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概念メタファーと文化

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 36-41)

第2章 先行研究及び本研究の課題

2.2 概念メタファー理論

2.2.4 概念メタファーと文化

文化とは何かについて様々な分野の研究者が様々な視点から定義づけている。例えば、

第二言語習得に深く関わっている異文化コミュニケーションの領域では、石井(1997)が 文化という基本概念を次のように捉えている。文化とは、芸術、科学技術のような高等文 化や歌舞伎と能に代表される伝統文化ではなく、一般市民の日常生活様式そのものを指す。

代表的な文化としては、一定社会の成員が共通に持つ価値観、思考様式や感情傾向などの ような内面的な精神活動、言語行動、身体表現様式、衣食住のような物質的生活条件など が挙げられる。また、日常生活様式としての文化が成り立つためには、次の3条件が必要 不可欠である。①文化は生得的なものではなく、社会の成員になるために生後習得するも のである。②文化は一部の人たちが例外的に持っているものではなく、社会の多数の成員 が共有するものである。③文化は同世代に限らず、前世代から引き継ぎ次世代の人たちに も伝わるものである。以上のような文化の定義から見れば、これまで見てきた概念メタフ ァーは、2.2.2節で触れたようにその基盤が人間の日常生活の経験に根差しているため、日 常生活様式としての文化とは軽視できない関係にあると考えられる。上記の異文化コミュ ニケーションの領域における定義に対し、概念メタファー研究を中心とするKövecses

(2005: 1)は人類学の考え方にしたがって文化という概念を「小さい集団あるいは大きい 集団に属する人々を特徴付ける一組の共通認識」13と広義に捉えながら、この定義は人工 物、風習、活動などの具体的な物事に言及していないが、それらの物事に対する共通認識

13 日本語訳は筆者による。原文は次のとおりである。“a set of shared understandings that characterize smaller or larger groups of people.”

を介してそれらすべてと結び付けられていると解釈している。更に、Kövecses(2005: 2)

は、文化を共通認識だと考えれば、概念メタファーと文化の関係は単純明快になると主張 している。なぜならば、議論、恋愛、時間、感情、道徳などの抽象的な物事に対する共通 認識の多くは概念メタファー14に基づいているからである。この視点から見れば、概念メ タファーは文化に内在する部分である可能性が出てくる。以下では、概念メタファーと文 化の関連性をより詳しく見るため、谷口(2003)とKövecses(2000,2005)の研究につ いて簡潔に紹介する(文化の定義はKövecses(2005)にしたがう)。

まず、谷口(2003: 28-30)によれば、概念メタファーにおける文化的な相違点はミクロ レベルのメタファー表現の具現化とマクロレベルの概念メタファーの形成の両方に現れる という。例えば、ミクロレベルにおいて、英語にも日本語にも《議論は戦争》というメタ ファーがあるが、日本語の場合は武器と言えば「刀」であるという連想が極めて強く、メ タファー表現の具現化の際に現代英語にはあまりない刀に関するものが出てくる。例えば、

「相手の意見を一刀両断する」、「ミッチー、サッチーを斬る」などの表現が挙げられる。

その一方で、マクロレベルの相違については、英語の場合は、次の①のメタファーが優位 に立つのに対し、日本語の場合は、むしろ正反対となる②のメタファーが支配的だと考え られる。

①RATIONAL IS UP; EMOTIONAL IS DOWN(理性的な状態は上、感情的な状態は下)

a. The discussion fell to the emotional level, but I raised it back up to the rational plane.(議論は感情的なレベルに落ちてしまったが、僕はそれを理性的なレベルに 戻した。)

b. He couldn’t rise above his emotions.(彼は感情より上には上がれなかった。)

(Lakoff & Johnson 1980: 17)

②《感情的な状態は上、理性的な状態は下》

a. そのニュースを聞いて、舞い上がってしまった。

b. 彼女はいつも落ち着いている。

(谷口 2003: 29)

前者の①は、英語圏の文化により理性を持つ神と人間は動物、植物や環境に対する支配力

14 例えば、先述した《議論は戦争》、《恋愛は旅》、《時は金》、《楽しい状態は上、悲しい状態は下》、

《善は白、悪は黒》などのメタファーがある。

があることから、まず評価性を介して《神と人間は上》、更に、換喩を介して《理性的な状 態は上》が成立することが考えられるのに対し、後者の②は、人間は一般に足が地につい ているときは心が落ち着き、高いところに立って大地を遠く離れたりすると不安になった り緊張したりしてしまうという共起経験が基盤となるからである。即ち、前者は、神と人 間は「存在の大連鎖」の上位に立つという英語圏の独特な文化(即ち、共通認識)に由来 するのに対し、後者は直接的な身体的経験による。以上のように、メタファー表現の具現 化にも概念メタファーの形成にもよく文化的な要素が関わってくることが分かる。

