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介護当事者について

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 72-79)

本論は、介護が必要な高齢者と日常を共にする家族の介護を家族介護という枠組み で括らず、介護当事者として捉える。これは、前節の「家族同意」でも言及したよう に、現代社会の家族の形態や意識は多様であり、家族という枠組みのなかで提供され る介護も自明のものではないという前提に立つものであり、家族である高齢者と高齢 者を介護する家族介護者の関係も、個別の関係性として捉えることを意味する。これ は、意思確認が困難となった高齢者への医療行為の選択決定を家族介護の問題に限定 せず、家族ではない介護者による意思決定も、高齢者と介護当事者の関係性において 考察するためである。

この節では、家族は解体したと言われつつも、現実にはなくなっていない家族によ る介護とは、どのような関係性として措定されるのか、また、新たに形成されつつあ る、ないしは可能性として提示される介護し/される領域は、どのような関係性によ って構成されるのかをレビューする。

なお、本論は、本人自身が意思決定することが困難な高齢者を介護する介護当事者 の意思決定プロセスを捉えることが目的であることから、高齢者と介護者の関係性に 関連する、持続的な人と人との関係性に焦点を当ててレビューし、家族制度の政治性 や、ケアの分配問題、法的制度的課題、人権問題などへの言及は、関係性の文脈に必 要な範囲に留める。

3.2.1 家族という関係性

社会学者の上野(2008)は、家族の通文化的な定義はすべて解体したとしつつも、

現実に家族はなくなっていないし、「家族が果たしてきた機能を代替する制度が登場 したようにも見えない」(上野2008: 29)とし、「家族の臨界」をめぐる問いを、「依 存的な他者との関係」から解くことを試みている。

上野は近年の家族研究の現状を捉え、血縁や契約によって拘束された「家族」観か ら、自立した個人による選択的な「親密圏」へと用語法そのものがシフトしていると し、「家族」研究が対象としてきた領域を「親密圏」という用語によってカバーでき るという論者もいるが、「自立した成人のあいだでなら成り立つかもしれない『親密 圏』の概念を、子どもや高齢者など依存的な存在にまで拡張することは可能か」(上

野2008: 30)と疑問を投げかける。子どもや高齢者は、「親密でない」他者にでも依

存しなければ生きていくことができない存在であることからも、「家族」が「親密圏」

とは限らないことは明らかであり、「親密圏」という概念だけではカバーできない領 域が「家族」には残っていると指摘する。さらに、近代市民社会の法は「自己決定で きる個人」を「法的主体」として措定しているが、「『法的主体』たりえない存在に対 しては、無力と限界を露呈」(上野2008: 33)し、「そのような『依存的な他者』を、

市民社会はその『外部』に配置し、その領域を『家族』と呼んできた」(上野2008: 33)

と指摘し、近代家族が解体しても「依存」の現実そのものはなくならならず、依存の 完全な「社会化」が成立すると考えられないのは、「依存的な他者」を家族が抱えこ むからであると結論付ける。

そのうえで上野は、この領域を、米国のジェンダー法学者マーサ・ファインマンの

「ケアの絆」の概念に重ね、「ケアの絆」を「持続的かつ個別的な、権利と責任をと もなう、ケアの受け手と与え手のあいだの非対称な相互関係」(上野2008: 34)と定 義して、相互作用としてのケアを、ケアする側/される側の双方からアプローチし、

ケアの権利と責任を検討している。そのうえで、「家族がかかえた『依存的な他者』

のなかには、自己決定能力を持たない子どもや、認知症のような自己決定能力を失っ た高齢者が含まれる。家族は、それらの『依存的な他者』の意思決定を代行する権限 を移譲されている」(上野2008: 36)という現状を明らかにし、「家族(と呼ばれる領 域)が、依然として『自立できない個人』をかかえた『ケアの絆』が成立する領域で あるとすれば」(上野2008: 36)、この領域を「事後的に『家族』と呼ぶことも可能で

ある」(上野2008: 36)としている。ここでの「ケアの絆」は、「家族」が既にそうで

あるように、血縁や性、居住の共同に依存しないものであることは言うまでもない。

3.2.2 親密圏という関係性

一方、政治学者の斎藤(2008)は、家族制度は結婚というごく限られた性愛のあり

方のみを特権化する制度であると批判し、近年の必ずしも性や血の結びつきによらな いグループホームや自助集団などに見られるつながりを、家族という支配的なメタフ ァーから距離をとって「親密圏(intimate sphere)」と呼び、「具体的な他者の生へ の配慮/関心を媒介とするある程度持続的な関係性」(斎藤2008: 96)と定義する。

