4.3.1 調査時の介護の状況
在宅時のA1は、仏間の奥にある8 畳ほどの居室に置かれたギャッジアップベッド のなかで終日を過ごしている。部屋は庭に面した掃き出し窓があり、日中は明るい。
M1は朝7時前にA1の居室を訪れてA1を起こし、電気とTVをつけてオムツ交換し、
朝の栄養投与を行う。ベッド横に置かれたTV は、就寝前のオムツ交換まで終日つけ たままになる。水分・栄養補給、投薬はすべて胃瘻を用いている。朝昼夕の1日3回、
2011/7/10 2011/7/27 2011/8/17 2011/8/24 2011/8/29 2011/9/6 2011/9/20 2012/9/27
W1 が器具や栄養剤の準備をし、M1 が 10 分ほどかけてシリンダーで投与する。排 泄はすべてオムツ介助であり、栄養注入前と就寝前の計 4 回を 2 人恊働で行ってい る。現在利用している訪問医療・介護サービスは、月 3 回(3 泊 4 日)のショートス テイ、週2 回のデイサービス、主治医による月2 回の訪問診療、週1 回の訪問看護、
歯科衛生士による訪問口腔ケア、理学療法士による訪問リハビリであり、年間で予定 が組まれている。
医療従事者による認知症の診断は受けていないが、家族はA1を“認知症”と捉え ている。筆者の第一印象は「肌がスベスベで、お元気そう」であり、筆者との挨拶は、
毎回初対面としての対応ではあるが、明瞭な言葉での応答であり会話も続く。
A1 は、2010 年 3 月頃から摂食を嫌がるようになって体重が減少していたが、胃 瘻を造設する直接の要因は、同年 6 月下旬に 2 回続けて熱中症を起こしたことによ る。M1は胃瘻による栄養投与を身近で見たことがあり、A1が摂食を嫌がる以前から 胃瘻を知っていた。
表 4-3 医療・介護サービス利用状況(2011.7現在)
4.3.2 胃瘻を知った経緯
(1)M1 が胃瘻を知った経緯
M1が胃瘻をはじめて見たのは、M1の父親でありA1の夫であるB1の入院先であ る。1998 年に前立腺肥大で入院した B1(当時 89)には認知症状があり、徘徊が懸 念されたことから、M1は入院と同時に介護休業制度を利用して、B1を見守るため病 院に泊まり込んだ。温熱治療後、急性期病院でやる事はもうないと退院を促されたた め、W1 は療養型病院を探して転院させた。M1 は、母 A1 が父を介護するのは年齢
的に困難と考え、介護休業制度を継続して利用し、洗濯物や季節の果物、A1 が排尿 に効くと信じているスギナ茶などを持って病院に日参した。
「介護するって休暇を取ったもんだから、病院に行かんわけにもいかないでしょう。
1 日3 回、毎日食事の時間には病院に通っとった」とW1は回想する。M1は、介護 休暇を取ったもうひとつの理由に、子会社の閑職に配転させられ「仕事が、いやにな っていた」ことをあげており、休業制度期間が満了になると、そのまま早期退職して B1の病院に通った。W1は仕事をしながら80歳を過ぎたA1と家事をこなしていた が、A1 がスギナ茶の土瓶をガスコンロにかけっぱなしにして把手を焦がしたとき、
日常の家事を任せるのは困難と判断し、W1が家事全般を担うようになった。結婚し てすでに家を出ている娘が出産のため帰省することとも重なり、W1はM1と同時期 に退職した。
B1 は、転院後数年は常食を自力でとっていたが、5年の入院期間中に身体機能が 徐々に衰え、亡くなる2年ほど前には常食を誤嚥する。病院に日参していたM1はそ の頃から徐々に食事の介助をするようになっていった。B1 と同じフロアには認知症 の人も多く、胃瘻利用者が複数いた。M1は看護師が胃瘻から手際よく栄養剤を患者 に注入していく様子をここで毎日端から眺め、胃瘻の存在を知った。それは、認知症 高齢者への胃瘻が急速に普及した時期に重なっている。B1 は亡くなる 2か月ほど前 に嚥下が困難になり、徐々に食べられなくなって、そのまま病院で亡くなった。
