4.4.1 男性による介護の特徴と胃瘻の受け止め方
この事例の介護当事者であるM1が父親B1の介護を担うという選択は、男性の介 護が特別なことではなくなったという社会的な認識の変化が背景にあったと考えら れるものである。1999年46に施行された介護休業法は、女性の継続的な就業支援を主 たる目的として制定されたものだった(袖井 2008)が、制度の成立と普及は、性別 役割分業を解消する一助にもなった。しかし、嫁いだときからこの家族の介護を全面 的に担ってきたのはW1であり、M1は介護休業をとるまで「朝行ったら夜遅くまで 帰ってこない」[W1;2011.8.29,IC]のが日常であったことから、介護に困難を感 じることが多かったことは容易に想像されよう。M1は、こうした状況の中で、看護 師が入院患者に胃瘻から手際よく栄養投与しているのを見て胃瘻という方法を知っ た。袖井(2008)は、新たに介護役割を担った男性は介護を仕事の一つと捉え、効率 的能率的に介護を遂行することに熱心になると述べている。M1にとっての胃瘻は、
食事できなくなった人に栄養を補給する効率的で能率的な方法と強く印象づけられ るものだったが、同時にそれは、食べられないという疾患に対する医療的処置として 受け止められるものでもあった。M1は、B1の嚥下困難に対しては胃瘻にする「発想 さえなかった」と語っている。このときのB1の嚥下困難は、「食えねえちゅうことは もう終わり」と解釈される自然な成り行きであり、疾患として処置が必要な状態とは 捉えられていない。すなわち、男性介護の制度化と胃瘻の普及という社会状況、胃瘻 を知った環境、M1固有の経験の相互作用によって、 M1にとっての胃瘻は、経口摂 取困難な患者の医療的処置であり、簡単で便利な栄養補給の道具と受け止められてい ることが示唆された。
4.4.2 日常生活の延長にある経口摂取困難
B1の葬式後、A1の状態は5年の間に徐々に衰え、身の回りの支援が少しずつ必要 になっている。食事も積極的には摂ろうとしなくなり、いよいよ「食べない」状態が 3 か月ほど続いた頃、M1 は雑談の中で主治医に胃瘻の造設を相談する。A1 への食
46 介護休業法は、平成3年(1991)に立法化された「育児休業等に関する法律」の一部を改正し、
平成7年(1995)、「育児休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」として成立 し、施行された。これによって条文は「家族の介護を行う労働者等に対する支援措置を講ずる」
と改正され、法律として介護支援がはじめて盛り込まれた。施行に際し、平成7年10月1日か ら平成11年3月31日までは努力義務であったため、引用した袖井の文中の1999年は、制度化 した年度である。
事介助は、たとえ拒否されても生命維持には欠かせないものであり、このままでは栄 養不足になり命を落としてしまうのではないかという不安がある。だからこそ、食べ ないA1に無理矢理食べさせることになり、毎回の食事介助は「地獄」になった。こ のままでは虐待してしまうかもしれないという懸念さえあった。A1は、排泄・入浴・
食事など身の回りの介護は必要になっていたが、まだまだ身体的には元気であり、食 べないのが自然の成り行きとは考えられない状態だった。M1はこれらを解決するも のとして胃瘻を想起し主治医に打診するが、主治医は、本人の状態、歯科衛生士から の嚥下機能の所見、管理栄養士による栄養状態の診断などを勘案し、M1とW1の介 護負担感や不安に耳を傾けたうえで「まだ大丈夫」と判断している。
食べさせるのが困難で、栄養不足を懸念するM1の不安には、経口で液体栄養剤を 補う対応がなされている。W1 も、A1 の口腔ケアをしながら「やっぱり口から食べ させた方がいい」という歯科衛生士の判断を受け入れ、「そうかなあと思いながら1 時 間かけて」食事介助を続けている。A1 の状態が「食べられない疾患」であれば、確 実な栄養補給方法として胃瘻は選択肢になるが、A1 には嚥下能力があり、誤嚥によ る治療歴もない。M1がここで胃瘻造設を強く希望しなかったのは、胃瘻は簡単で便 利と知りつつも医療の道具と受け止めていたからであり、A1 の「食べない」状態は 疾患とは区別される日常生活の介助の範疇と捉えていたことが示唆されよう。
