第 3 章 謝罪・メディア・社会
第 3 節 謝罪の文化的な背景
本節ではさまざまな文化圏で行われている人間行動の差異を明らかにしていく。仮説と しては、各文化圏で、それぞれの教育によって、人間関係のレベルと質、または相互関係 が異なると考えられる。Goffman によると、人間はみんな同じであると述べており、周り にある社会が人間を動している。「人々が一つの普遍的な人間性をもっているものなら、
その人間性を説明するために人びと自身を考察してみてもあまり意味がない。むしろ、
人々がいろいろな社会をつくるものであるなら、それらの社会はその成員たちを社会的出 会いへの自制心をもった参加者として動員するはず」172と述べていることに注目しないと いけない173。
本論文は基本的に謝罪の行為に注目するが、比較研究には謝罪だけではなく、他の行為 についても考える必要がある。人間対人間、人間対所属しているグループ、さらにグルー プ対グループの間の振る舞いを理解する必要性があると考えられる。孤立している日本文 化圏と多種多様な民族が混合している欧米文化圏ではあまりにも違っており、多くの学者 の注目を引きつけた。このことを考慮すると、文化圏の差異を無視して、比較研究をする ことは大きな間違いであると考えられる。
文化とは何か
「牛の群れ」を対象にすると、社会学者は「群れの周りのフェンス」を研究す る。そのフェンスを群れが自分で作ったのか、変えたかったら変えられるのか などを調べる174
「文化は私たちと一緒に生まれたものではなく、社会化されるときに親から、学校から、
メディアから学ぶものである」175。文化を定義してみると、ある集団のメンバーが同じ価 値観を持っているという意味でとなる。文化と文化の間には、正しいものと正しくないと いう基準は存在せず、文化と文化は階層的にも比較できない。一方、文化は自分の周りの
172 ゴッフマン, 儀礼としての相互行為―対面行動の社会学, 44.
173 ゴッフマン, 儀礼としての相互行為―対面行動の社会学.
174 Elster, Explaining Social Behavior.
175 Malota and Mitev, Kultúrák Találkozása, 225.
環境が変わると変化するので176、各国では高齢者と若者の文化が異なると考えられるだろ う。同じ文化圏に住んでいても、時代が経ってから、環境が変わるとともに文化も異なり 始める。同じ国の中でも地方によって文化が相違するが、違う国、または違う大陸での文 化はもっと大きく異なる。
東洋文化と西洋文化の違いはあまりにも大きく、20世紀から様々な学者177がその差異に 注目した。日本人の態度と行動に関心が寄せられている研究は「日本人論」と呼ばれてい る。高野178によると、日本人論での主な内容は、「日本人は集団主義的だ」ということで ある。これを一言でいえば、日本人は個人より集団のほうを優先することに意味を持つ179。
1986年にアメリカ人と日本人の管理職をテーマにしたある映画180では、アメリカ人が日本
人と口論したとき、「アメリカ人はみんな自分が特別だと思いチームの一員になろうとし ない」と述べている。
(1)集団主義―個人主義
1968年にGeert Hofstedeは、世界中のIBMの社員を対象にし、アンケート調査を行っ た。それと同じ調査が 1972 年にもう一度行なわれた。調査結果として、Hofstede は文化 差異を見つけ出し、「権力格差」「個人主義―集団主義」「男性らしさ―女性らしさ」
「不確実性の回避」と名付けした4つの文化的次元を確認した181。Hofstede の文化的な次 元は今でも文化比較研究を行う際によく参照されている。
Hofstede が世界の50か国以上の人々の価値観に関する調査の分析をする際に、Inkeles
と Levinson の文化の研究結果に基づいていた。Hofstede が影響を受けた Inkeles と
Levinsonの研究は次のようなものであった。
176 Malota and Mitev, Kultúrák Találkozása.
177 Benedict, The Chrysanthemum and the Sword; Doi, The Anatomy of Dependence; Nakane, Japanese Society; Triandis et al., Individualism and Collectivism.
178 高野, 「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来.