斎藤の定義による「具体的な他者」とは、「一般的な他者とは異なって人称性を帯び

た他者」(斎藤2008: 196)であり、その関係性は、「他ならぬ」という代替不可能性

を含むものである。「生への配慮/関心が人びとの関係を繋ぐということ」は、「他者 との間身体的な関係性を生きることによって、その生の必要や欲望や困難に否応なく 曝される」(斎藤2008: 196)ことであり、「身体を通じて互いに曝され、互いに含み 合っている」という依存性こそ、「生の基本的な条件である」とし、近代の小家族が 背負い込まされてきたケアの負担を動かし難いものとみなすのではなく、親密圏にお ける生のケアは、社会における生活保障をめぐる「制度やネットワークによるどのよ うな支援がケアを受ける者/ケアをする者たちにとって抑圧的でないかを探ること

にある」(斎藤2008: 197)と述べる。また、「関係性がある程度持続的なものである

というのは、他者への愛着や被縛性から完全に自由ではありえないということを意味」

(斎藤2008: 197)すると指摘している。

斎藤(2008)は、他の中間集団との比較によって親密圏の特性をより明確にしてい る。アソシエーションとの比較では、第一に、「親密圏はアソシエーションのような 対等な者たちの間に形成されるわけでは必ずしも」(斎藤2008: 212)なく、親密圏を 特徴付けるのは非対称な関係性であり、それは「自らの必要や意思をはっきりと表現 することのできない他者との関係を含む場合がある」(斎藤2008: 212)ものである。

第二に被縛性である。「親密圏から退出する自由は制度的に保障されなければならな い」としたうえで、「そこでの関係性は身体の接触や感情の呼応、相互の発話への応 答によってしだいに形成されるものであり、そのような呼応や応答の積み重ねは互い の関係を容易には解消しがたいものにする」(斎藤2008: 213)という特性を持つとい う。親密圏を特徴づけるのは、「他者との関係における自発性と能動性が強調される アソシエーション」とは異なる、「具体的な他者の生とのかかわりにおけるこうした 受動性・受容性の経験である」(斎藤2008: 213)としている。

また、共同体との比較では、「共同体が価値観において等質な集団を指すとすれば」

(斎藤2008: 213)、親密圏は異種混交的であるという。親密圏は、「人びとの『間』

に成立する関係」であり、「そこに生じる価値の葛藤やディレンマそのものを排する ものでは」(斎藤2008: 214)なく、また、「相互の交渉が重なり、互いの経験が照ら し合わされるなかで『共通の経験』や『共通の価値』」とでも言うべきものが形成さ れるとしても、それらは互いの違いをそこに還元しうる何か」(斎藤2008: 214)でも ないとしている。親密圏は、「共同体から逃れるような仕方で、あるいは諸々の共同 体を横断するような仕方でも形成されうるものであり、共同体のなかにすっぽりと包 摂されるような小共同体ではない」(斎藤2008: 214)という。親密圏の関係性は、一 方では差異とディレンマは保持され、他方では、「そこにいる人びとに一定の安全性

(の感覚)を与え、生の拠りどころとなるということ」が矛盾しないのは、親密圏が

「一体性の空間ではなく、複数の人びとの『間』であり、そこには言葉や行為におけ る現れとそれに対する一定の応答がある」(斎藤2008: 215)からである。そうした呼 応の関係において、応答するものは他者の生の困難や苦難に繰り返し曝され、その受 動性・受容性の経験は、「生の困難の原因を他者自身の本質的な欠陥や欠落に帰して 関係性を断ち切るのでないかぎり」(斎藤2008: 215)、「社会や自己の秩序を編成して いる価値を問い直し、生の空間の分断・隔離に抗する条件ともなる」(斎藤2008: 216) と示唆している。

3.2.3 個の代替不可能性という関係性

文化人類学者の小田(2007)は、現代社会は、経済的には「新資本主義」、政治的 には「ネオ・リベラリズム」、社会学的には、新たな「個人化」によって、社会のあ らゆる面での「液状化」が始まっている段階とされていると述べる。「個人化」とは、

「職業やライフスタイルや人間関係や消費などのあらゆることが、社会の規範や規制 といった枠組みによらずに、個人の選択の対象になってきたことを意味」(小田2007:

45)し、「個人化」が生活のあらゆる局面で推し進められることによって、「人びとの

間の持続的な関係の形成が困難になっている」(小田2007: 46-47)と指摘する。しか し、「そのような状況においても、人びとは他者との親密な「つながり」を求めてい ることもたしか」(小田2007: 47)であるとし、こうした現代社会において、「人びと がどのような関係を作っているのかを、『親密圏の変容』と『私のかけがえのなさ(個 の代替不可能性)』という観点から」(小田2007: 47)捉え、問題の所在を考察してい る。

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