第2章 先行研究及び本研究の課題
2.3 応用認知言語学
2.3.1 認知言語学の概要
1970年代末に誕生した認知言語学は、経験基盤主義哲学論(philosophy in the flesh)17 に基盤を置いて人間の身体的経験と認知から出発し、意味の研究を中心とし、認知様式18や 百科事典的知識19に基づいて言葉とその背後の言語主体の認知メカニズムとの相互関係を ダイナミックかつ統一的に説明していく、新しく学際的な言語学のアプローチである(山 梨 1995、王 2004)。認知言語学の具体的な研究分野としては、プロトタイプ・カテゴリ ー、概念メタファー理論、イメージ・スキーマ、認知文法、文法化、用法基盤モデル、有 契性などが挙げられる。以下では、2.2 節で説明した概念メタファー理論とイメージ・ス キーマ以外の5分野について簡単に紹介する。
(1)プロトタイプ・カテゴリー
認知言語学においては、プロトタイプ論の視点から言語の様々な側面におけるカテゴリ ー化の問題を捉えている。ここで言うカテゴリー化とは、様々なものやことがらを何らか の観点から整理・分類することを指す。カテゴリー化の結果作り出されたまとまりはカテ ゴリーと言う。また、プロトタイプとはあるカテゴリーの典型的なメンバーまたは典型的 なメンバーが満たす条件・特性の集合であり、プロトタイプに基づいて形成されたカテゴ リーは「プロトタイプ・カテゴリー」と言う。(籾山 2010: 18-19)プロトタイプ・カテゴ
17 経験基盤主義哲学論はLakoff & Johnson(1999)によって唱えられ、①マインドは本質的に身 体的経験に基づく(The mind is inherently embodied)、②思考のほとんどは無意識である(Thought is mostly unconscious)、③抽象的な概念の大部分はメタファー的である(Abstract concepts are
largely metaphorical)という3つの基本的原則を中心とした新しい哲学論である。
18 例えば、カテゴリー化、概念融合、メタファー、メトニミーなど。
19 百科事典的知識は社会的・文化的な知識などを含む様々な知識の集合体を指す。
リーにおいては、プロトタイプに照らし合わせ各メンバーに対して位置づけがなされる。
例えば、次の例文1~3にある「ところ」という多義語の3つの意味(〈空間的な範囲〉、〈時 間的な範囲〉、〈(思考の対象としての)抽象的な範囲〉)の全体は1つのプロトタイプ・カ テゴリーだと捉えられる。
① 私が住んでいるところはまだ緑がかなり残っている。
② このところ、いい天気が続いている。
③ 思うところを素直に述べてください。
(籾山 2010: 21)
3つの意味の中では、〈空間的な範囲〉という意味がもっとも具体的で「ところ」という語 からももっとも想起されやすいため、「ところ」のプロトタイプ的な意味である。その他の 2つの意味はこのプロトタイプ的な意味に照らしてそれぞれ位置づけられる。具体的には、
〈時間的な範囲〉という意味は《時間は空間》20のメタファーを介してプロトタイプ的な 意味から拡張したものであり、また、〈(思考の対象としての)抽象的な範囲〉という意味 は《抽象的な範囲は空間的な範囲》21のメタファーを介してプロトタイプ的な意味から拡 張したものであると考えられる。「ところ」の 3 つの意味からなるプロトタイプ・カテゴ リーを図示すれば、次のようになる。
図4 「ところ」の多義に関するプロトタイプ・カテゴリー
20《時間は空間》のメタファーによる他の表現例としては、「1年前からの計画」、「後で電話します」、
「上旬」、「学生時代を振り返る」などが挙げられる。
21 《抽象的な範囲は空間的な範囲》のメタファーによる他の表現例としては、「その点について詳 しく説明してください」、「生活の面でも困らない」、「各方面の意見を聞く」などがある。
空間的な範囲
時間的な範囲 (思考の対象としての)抽象的な範囲 メタファー メタファー
(2)認知文法
Langacker(1987,1990)では、音韻構造や統語構造を含む言葉の世界全般を、カテゴ リー化、慣習化、記号化、連合、抽象化、記憶、焦点移動、五感、運動感覚などの一般的 な認知能力との関連で捉え直し、認知文法論を提唱している。以下では、認知文法論の主 な文法観と意味観について簡単に説明する。
まず、認知文法論では、文法は音韻極(phonological pole)と意味極(semantic pole)
の直接的な対応から構成される記号系であり、日常言語には①音韻ユニット、②意味ユニ ット、及び③音韻ユニットと意味ユニットの対応関係からなる記号ユニット、の3種の言 語ユニットしか存在しない、と規定している。例えば、名詞 bed(ベッド)の記号ユニッ トの構造は[[BED]/[bɛd]]のように表すことができる(山梨 2009: 33)。そのうち、[BED]
という部分は意味極に対応する意味ユニットで、[bɛd]の部分は音韻極に対応する音韻ユニ ットである。意味ユニットの[BED]と音韻ユニットの[bɛd]は記号化という一般的な認知能 力によって結びつけられ、[[BED]/[bɛd]]という記号ユニットを形成する。また、記号ユ ニット [[BED]/[bɛd]]は言語使用の文脈において慣習化され、最終的には、構成単位の総 和からは単純に予測できないゲシュタルト的な単位として位置づけられる。
