本研究は、意思疎通が難しく、経口摂取困難となった高齢者への医療行為を判断す る介護当事者が、どのような社会状況において医療行為の選択肢を知り、どのような 要因で選択決定しているのかを、エスノグラフィックなデータを提示しつつ検討した。
第1章では、本研究の背景となる超高齢社会という現在の日本の社会状況を、高齢 者の「不健康な期間」という視点から捉え直し、高齢者の「不健康な期間」を共に生 きる介護当事者の意思決定プロセスに焦点化する研究の意義を述べた。第 2 章では、
経口摂取困難をめぐる問題の所在を、医療、社会状況、介護当事者それぞれの視点か ら捉え、諸外国の対応との比較もおこなった。第3章では、本研究の理論的枠組であ る意思決定理論によって、本研究と隣接する領域の先行研究である、医療行為を選択 決定する手続き、参照する倫理的規範、介護実践の分析を整理し直した。また、本研 究は、現実の意思決定者がどのように選択するかを捉えようとするものであるが、記 述理論の心理学的アプローチのように実験室的状況で捉えるのではなく、社会的文脈 や人びとの関係性から説明する試みであり、それはBerger & Luckmannの知識社会 学的なアプローチと重なるものであることを述べた。一方、本研究の調査対象を、「介 護家族」ではなく「介護当事者」とした理由について、現代の家族という枠組みがす でに特定の意味をなさなくなっていること、介護は家族にとって自明のものではない という問題意識を述べたうえで、高齢者と介護当事者の関係性に着目する意義につい て論じた。
以上を踏まえ、第4章、第5章、第6章では、介護当事者の意思決定プロセスを、
1)胃瘻を知った経緯、2)胃瘻の選択決定プロセス、3)経管栄養導入後の日常生活、
という3つのカテゴリーに焦点を当てたエスノグラフィーを提示した。
第4章は、嚥下機能に問題はないが、食べることを厭うようになった92歳の母親 を在宅で介護している、69 歳の長男とその妻が介護当事者の事例であった。この事 例の特徴は、主介護者である長男が、胃瘻を介護の道具と捉えて活用することによっ て、食事介助という本人・介護者双方にとっての苦難を回避したことである。
1)胃瘻を知った経緯
介護者である長男は介護に馴染みがなかったこと、胃瘻をはじめて知ったのは病院 という環境の中であり、看護師が患者に手際よく水分・栄養補給を行う姿であったこ とから、胃瘻は、水分・栄養補給の道具と認識され、簡単で便利な医療技術という解 釈がなされた。この解釈は、知る側の経験と知った状況の相互作用によるものであっ た。
2)経管栄養(胃瘻造設)決定プロセス
容態急変で胃瘻造設の即断が求められたとき、長男夫妻は躊躇なく本人の命をつな ぐことを望み、その手立てである胃瘻造設を選択していた。これは、胃瘻が医療的処 置として優れた水分・栄養補給の方法であるという予めの知識を得ていたことがひと つの大きな要因だが、命をつなぐという即断は、高齢者本人と介護者がともに生きて きた歴史と、いまともに生きている関係性に裏打ちされた、理性的判断を越えた選択 と捉えられるものであった。
3)経管栄養(胃瘻)導入後の日常生活
主介護者である長男は、胃瘻を“贅沢な胃瘻”と名付けて、胃瘻は医療的処置であ るという解釈を変容させ、食事介助の道具として活用することよって食事介助から解 放された。それは同時に、高齢者本人も無理矢理の食事という苦痛から解放されるも のであり、胃瘻によって家族は穏やかな日常生活を取り戻していた。
この事例から、経口摂取を嫌がる高齢者への食事介助は、介護者の困難ばかりでな く、嚥下能力があっても本人にとっては辛いものであり、虐待は日常と一続きに繋が っていることが明らかになった。
第 5 章は、79 歳のとき脳血管障害を起こして救急搬送され、開頭手術で一命を取 り留めた義母を介護する長男の妻の事例であった。義母は手術により一命を取り留め たが、まだ意識が全く戻っていない状態の時に、長男の妻は独断で胃瘻造設を決定し
ていた。
この事例の特徴は、主介護者である長男の妻が、在宅介護で口から栄養摂取できな いのであれば胃瘻は当然の選択として利用しながら、胃瘻は延命措置であり高齢者本 人の本意ではないと捉えていることであった。
1)胃瘻を知った経緯
