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第 1 章 謝罪言語行動研究の全貌と本研究の位置づけ

第 5 節 本研究における謝罪言語行動の研究の射程

(2)日本語話者は謝罪ことばの表明、中国語話者はことばより実際の修復行動を重視する 傾向がみられ、謝罪の適切性条件は文化によって重視する条件が違う。

(3)中国語話者は関係を修復するとき、侵害の理由が求められるため、理由だけをいうこ とを好まない日本人からみると、否定的なイメージを持たれやすいと考えられる。

(鄭加禎 2006b を要約)

以上、日本語と中国語の謝罪言語行動の対照研究を概観した。この分野の研究の焦点は、

主に中国人は謝らないのに対し日本人はよく謝る傾向があるという問題に置かれている。謝 るときの罪意識調査をする研究(鄭加禎 2006a)や、それを実証する研究(佐竹 2005;王源 2009;鄭加禎 2006b)があり、さらにこの日中の相異が生み出される原因を言語表現(鄭加 禎 2006b)、行動習慣(陸慶和 2001;鄭加禎 2006b)、メンツ(彭国躍 1992)などの面から 探っている。

「家族」を視野に入れて、日中の謝罪言語行動を「家族」対「家族以外」という人間関係の もとで論じた研究は、管見の限りない。日本語と中国語の家族間の謝罪言語行動には著しい 異なりが観察されることはすでに序章で述べたが、その理由については、先行研究で論じら れたメンツや中国人独特の儀礼習慣などという視点から、ある程度は説明できる。しかし、

第Ⅱ部第 2 章第 2 節でも述べるように、中国語話者が家族に謝らない理由について予備調査 をした結果からは、「家族だから謝る必要がない」、「家族には謝らなくても仲直りできる」、

「家族に謝りのことばを口にするのは不自然」といった回答が得られた。家族には謝らない というより、もともと家族には謝罪が必要とされていないと考える傾向が見え隠れする。

しかし、非常に親しい間柄と認識している親友に対してはどうだろうか。親友は、中国で は「擬似家族」と呼ばれ、血縁を持たないにもかかわらず直接的に「兄弟」、「姉妹」と家 族の一員であるかのような呼び方をし、家族の一員のように扱おうとすることが多い。しか し、謝罪場面においては、親友には家族に対するとは異なる言語行動をとる。例えば、序章 で述べたタオルを忘れた例の場合には、「不好意思,我忘了(ごめん、私忘れた)」と謝罪 の定型的な表現を使用する。「家族」扱いであっても、謝罪においては「家族」に対するの とは異なる言語行動をとるのである。中国語話者が「家族」に対していわゆる「謝罪表現」

を使用しない傾向があるのは、背景にどのような考え方が潜んでいるのか、日本語話者の「家 族」のとらえ方や人間関係の把握の仕方とどのように異なるのかなどを深く考察する必要が ある。

また、これまでの謝罪言語行動の日中対照研究は、地方差の要因を考慮に入れていなかっ た。中国は国土が日本の 25 倍ほどもあり、そこに暮らす民族も多種多様である。方言とし て扱われている各地のことばは七大方言地域を形成しているが、それぞれが異なる言語に匹 敵する多様性をもっている。それに加え、近代化とともに標準語化が推し進められ、各地の ことばの使用状態は複雑さを増している。異なる地域において、ことばが違えば言語行動も 異なるはずである。

以上の点を踏まえ、本研究は親しい間柄の家族と親友への謝罪言語行動を日中で対照し、

そこに現れる差異を家族観を含めた対人関係、地方差の視点から検討する。

研究を進める前にまず、本研究における謝罪とは何か、どこまで謝罪としてとらえるかに ついて規定しておく必要がある。一般に謝罪行動は、発話者が自らに過失のあることを認識 し、相手との関係修復をはかるためになされるものとされている(Goffman 1971;金田一 1987;熊取谷 1988;森山 1992 など)。しかし、文化の異なりによる謝罪の認識や成立の違 いがある。異なる文化間では、ある行為が同様に謝罪すべき対象とみなされるとは限らない。