次に、Kövecses(2000,2005)は概念メタファーの普遍性と多様性の視点から異文化 間(cross-culture)と単一文化内(within-culture)における概念メタファーと文化の繋 がりについて詳細に考察した。それによれば、概念メタファーと文化は主に次の6点にお いて密接に関連している。

第一に、本節の初めの段落でも少し触れたように、世界に対する我々の共通認識の中に は具体的な物事の認識のみならず抽象的な物事の認識もあり、抽象的な物事(議論、恋愛、

時間など)の認識においては様々な概念メタファー(《議論は戦争》、《恋愛は旅》、《時は金》

など)に反映されるメタファー的な思考が大きな役割を果たしている。それと同時に、抽 象的な領域に関する文化モデル(即ち、抽象的な物事に対する我々の共通認識)はメタフ ァー的にしか構築することができないと考えられる(Kövecses 2005: 284)。ある意味では、

概念メタファーは文化の内在的な一部であると言っても、過言ではない。

第二に、概念メタファーは多くの場合文化の重要な部分としての言語によって表出され ている。言語は概念メタファーの主な標識だと言える。ただし、言語は概念メタファーの 標識でしかないというのではなく、ある言語を話したりその中の概念メタファーを学習し たりするのは、抽象的な概念に対する我々の認識様式に一定の影響をもたらすことができ る。例えば、Boroditsky(2001)の実験によれば、垂直空間に関わる用語(“above”、“below”

など)を用いて時間について話す、という中国語母語話者に類似する話し方15を学習した 英語母語話者は、その後のテストにおいて中国語母語話者とほぼ同じように垂直的に時間

15 中国語の場合は、「上午(午前)」、「下午(午後)」などの表現に示されているように《時間は垂 直空間》のメタファーが支配的で、中国語母語話者は一般に時間を垂直空間にある1つ1つの場所 だと認識し、垂直空間に関わる用語を用いて時間について話す。これに対し、英語の場合は、“June

comes before August.(六月は八月の前に来る。)”などの表現から分かるように《時間は水平空間》

のメタファーが最も多く利用され、英語母語話者は通常時間を水平空間にある場所だとみなし、水 平空間に関わる用語を用いて時間について話す。

を認識するようになった16。換言すれば、英語母語話者は中国語式の時間表現の学習から 影響を受け時間に対する認識様式が中国語母語話者に近づいた、ということである。

第三に、概念メタファーは一般にある特定の文化において強い物理的な存在様式を持ち、

風習、行動、象徴、人工物などの社会文化的な実践を通して表出されることがある。例え ば、アメリカ文化におけるフォーマルな会議の席順については、普通重要な人はそれほど 重要でない人より中心的で高い位置に座るという傾向が見られる。このような傾向は《重 要は中心、非重要は周辺》と《重要は上、非重要は下》のメタファーにおけるメタファー 的な構造に基づいていると考えられる(Kövecses 2005: 164)。

第四に、概念メタファーはメタファー表現の形で談話の中に使われた際に社会文化的な 談話機能を果たすことができる。例えば、Charteris-Black(2003)は英語とマレー語に おいて「口」、「舌」、「唇」という3つの概念がどのように、どのような原因で比喩的

(メタファー的・メトニミー的)に使われているかについて調査した。その結果、英語と マレー語には、《話し方は味》などの同様の概念メタファーに基づいた“honey-tongued(直 訳:舌が蜜のように甘い)”や“lidah manis(直訳:舌が甘い)”などのメタファー表現が 存在し、また、これらのメタファー表現はいずれの言語においても人が話したことを評価 する(特に、ネガティブ評価を下す)談話機能を持つことが分かった。ただし、「口」、

「舌」、「唇」の概念を含めた比喩表現の種類については、英語の場合メトニミー表現が 大多数を占めているのに対し、マレー語の場合メタファー表現が圧倒的に多いという結果 が出ている。その原因に関して、Charteris-Black(2003)は次のように述べている。マ レー文化においては、誰かにネガティブ評価を与えるにあたって聞き手のメンツを立てる ことが非常に重要視されており、メトニミー表現の利用に比べ、メタファー表現を用いた ほうがより婉曲的に聞き手にネガティブ評価を与え聞き手のメンツを立てることができる。

これに対し、アメリカ文化においては、相対的にネガティブ評価の受容性が高く、メトニ ミー表現を利用して直接的に聞き手にネガティブ評価を与えることができる。このように、

概念メタファーや概念メトニミーによるメタファー表現やメトニミー表現の使用は時には 社会文化的な談話機能を果たすことができる。

第五に、ある文化の慣習的なメタファーによって構築されたシステムはその文化の安定 性を保っている。なぜならば、文化の一部は世界に対する我々のメタファー的な共通認識 からなり、慣習的なメタファー表現やメタファー的に構築された物理的現実などはある程 度の時間的安定性があるためである。

16 実験やテストの詳細はBoroditsky(2001)を参照。

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