長男の妻は、以前、義母が在宅介護していた義父への介護実践を見ており、誤嚥性 肺炎で入院する度に衰えていく義父に対して義母が独断で造設した胃瘻は、義父の命 をつなぐ当たり前の方法と捉えていた。しかし同時に、胃瘻は「延命治療」であり、
「管付きで生きる」ことを義母は望んでいないとも考えており、胃瘻の捉え方にメデ ィアの影響が窺えた。
2)経管栄養(胃瘻造設)決定プロセス
長男は母親の開頭手術を即断したが、その後の介護は術後の経過次第であり、介護 施設への入所が順当と考えていた。妻は義母の在宅介護を即断するが、それは意識が なくても胃瘻によって栄養は確保できることを知っていたことが大きな要因だった。
3)経管栄養(胃瘻)導入後の日常生活
長男の妻は、在宅介護を決断すると直ちにペルパー講座の受講を申込み、義母の退 院に合わせて退職し、主体的に介護に関わっており、ここでの介護は、「担わされる もの」ではなく「遊び」の概念で捉えられるものであった。介護者という役割に対し て一定の距離をおくことを可能にしたのが、社会的介護資源と胃瘻の活用であった。
しかし長男の妻は、道具として胃瘻を活用しつつも、胃瘻を否定的に扱うメディア の「本人にとって最善か」という答えのない問いに捉われており、それを解消するひ とつの方法として、義母が介護されていることを負担に感じないように、手を抜きつ つ、楽しむ介護実践が行われていた。
第6章は、誤嚥性肺炎で経口摂取が困難となった 76 歳の男性と介護施設で共に暮 らしている、准看護師、ケアマネの資格を持つ介護従事者が主介護者であり、家族は
“自然な看取り”を希望したが、主介護者が説得して経鼻経管を装着した事例であっ た。
この事例の特徴は、成り行きで始まった共同生活によって、主介護者と被介護者で ある高齢者の間にかけがえのない関係が形成されたことであり、この関係性の後押し によって、介護者は家族に胃瘻造設を主張したことである。
1)胃瘻を知った経緯
主介護者は有資格者であり、胃瘻が本人負担の少ない水分・栄養補給法であるとい う知識は当然あった。被介護者の弟夫妻は、親戚や知人の話しから、胃瘻は介護施設 の手抜きや入居期間延長のために利用されるものであると受け止めていた。
2)経管栄養(経鼻経管装着)決定プロセス
主介護者は、被介護者が経口摂取困難になったとき、被介護者の弟夫妻と主治医と の当初の合意を翻し、命をつなぐ胃瘻を主張した。弟夫妻は、主介護者の主張の要因 が兄本人と主介護者の関係性にあることに気付き、選択を再考した。主治医は家族の 意向に従うという医療現場の慣行を横に置いて介護者の主張を勘案し、弟夫妻に人口 栄養本来の意味を説明し、経鼻経管を提案した。
3)経鼻経管導入後の日常生活
経鼻経管はチューブが常時装着されており、抜管の恐れから身体拘束せざるをえな かったため、主介護者は、できる限り早く経口摂取に戻すための努力を重ね、経鼻チ ューブは抜去された。これは、施設職員たちが協力して食事介助に取り組んだ成果で あった。弟は経口摂取の再開と延命を喜んだ。
この事例から、胃瘻の否定的なイメージは、風評やメディアの影響によってもたら されていること、医療行為は本人との関係性によって選択決定されるものであること が明らかになった。
続く第 7 章は、3 事例を、(1)胃瘻を知った経緯、(2)胃瘻の選択決定プロセス、
(3)経管栄養導入後の日常生活、の3つのカテゴリーで考察し、胃瘻を知っている とはいかなることか、高齢者への水分・栄養補給を決定する要因はどのように生起し ているのか、経管栄養は高齢者との日常生活にどのように関与しているのかを検討し た。第4、5、6章は、それぞれの事例に寄り添った介護当事者の歴史性と関係性に焦 点化した縦軸の考察であるとすれば、第7章は、3つのカテゴリーで3事例を横断し、
社会状況との関わりに焦点化した横軸の考察である。
「(1)胃瘻を知った経緯」では、介護当事者が胃瘻を知った状況と、介護当事者固 有の歴史性との相互作用によって、胃瘻は〈道具としての胃瘻〉と〈社会に価値付け られた胃瘻〉の異なる2つの受け止められかたをしていることを捉え、現在の日本社 会において、胃瘻は延命治療という意味を内包した「プラスチック・ワード」として 流通していることを明らかにした。「(2)胃瘻の選択決定プロセス」では、胃瘻批判