また、謝罪はことばや具体的な行動によって表明されるが、文化によって力点を置くところ が違う。例えば、上述のように中国語話者が謝るとき、ことばより実際の行動で気持ちを伝 えることも稀ではない(陸慶和 2001;鄭加禎 2006b など)。また、謝るときに定型的な謝 罪表現が必須ととらえられがちな文化(例えば日本)とそうでない文化(例えば中国)もあ る。異なる文化間では、謝罪する相手との関係や、謝罪の対象に関する認識の違いや、過失 の軽重など、さまざまな要因が異なる意味を持って、謝罪言語行動に絡み合ってくる。

本研究では、Goffman(1971)らの定義をとり入れ、謝罪を発話者が自らに過失のあるこ とを認識し、相手との関係修復をはかるための行為であると規定する。これまで述べてきた ように、研究の立場により、どこまで謝罪としてとらえるかは多少異なる。定型的な謝罪表 現を使用することを謝罪と認定する立場(熊取谷 1992;森山 1992 など)もあれば、謝罪を 定型的な表現のみではなく、より包括的にとらえる立場(池田 1993;三木 2002;彭国躍 2003;

佐竹 2005;王源 2009 など)もある。本研究は、異文化間の対照研究であり、日中の謝罪に 対する認識が異なるため、謝罪場面に現れる表現をすべて謝罪表現とみなし、より包括的に 謝罪をとらえる研究立場をとる。

1 それを表す方法として、1)困惑と無念さを表明すること、2)本来はどうすべきであっ たかを理解し、また、罰則が与えられても仕方がないと認めること、3)誤った行為や 自己をことばで否定すること、4)正しい行為を支持すること、5)償いや補償を遂行す ること(1971:113)が挙げられている。

2 住田(1992)で用いられる慣用表現とは、「ごめん」「すみません」などのような謝罪 のことばとして一般的に認識されるものである。本研究では定型表現と呼ぶ。

3 社会言語学では、人間関係を「しん親・疎」の距離関係のスケールで捉えるのが一般的であ る。「しん親」は親しい間柄の人間、「疎」は親しくない(疎遠の)間柄の人間をさす。沖

(1993)では、「親」の人間に対して、感謝表現を使用しない例を提示している。しん 4 ポライトネス理論の face を指す。Brown & Levinson(1987)によれば、人々はだれで

も社会生活を営む上で他者に受け入れられたいという積極的なフェイス(positive face)と、自分の領域を他者に邪魔されたくないという消極的なフェイス(negative face)を持っている。コミュニケーションの中では、相手のフェイスを脅かす可能性の ある行為が多数ある。これらの行為は face threatening acts(FTA)、いわゆるフェ イスの侵害行為という。Brown & Levinson(1987)はこのポライトネス理論のもとで謝 罪を、謝罪側が犯したフェイスの侵害行為のために謝罪を受ける側の消極的なフェイス を脅かしたことを残念に思う気持ちを伝え、そのフェイス侵害行為を和らげようとする ことだと定義している。また、謝罪は、謝罪側の積極的フェイスを脅かす行為であると 同時に、謝罪を受ける側にとっては消極的なフェイスを脅かされる行為であると 説明 した。

5 池田(1993)は、「謝罪の表明に説明を加えたり、攻撃弱化を使用したりする」アメリ カ人の謝罪の仕方について、「個人の領分がはっきりしている個人主義の社会において は、相手と自分の各々の face を尊重し、維持することが必要となる」ため、謝罪にお

いても、「不快な思いをした人の face を尊重するだけではなく、謝罪する人自身の face を損なうような行為(中略)を最小限にとどめようとする」と説明している。また「説 明や補償の申し出を使うなどして、修復のための交渉を戦略的に行う」というような謝 罪を「問題解決重視型」としている。

6 このほかに、手紙(橘 1992)、戦争責任の発言(遠藤 2000)といったジャンルにおける 研究や、日本語教育の面から論じた研究(中道・土井 1992 など)も多くみられる。