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‟エンターテインメント謝罪“

ドキュメント内 社会的機能としてのメディア“謝罪” (ページ 67-74)

第 2 章 日本における謝罪の変容

第 5 節 ‟エンターテインメント謝罪“

なに違うだろうか。まず、エンターテインメント謝罪は主に娯楽のためだからである。そ して、「公開謝罪」でも「パフォーマンス謝罪」でもなく、これら二つを合わせた番組で あるからである。数百人のファン――あるいは被害者――がスタジオにやって来たのに、

「公開謝罪」ではなかった。なぜなら、カメラもファンの一員の視点から番組を撮影して おり、視聴者はファンの目線から番組を見ていたからである。この番組は、ある程度は

「パフォーマンス謝罪」だが、第一の目的は娯楽であるため「パフォーマンス謝罪」とは 違う。さらに、「パフォーマンス謝罪」のケースでは、メディアがニュースとして報道す るが、「エンターテインメント謝罪」の場合はメディアも娯楽番組として作られている。

視聴者を用意して、視聴者の感情の顔を番組で見せて、謝罪者を舞台に立たせて、スポッ トライトを使っていること全てが娯楽のために作られているという証明といえる。謝罪者 の目線から考えて、「パフォーマンス謝罪」と「エンターテインメント謝罪」のケースで も同じように謝罪のために準備して、言いたいことを決めているという点で、違いはない。

一方メディアの目線から見ると、「パフォーマンス謝罪」ではメディアはただの送り手で あるが、「エンターテインメント謝罪」では製作者である。つまり、「エンターテインメ ント謝罪」はメディアの創作なのである。

社会的な機能、つまり謝罪を伝える意味を持っている謝罪の種類は前述した通りである。

第1節では社会的な機能を持っている謝罪を紹介したが、本節で見たSMAP草彅剛の謝罪 はどれぐらい社会的な意味を持っていたか、どれぐらい娯楽のために放送されたか疑問で ある。

第 6 節 パロディーにまで進化した謝罪会見

SMAPの謝罪が放送された5ヶ月後には「謝罪会見」を基にした「パロディー謝罪」が バラエティ番組や広告に登場してきた。

例①

2009 年 10 月からフジテレビの朝の情報番組『どうもキニナル』という番組の中で新し いコーナーが始まった。このコーナーは『土下座して!』というタイトルで、視聴者の手 紙に基づいて、一般人の間の些細な事件を調べて、土下座させて欲しい人を探し、土下座 させるという企画である。例えば、結婚記念日を忘れていた夫を土下座させるため、過ち を証明し、先輩から忠告を与える。一般の出演者を土下座させるときに、番組の進行役で あるお笑いコンビ品川庄司の庄司智春――番組では土下座屋庄司と呼ばれる――が、はかま 姿で現れ、問題の当事者と一緒に土下座する。このような番組は、「公開謝罪」とも「メ ディア謝罪」とも言うことができず、バラエティショーとして娯楽のために、謝罪を使っ ているといえるだろう。

例②

2009 年10 月~11 月に放送されたスー パーの西友の広告は

「謝罪会見」を基に して、西友の社員 3 人が謝っているとい う 設 定 で あ っ た 。3 人の真ん中に座って いた人物が「私ども

どこよりも安く心掛 17.SEIYU 広告46 2009

けておりますが、ごく稀に他店のほうが安い場合もございます」と述べ、3 人同時に頭を 深く下げて謝罪する。さらに、その中で、横に座っている人が船場吉兆の社長の母親の真 似をして、「ごく稀、ごく稀」と耳打ちをしていた。つまりこの広告は、「謝罪会見」の 本来の意味から完全に離れ、「謝罪会見」のネガティブなポイントをコミカルに表現して 視聴者を笑わせようとしているのだ。娯楽を生じさせるために使ったポイントは船場吉兆 の謝罪会見でメディアが注目して、批判した瞬間と同じである。

例③

また、2009年の12月10日から、レストラン、ガストのステーキの広告キャンペーンが はじまった。この広告キャンペーンでは12月10日は「ごめんねの日」として設定した。

広告曰く、「ごめんねの日」は、今まで直接ごめんねと言えなかった人に、今回がチャン スであると言うわけだ。この広告キャンペーンのウェブサイトでは、35 人の「謝り美人」

が謝る様子をみることができる。また、ホームページの下に「お詫び。申し訳ございませ ん。盛りつけの際に、鉄板からお肉が多少ハミ出る場合がございます」と書かれていて、

頭を下げている人の写真がある。その横には、鉄板からはみ出された大きいビーフステー キセットの写真が配置してある。

その上、「謝り美人」の写真をクリックすると、自分のパソコンにその人の謝る姿の写 真をダウンロードすることが出来るというサービスもあった。これは、ある意味で美人コ ンテストとお詫びのコンビネーションといえる。この広告は謝罪している“かわいい”女性 の姿とステーキの大きさについての皮肉的な謝罪をアピールとして使いながらレストラン の宣伝をしていたのである。