M1: そのときは、自分のところに回ってくるなんて思ってもいなかったから、食べ ささんでいいからさあ、便利だなあと。そんな細かい認識も何にもないし、食 事できなくなる人があれ(胃瘻)にしてるんだなあちゅう[2011.7.27, IC]。 M1:(B1 は)だんだんゴックンできない。遅いちゅうか、口んなか入れても飲み
込まないちゅうか。(中略)食えねえちゅうことはもう終わりだなと、そうい う感じには見えてたわね。(筆者 Q:胃瘻造設という考えは?)そんな発想は なかったね。考えてなかったね[2012.9.27, IC]。
M1は、はじめて見た胃瘻について、「食べささんでいいからさあ、便利だなあと。
そんな細かい認識も何にもないし、食事できなくなる人があれにしてるんだなあ」と 当時を振り返って語っている。また、B1が徐々に嚥下困難になって行く状態に接し、
「食えねえちゅうことはもう終わり」と捉えている。
(2)A1 の状態の推移
A1 の認知機能の低下が明確になったのは、2003 年の B1 の葬式の時だった。W1 はA1から「誰の葬式?」と問われ、それまでは加齢からくる物忘れ程度に考えてい たA1の状態を「認知症」と受け止め、介護が必要になると考えて要介護認定を申請 する。認定は3 だった。しかしM1は、A1が認知症であり介護が必要とは受け止め ていなかった。
W1: まあ、認知症いうても血が繋がってるんやから、この人は、親と。なかなか 認めてもらえなんだわ。何か変やよちゅうても「まだ変じゃない!」ちゅうて。
(中略)この人は朝行ったら夜遅くまで帰ってこないし、結局、接しとるのは私 なんやからて思っているんだけど、やっぱり、認めたいんやろけど、認めたく ないって(笑)[2011.08.29, IC]。
M1、W1のいう「認知症」は医師の診断を受けたものではない。日常生活で、傍目 には不可解に見える行動が頻繁に起きるようになった状態を指しており、「認知症」
の知識は、経験と知人の体験談に依っている。
要介護認定後、W1はケアマネと相談して、デイサービス、理学療法士による訪問 リハビリ、訪問看護師の利用を決めた。理学療法士と訪問看護師は主治医の医療チー ムのメンバーでもあったことから、チームでA1の状態を相談し、口腔ケアの歯科衛 生士、管理栄養士を加えてA1のための医療チームが組まれた。医療チームは定期的 に研修会を持っており、A1の状態の情報交換も適宜行われた。A1の認知症状は、ト イレ誘導からトイレ介助、オムツ介助へと、4、5年の間にゆっくり進んでいった。
4.3.3 胃瘻造設に至ったプロセス
A1 は、造設の1年ほど前から徐々に食事を厭うようになり、半年ほど前から余り 食べない状態が続いた。家族は、 A1の体重が36 キロを切らないよう主治医に指示 されていたことから、とにかく食べさせる努力を続けた。M1 はこの当時を表して、
「とにかく食べさせるのが、地獄だった」と語っている。その頃A1はまだ自分で食
事を摂っていたが、M1、W1が見ていないすきに、ご飯の入った茶碗におかずの入っ たお椀をかぶせ、「食べた」といって下げてきたという。「よほど召し上がりたくなか ったんですね」と筆者がいうと、「他人だから言えるんです。私たちは毎日ですから ね。それを見てもう、切れましたよ」と、普段になくM1の語気が強まった[2011.08.24, フィールドノート]。
M1: 食事の介助もふたりで。途中からもう、ふたりがかりよ。一人じゃもう、大変、
大変ですね。