179 Ibid.Ibid.
「世界の国々はどこも共通の基本的な問題に取り組んでいるが、その解決方法には 違いがあり、その解決方法は、社会の機能や社会を構成している集団の機能、さら に集団に属している人々の行動に多大な影響を与えている、というのである。」182
Hofstedeによると、日本はアルゼンチンとイランと同じレベルの集団主義であり、権力
格差が大きい国である。一方、アメリカとイギリスは強い個人主義であり、権力格差が少 ない国である。個人主義スコアでは 100 に近いスコアの国は個人主義であり、0 に近い国 は集団主義に近いことを表している。日本の個人主義スコアは 46、アメリカは 91、イギ リスは 89 である。三つの中で、アメリカは1番、イギリスは2番目として個人主義で、
日本は個人主義に近い集団主義の国である。Hofstedeによる集団主義とは、「人は生まれ た時から、メンバー同志の結びつきの強い内集団に統合される。内集団に忠誠を誓うかぎ り、人はその集団から生涯にわたって保護される」183。
「男性らしさ−女性らしさ」の次元では、日本は研究された国々の中でもっとも男性ら しさの高い国である。これが意味するのは、男性が高い給与を得る機会があり、よい仕事 をするとき十分に認められることが多いということである。50か国それぞれのスコアを見 ると、イギリスは9番目、アメリカは15番目に「男性らしさ」のランキングが高かった。
第4文化次元の「不確実性の回避」では日本のスコアが高く(92)、アメリカ(46)とイ ギリス(35)のスコアは低かった184。勿論、集団主義と個人主義を証明するため多く研究
者が Hofstede の結果に基づいているが、現在の学者の中には、Hofstede の文化的次元を
批判する人もいる185。本論文では、Hofstedeの四つの文化的次元の中でもっとも関わりが 深いのは「集団主義―個人主義」のカテゴリーである。
一方、Hofstedeの研究を理解する上、研究者はみな日本人が集団主義であるという表現 には賛成しない。山岸によると、日本社会が集団主義的な社会であるからといって、日本 人の心にも集団主義的な性格がある。しかし、実際に聞いてみると、「自分自身は集団主 義的な考え方をしていないが、周りの人たちは集団主義的な考え方の持ち主である」と答 える186。つまり、日本人が自分自身を集団主義的であるという意識は低いと考えられる。
182 Hofstede, 多文化世界ー違いを学び共存への道を深る.
183 Ibid.
184 Ibid.
185 Fülöp, A Csoport és a Közösség Szerepe a Japán Társadalomban.
186 山岸, 日本の「安心」はなぜ、消えたのかー社会心理学から見た現代日本の問題点.
集団主義から個人主義へと変化したハンガリー
ハンガリーは 1989 年まで旧ソ連の共産主義の国として、チェコスロバキア、ユーゴス ラビア、ポーランド、ブルガリア、ルーマニア、東ドイツとともに東欧ブロックの国の一 つであった。Hofstede の 1960-80 年代にかけて行われた IBM研究にハンガリーが対象 となっていない理由は、東欧ブロックの共産主義の国々ではIBMが存在しなかったからで ある187。ハンガリーの研究者の多くは、共産主義の時代からハンガリーは他の東欧ブロッ クの国々とともに集団主義であったと述べている。一方、1989年に政治的な変化が起きた 際に、文化的な改革も行うべきだったが行われなかった。共産主義の時に、ハンガリーの 工場は政治に頼って、工場の経済的な計画は政治によって決められていた。政治に守られ ていたので安定性が高かったが、急に資本主義に変化し、共産圏経済相互援助会議がなく なり、商品が売れなくなった。当時、工場は市場性追求を目指したが、資本主義に対する 経験がない人188しかいなかった189。
この歴史的な背景を理解する上で、今でも研究者の中ではハンガリーが個人主義か集団 主義かどうかさまざまな議論が起きている。ハンガリーの場合、Hofstedeの研究では対象 となっていなかったので、研究者は Hofstede の方法をもとに研究を行った。現在、研究 者の多くがハンガリーを個人主義の国として位置付けているが、個人主義の中でも共産主 義に近いのか遠いのかは、結果はでていない。しかし、研究者は、ハンガリー人は純粋な 個人主義ではなく、共産主義時代は集団主義の文化に、今は更に個人主義の文化にも強く 影響される側面があると述べている190。
(2)日本の文化の独自性
「人」という漢字は二つの線で書かれている。この二つの線を二人の人間として考える としたら、この二人はお互いを支えながら、頼りながら存在すると考えられる。「人」と いう文字の象徴的な意味は人間が一人で立てず、他人のサポートが必要である。これは日
187 Heidrich, Szerveztei Kultúra és Interkulturális Menedzsment.
188 これを表しているのが、二つ目の自由な政治選考の時、党の名前が変えられたが、共産主義の時代に
支配していた政治家が選ばれたことである。Ibid.
189 Bakacsi and Takács, Honnan-Hová? A Nemzeti és Szervezeti Kultúra Változásai a Kilencvenes évek Közepének Magyarországán; Heidrich, Szerveztei Kultúra és Interkulturális Menedzsment.