西友とガストの広告は両方とも、お詫びのネガティブな意味をポジティブなアピールに 変えて使っていた。これらの広告のすべてが、謝罪の本来の意味から離れ、視聴者を楽し ませる「お詫び」の方向へ進んでいる傾向を表している。

第 7 節 映画化された謝罪 ≪謝罪の王様≫

2013年秋に全国で日本の映画『謝罪の王様』のコメディーが紹介されていた。この映画 が生まれた経緯について、脚本を書いた宮藤官九郎は、ちょうど脚本を書き始めたころに テレビで謝罪会見があって、そこに違和感を感じて、正式な謝罪のやり方を誰かが教えて くれればいいのにというのアイディアがわいて、脚本を書き始めたと述べている47。 ストーリーとして六つの謝罪のケースが取り上げられ、すべてのケースで謝罪師の主人 公が謝り方を説明する。勿論、映画自体はコメディーだが、なぜコメディーになったのか、

観察者はどうして笑っているのか、すべては謝罪会見の違和感と繋がっている。

映画に現れる六つの謝罪ケースを分析すると、すべて違うタイプの謝罪を代表している。

第 1 のケースでは、謝るのが苦手な女性がタイミングを逃してしまって謝るケース。主人 公に謝ることのタイミングがどんなに大事か、偽装でもいいから反省する姿を見せるのが 大切だと教えてもらう。

第 2 のケースでは、セクハラで訴えられている男性の謝り方が正しくなかったので、謝 罪師が、謝罪の時の言葉使いが非常に大事だと教えてもらう。謝罪師によると、日本人は、

一所懸命がんばっている人を許してあげるので、謝罪者を走らせる演出をし、焦っている 姿で謝罪すると、許してあげやすい状態になる。謝罪がたりない時、あるいは失敗したと きにはもっとも正しい謝罪をするべきだと教えられている。

第 3 のケースでは、芸能人夫婦の息子が逮捕された事件で芸能人の父親と母親も謝罪す ることになる。謝罪師によると、芸能人の父親の謝罪会見は、演技が過剰になりすぎてい たり、お辞儀が短かかったり、涙が嘘くさいと指摘する。芸能人の母親の謝罪は、頭が下 がりすぎていたり、謝罪会見を自分のテレビドラマの広告のためにも使った。ミスした謝 罪会見の釈明会見とその釈明会の謝罪会見に囲まれ、終わりがない謝罪が続いていた。だ んだんと、謝罪をなぜ行っているかをもう分からなくなっている。そこで、主人公の女性 が述べたのが謝罪会見の重要なポイントとなる。

「ずっと思ってたんですが、なんでカメラの前に謝らなきゃならないんですか。だ って、この事件って、テレビを見ている私たちは関係ないですよね。世間を騒がし

てとずっと言うんですけど、むしろ楽しんでますよね。本当に謝ってほしいのは被 害者のAさんだね。」48

第 4 のケースでは、弁護士が娘に謝りたいが、謝る力と心理的余裕がなく、アドバイスを求 めた。謝罪師はすぐ会わせて謝罪すればいいとアドバイスをするが、弁護士は精神的にまだで きないと答える。

第 5 のケースでは、個人のケースから離れ、映画監督がある国の王様を映画に取材したこと から国と国の間での謝罪を紹介することにした。このケースは特に文化的な違いに注目し、国 と国によって、謝罪自体だけではなく、言葉も、振る舞いもすべて違うことが見えてくる。そ こで主人公は土下座を超える謝罪があると述べる。

最後の第 6 のケースでは、主人公が関わってくるケースであり、ラーメン屋の店員に謝って ほしいという。これに対し、店員本人の変わりに店長が謝ってきて、主人公がそれを認めず、

本人が謝ってほしいと言い続ける。本人の変わりに、ラーメン屋のチェーン店の社長が謝るが、

主人公がどうしても本人が謝ってほしいという。結局、本人の謝罪がされないまま、ラーメン 屋が潰れる。このケースは日本の世間の力を表しているだろう。さらに、あるミスが本人だけ ではなく、所属している企業にも影響を及ぼし、本人の代わりに責任が企業全体にも影響する ということも理解できる。

(1)≪謝罪の王様≫に見える謝罪の要素

以上の映画は2013年で、なぜコメディーとして成功したかというと、第1章で説明したよう に2009年から謝罪パターンが生まれてきたからである。パターン化された謝罪があまりにも似 ているので、視聴者がコメディーで見ている謝罪の風景が現実で見ていた謝罪と繋がる。謝罪 の強調点に映画の製作者が注目し、大袈裟に紹介し、視聴者に謝罪の違和感を理解させ、笑わ せる。

一方、筆者にとっては、この映画は笑わせるだけではなく、映画の製作者、つまり現実の視 聴者が謝罪のどこに違和感があるかを詳しく紹介してくれる点で興味深い。主人公は最初に三 つのケースでいくつかのことに注意させる。例えば、頭を下げる動作の角度が低すぎて、時間 が長すぎる。観察者が 1 分以上頭を下げることに対して大きく笑っている。しかし、5 秒で頭 を持ち上げることにも笑っている。言葉使いにも注目する。被害者に対して礼儀正しい単語を

48 「謝罪の王様」50:30~50:55

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