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事例が示唆するもの

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 103-106)

このジレンマを解消することが在宅介護を決めたモチベーションのひとつであっ たとW2は語っている。それは、命を助けてしまったからには、少なくともA2が「死 んだ方がまし」とは思わないように介護することであるとW2は考えおり、そのため には A2 が発病前と同じ環境で暮らすことが重要であると考え、W2 は A2 を日常生 活の場である自宅に連れ帰っている。W2 は、A2 が望んでいるだろうと考える日常 生活のなかで介護することによって、尊厳を損ねているのではないかというW2自身 の懸念を払拭していると解釈される介護実践である。一方、介護が長丁場であること もW2はA2 の夫の介護を見て知っていた。また、W2は、介護されていると感じる ことがA2の負担になるとも考えており、リハビリや入浴など手間のかかることは専 門職に任せ、食事介助は胃瘻に任せて、自宅での介護は必要最低限の身体介助に留め ている。こうした配慮によって介護しなければならないという負担感と、介護されて いるという負担感が軽減され、W2 と A2は、介護する/されるという関係に縛られ ずに、日常生活の助けが時々必要な義母と嫁が同居している日常を実現していること が示唆された。

5.4.3 趣味としての介護

W2は、胃瘻で命をつないだジレンマを語りつつも、実際は、迷うことなく独断で 在宅介護と胃瘻造設を決め、ヘルパー講座に通い、主体的に介護に取り組んでいる。

本人は胃瘻によって「生かされていること」が苦痛で嫌かもしれないが、苦痛で嫌に 違いないから胃瘻を用いた延命を差し控える、あるいは中止するのではなく、嫌かも しれないから、嫌にならないように工夫するというのがW2の介護に対する態度であ る。こうした主体的な介護を可能にしていることとして、在宅介護の手段と方法を知 っていること、無理をせず社会資源を活用していること、いつ力尽きても受け皿とな る介護施設を確保してあること、家族の誰もがW2に介護を強制せずW2の意思に任 せていることなどがあげられよう。

井上(1995)は、「遊び」を余裕やゆとりを意味する距離感覚でもあるとし、遊べ るというポジティブな能力が、生活のなかで生じる圧力から身をかわしながら生きる ことを可能にすると述べる。「与えられた役割をはじめ、自分の置かれた状況、自分 を取り巻く人びとや出来事、そして自分自身に対しても一定の距離をとって、いわば

『遊び半分』に対処する能力は、仕事を含む人生の『危機管理』にとっても不可欠の もの」(井上1995: 15)と指摘している。

M2はW2の介護を趣味と呼ぶ。この事例は、介護を「遊ぶ」ことによって、A2 とW2は、介護者と被介護者という役割から嫁と義母という役割を取り戻し、以前と は身体の状態が異なる義母と、義母の生活を少し手伝う嫁というあらたな関係性を育 む日常生活を実現しており、胃瘻は、こうした介護の実現に貢献していることが示唆 された。

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 103-106)