次に、認知文法論では、「意味は概念化に基づいている」という基本的な見解を提示し ている。ここで言う概念化とは、客観的な概念内容に対する言語主体の解釈のことを指す。
「解釈」というのは、同様の状況を様々な方法で知覚し、描く能力である。我々はよく一 般的な認知能力を用いて様々な事態を様々なやり方で概念化している。また、このような 概念化のプロセスは、我々が使う日常言語に反映されている。例えば、同じ対象(即ち概 念内容)を描写する場合でも、言語主体がどの視点からその対象を眺めているかによって 描写方法が異なる。
① a. 坂道が真っ直ぐ下りている。
b. 坂道が真っ直ぐ上がっている。
② a. 山脈が西から東に走っている。
b. 山脈が東から西に走っている。
(山梨 1995: 210)
①〜②の a、b の表現は外部世界の同じ概念内容を描写しているが、どちらの表現が使わ れるかは言語主体の視座による。①a の場合には、主体は坂道を見下ろす視座にあり、視 線を坂道の下の方向に移動しながら問題の状況をとらえている。これにたいし、①b の場
合は正反対になっている。同様の点は、②の a、b に関しても当てはまる。このように、
我々は常に外部世界を客観的にとらえているのではない。言語主体は様々な認知能力を介 して外部世界とインターアクションしながら、それを様々な方法で概念化するのである。
(3)文法化
日本語や英語などの言語には大きく分けて、名詞、動詞、形容詞のようなものや行為や 属性などを記述する内容語と、文法的に文を構成する役割を担う機能語が存在する。例え ば、日本語の場合は、「木」、「聞く」、「重い」のような内容語と、「を」、「が」、「から」の ような機能語が挙げられる。英語の場合は、“person”、“walk”、“beautiful”などが内容語 であるのに対し、“because”、“at”、“will”などが機能語である。典型的には、内容語は実 質的な意味があり、独立して存在できる自由な語であるのに対し、機能語は内容語ととも にしか用いられなく、依存的かつ拘束的な語である。文法化とは、もともと内容語だった ものが、次第に機能語としての文法的な特質や役割を果たすようになる現象を指す(早瀬 ほか 1996)。また、文法化の研究は、主に文法形の発展及び意味変化を歴史的に探る通時 的な研究と、談話との関わりで意味変化を探る共時的な研究に分けられる。その具体的な 事例としては、次の例文にある「という」という表現が挙げられる。
① a. 智恵子は東京に空がないといふ。
b. 娘が家を出て一人暮らしをしたいという。
② a. 沖縄ではもう梅雨が明けたという。
b. 力を発揮するときに瞬間的にものすごい力で歯を噛みしめるため、スポーツ選手 の奥歯はボロボロなのだという。
③ a. 「貼り紙禁止」という貼り紙 b. 雨が降るという予報
c. 転勤になるという噂
④ a. 「校則」という檻 b. あなたという人は!
(早瀬ほか 1996: 180-181)
まず①のaとbでは、実際に発話をした人が明白であり、その実際に声に出した発話内容 を受けており、また、「と」と「いう」を分断することができるため、「いう」は本動詞扱 いだと考えられる。しかし②の場合は、①と異なりその内容を発話した主体が明示されて
おらず、伝聞の意味合いが強まっている。また、①に比べ実質的な「言う」の意味が薄く なっている。また、③と④における「という」については、名詞を修飾するひとかたまり として用いられており、本動詞的な発声の意味以外への拡張がなされている。
また一方で、文法化の研究では、語の通時的な意味変化は一般にある一定の方向に向か って起こり、逆行することはないと主張し、これを「一方向性仮説」と呼んでいる。この 一方向性仮説によれば、文法化のプロセスは通常次のような方向性を見せる(早瀬ほか
1996)。本来実質的な内容を持った語が、まずテキスト形成に関わる接続詞的な役割を果
たす語へと変化し、最終的には命題に対する話者の心的または推論的態度を表す語へと変 わっていく。例えば、次の例文の中の「こと」という語の通時的な意味変化に関しては、
まず概念的な内容を表す①の「事柄」という意味から②のテキスト的な用法に変わり、最 終的には、③の話者の心的態度を表す意味に変化した。
① ことが起きてからでは大変だ。
② 驚いたことに、彼は生きていたのである。
③ ずいぶんなご挨拶だこと。
(早瀬ほか 1996: 182)
(4)用法基盤モデル
用法基盤モデルはLangacker(2000a)やTomasello(2003)により確立されてきた第 一言語の習得モデルである。用法基盤モデルによれば、言語は身体性に根ざした一般的な 認知能力により動機づけられ、子供は大人の発話から言語表現や構文をゲシュタルト的に 取り込みつつ、その言語表現に内在する様々なレベルのスキーマをボトムアップ的に取り 出すことで、言語を構成する多種多様な要素を結びつけるネットワークを構築していく。
例えば、具体的な場面での使用から「のぼる」の意味に関するスキーマを抽出するプロセ スは次のとおりである(籾山 2010: 103-104)。
① 2時間も険しい山道をのぼって、ようやく湖が見えてきた。
② 息を切らして坂道をのぼった。
③ 急な階段を5階までのぼると、A氏の事務所があった。
子供はまず上記の例文①~③にあるような「のぼる」を含むいろいろな発話を耳にし、「一 般化」という認知能力によりその中の「のぼる」に共通する次の意味のスキーマを獲得す