W1: 欲しくない人に食べさせるんやから。
M1: そのひどさと、スピードがないから。あの(ベッドサイドの)テーブルの上に持 ってきて、椅子に座らせて食べてたんだけどね、からだは動かない状態(筆者 註:身体的にではなく、動かさない状態)で進まない訳よ、食事が。もう、い らいらしてくる。ふたりがかりで、付きっきりで(中略)1回1時間かかった。
W1: 怒ったりすると「いらん」て言うし。いらんかったら、ここに吐いてもいい からって言うと、ほんとに、最後になったら…、出したわ[2011.08.17, IC]。
3 か月ほどその状態が続き、「胃瘻」という手立てがあることを知っていた M1 は 主治医に造設を相談する。
M1: これだけ食べさせるの大変なんですけども、これだと栄養不足とかね、なるん じゃないかちゅうたら、「まだ大丈夫だろう」ちゅうて。相談ていうか、雑談 的だったかは忘れましたけどもそういう話をしたら「まだあ、そんなことする 必要はないでしょう」っていわれて。そしたらそれが段々ひどくなってきたか ら、今度はラコール(経腸栄養剤)をコップに入れて不足栄養分をラコールで 補ったんですよね[2011.07.27, IC]。
W1も訪問歯科衛生士に「まだごっくんと呑む嚥下の力があるので、やっぱり口か ら食べさせた方がいいからっていわれて、そうかなあと思いながら1 時間かけて(笑)」
[2011.08.17, IC]食事介助を続けた。
さらに 2 か月ほどその状態が続いた 6 月下旬、デイサービスの見送りに同行して
きた職員から、A1 の眼の焦点が合わないようだから様子を見るように伝えられた。
A1 はすでに高熱でぐったりしており(W1は「熱中症だったと思う」という)、そのま まM1の車で急性期総合病院に連れて行ったが、病院での処置は点滴を1本しただけ だけですぐに帰された。それから 2 週間後、再び同じ症状になったので同じ病院に 連れて行くと、再び同じ処置のみで帰された。帰宅後、M1は主治医と連絡を取り、
その日のうちに胃瘻造設を決定した。
M1: 2 回ほど病院に運んでいって帰されてきて、(主治医)先生の方が言ってくれ
たのかなあ、(中略)思案とか考えるとか相談するとか、そんなん一切なしね。
何にも食べられないから、何にも食べられない状態が続いてたから[2011.7.27, IC]。
W1:(主治医)先生からも、胃瘻するにしても、今の時機を逃したら体力がもう落 ちてしまってるから、今を逃したら胃瘻もできませんよっていわれたと思うん や。(中略)ばあちゃんでも、元気な時からやよ、胃瘻とかそういうことはせ んとこうねって、話しはしてたんよ。だけど熱中症で、やっぱり緊急を要する ようになった時に、「胃瘻せんて言っとったからせんでいい」ってなかなかね、
そんなこと言えれんもん。(中略)これ見捨てたら見殺しやって、やっぱり、
そういう思いになったのは確か[2012.9.27, IC]。
造設手術は、体力回復のために2週間の点滴をした後に行われた。胃瘻造設術の手 配をする際の主治医の条件は、「ちゃんと自宅で介護する覚悟があること」だった。
初回の調査時に、A1の診察をしながらM1とW1の話を聞いていた主治医は、「いつ 胃瘻にするか、決断のタイミングのようなものはある」[2011.07.10,聞き書き]と 語っている。
一方 M1 とW1は、A1 を熱中症にしてしまったのは A1の発言を「信じた」こと が原因だったと捉えていた。
M1: おれらの大失敗のひとつに、(A1に)質問するんですよね、暑くねえかとか、
頭痛くねえかとか、しんどくねえかとか。ところがそれは、全部否定されるわ け、「暑くない」と。(中略)それをある程度信じてたわけや。それで、エアコ