さらに3 か月ほど後、A1の状態は、栄養状態の緩やかな低下、気温の急上昇、ク ーラーの不調、A1 の発言を「信じた」介護者の「大失敗」などの要因が絡み合って 急変する。デイサービスの利用、施設職員の気付きという外部との連携がなければ「だ めだったかもしれない状態」でA1は急性期病院を受診するが、病院の処置は脱水状 態への対処のみで帰宅となったため、M1とW1はそれまで通りの困難な食事介助を 続けた。A1がまだ元気だったころは、「胃瘻とかそういうことは」せずB1の時と同 じようにA1を看取ろうと夫婦で話していたが、2回目の熱中症の処置後主治医に相 談すると、もし胃瘻にするなら体力的に今が限界であると言われ、M1もW1も胃瘻 造設を即決している。
このとき胃瘻造設を即断したことについて、M1,W1 の二人から後悔や揺らぎの言 葉を聞くことは一度もなかった。この事例では、A1の容態急変時に、躊躇なく、「そ のときの気持ち」を重視した決定をしている。一方で、B1の嚥下困難に対しては、「食 えねえちゅうことはもう終わりだ」とそのまま見送っている。これは、高齢者と共に
生活する家族が、家族全体の物語として、高齢者の命が「そろそろ」つきるのか「ま だまだ」なのか(清水2002)を自ずと判断していることを示唆するものであった。
4.4.3 胃瘻の解釈の変容
M1によって語られる胃瘻決定の経緯は、A1が「何にも食べられない」状態になっ たことによる医療的処置であったことが強調されている。しかし造設前に嚥下困難や 誤嚥性肺炎といった身体的な摂食困難を起こした事はなく、また、A1 の「食べられ ない」状態は、造設した胃瘻によって改善している。A1 への胃瘻が「ちょっと贅沢 な胃瘻」と名付けられているのは、「食べない」というだけで胃瘻を利用しているこ とへの申し訳とも解釈されよう。
M1は、胃瘻が「簡単で便利なもの」であることは知っていたが、A1が食べないの は疾患ではないので無理に造設を望むものではなかった。しかし、熱中症による A1 の「食べられない」状態への急変は、胃瘻造設を正当化するのに十分な理由になった。
その後、胃瘻によって意識状態・栄養状態は回復し「食べられない」状態は治癒する が、「食べない」状態は続いていたため、胃瘻は食事介助を代替する便利な道具とし てそのまま利用されることになる。この家族にとって「贅沢な胃瘻」とは、すなわち、
「食べさせるのが地獄」の壮絶な食事介助から家族を解放し、栄養不足の不安を解消 する「食事介助の道具」を意味するものとなっている。必要以上の処置ではないかと いう杞憂から「贅沢な」と形容された胃瘻によって、A1 は無理やり食べさせられる ことがなくなり、家族は地獄の食事介助がなくなった。
この家族の「胃瘻を造設してよかった」という判断は、壮絶な食事介助と栄養不足 の不安という経験を経たことによって価値付けられたものであり、また、「食事介助 の道具」として胃瘻の意味を変換させることができたのは、胃瘻を簡単で便利な道具 と受け止めたM1の病院での経験があったからである。すなわち、胃瘻の受容は、こ うした文脈のなかに位置づけられているものであることが明らかになった。
M1の死生観は、胃瘻を無理に導入して生命を延長するものでも、食事介助を諦め て「自然の看取り」をするものでもなく、当たり前の範囲で医療を利用し、A1 に見 合った介護を行ったうえで成り行きに任せるというものである。M1は、胃瘻を「贅 沢な胃瘻」と名付けて「医療的処置」から「介護の道具」に意味をずらすことによっ て、胃瘻を用いた「成り行き」の介護を実現していると解釈されるものである。