6.4.1 胃瘻自体の知識を得ることによる判断の変容
B3夫妻の当初の「胃瘻は介護施設の手抜きの道具」「胃瘻にすると長くなる」とい う胃瘻の認識は、従姉の経験談から得たものであり、店の客の世間話がそれを補強し、
メディアによる「胃瘻は無益な延命措置」という否定的な印象も付加されていたと解
釈されるものである。ここでのB3夫妻の胃瘻には、利用者の具体的なイメージ、造 設する状況のイメージ、胃瘻自体の知識等はないまま、「介護施設からの胃瘻の要請」
と言えば「手抜きのため」というひとつのストーリーが出来上がっていたと解釈され る。しかし、B3夫妻は、A3の命をつなぐために胃瘻にしたいというXの願いを聞く ことによって、Xは介護従事者として胃瘻を望んでいるのではなく、胃瘻は手抜きの ためだけに利用されるものではないことに気付いている。気付いたことによって B3 夫妻は手引き書を手に取っており、手引書の体系的な説明によって、胃瘻は栄養補給 法のひとつであり、他の栄養補給法もあることを知った。
ここでは、Xを介護従事者として捉えていたBWの認識が転換したこと、A3に対 するXの思いの変容に気付いたこと、胃瘻自体についての知識を得たことによって、
風評による胃瘻の認識のまま意思決定するのではなく、主治医の診断を聞いて判断す る態度に変容している様子が示唆された。
6.4.2 家族の意向という医療的慣行
この事例では、初回の診察時に、主治医、B3夫妻、X、ケアマネの5人でA3の治 療方針を話し合い、B3 夫妻の意向で、延命処置などはしないという合意がなされて おり、医師の診断も、転居した当初のA3は、明日逝くかもしれない状態にあった。
しかし、その後2年間の治療と介護によってA3 は回復し、A3とXの掛け替えのな い関係は形成され、A3自身とA3をとりまく日常は徐々に変わっていった。しかし、
B3 夫妻と A3 および X との接点は月 1 回 2,30 分程度の面会のみだったため、B3 夫妻とA3との具体的な関わり、Xとの具体的な関わりに大きな変化はなく、BWに とってA3は家族であり、Xは施設介護者であるという枠組みでの理解は当初のまま 継続されており、A3とXの関係性の変容には思い至っていなかった。
こうした関係性のなかで A3 は肺炎を発症し経口摂取困難になっており、X は A3 との関わりから、当初の「何もしない」治療方針を見直してA3が生きるための治療 を願うが、B3 夫妻は、自分たちが代理決定するのは「家族」として当然であると考 え、診療所の所長もその考えを当然視している。
第3章でも言及したが、現在の日本の医療現場では、本人の意思確認が困難な高齢 者への医療行為は、本人に代わって当然のように家族に同意が求められ、家族の同意 を得ることで医療行為が行われ/中止されている。医療者が家族から同意を得る目的
は、「当該医療行為が医師単独の判断で行うわけではなく、誰かの同意を得ているこ とを何らかの形で残しておきたいという気持ちと、家族から同意をもらえるならば万 一の場合の損害請求に対する抑止力になるという自己防衛の判断が働いている」(岩
井2006: 56)と指摘されるものでもある。現在の医療現場の家族による代理決定は、
医療行為への同意だけでなく、治療方針の決定も委ねられるものになっている。
事例では、A3 を取り巻く環境を知っている主治医が、診療所長の「慣行に従った 意向」をしなやかに受け流して、家族の再考を実現していた。事例から、時間の経過 とともに本人の状態も環境も変わるものであることに留意し、一度決めた治療方針に 拘泥しないこと、医療現場において強者である医療従事者は、家族の決定に無批判に 従うのではなく、医療者としての専門性を保持しつつ、本人を取り巻く環境に配慮し て治療方針を見直す柔軟性が重要であることが示唆されている。
6.4.3 主介護者の専門性が可能にした “在宅”介護
この事例の主治医は、A3の肺炎発症時に入院を提案せず、B3夫妻の「何もしない」
という当初の意向に配慮しつつ、経管栄養導入の提案を行っていた。入院を提案しな かった理由は、XとケアマネAが看護師であり医療行為を任せられること、日中は介 護施設となる住環境から、介護を任せられるスタッフが十分いることなどであり、レ ントゲン検査や精密検査に対応した治療はできないが、介護環境は病院より手厚いと 考えたことであった。また、経鼻経管を抜去し経口摂取が再開できたのも、Xとケア マネAが看護・介護の専門的知識と能力を持ち合わせていたこと、施設のスタッフ全 員が経口摂取再開に取り組んだことによる結果だった。さらに、X は、A3 に付きっ きりで介護しているのではなく、A3 と一緒に生活しつつ、日中は自分のデスクワー クをこなし、泊まりがけの出張にも出掛けている。つまり、これだけの条件が整って いれば、いつ亡くなっても不思議はない状態であっても在宅で介護し、経口摂取再開 への取り組みも可能であることが示唆された。逆にいえば、看護や介護の専門的な知 識も技術もない普通の家族にとっては、医療・介護の社会資源でこれだけの環境と人 材を揃えられなければ、在宅介護や経口摂取の継続・再開を望むのはきわめて困難で あることを浮き彫りにするものでもあった。