第8章 結論
8.1 本研究の総括
Lakoff & Johnson(1980)が概念メタファー理論を提唱して以降、言語の中に潜んでい る多彩なメタファー現象が多くの研究者を魅了している。それと同時に、外国語教育の分 野においても、メタファーと外国語教育との関係が盛んに議論され、学習者のメタフォリ カル・コンピテンス(MC)の重要性がますます強く認識されるようになってきた。また、
今世紀に入ってから、認知言語学の理念や研究成果を外国語の習得や教授に活用しようと する応用認知言語学的アプローチが進むにともない、概念メタファー理論は教育現場で数 多く応用され、外国語教育における学習者のMC養成は更なる注目を集め、その必要性と 重要性はより一層高まってきた。本研究では、応用認知言語学の潮流にしたがい、概念メ タファー理論の応用によって日本語学習者のMCを高めるための基礎研究として、中国人 日本語学習者のMC発達の現状を解明するとともに、中国人日本語学習者のメタファー表 現理解力の養成、更に総合的なMCの養成について考察と議論を行った。本章を除いた各 章の内容は以下のとおりである。
第1章「序論」では、本研究の背景にある認知言語学や応用認知言語学研究の概要、及 び概念メタファー理論やMC研究の誕生と進展などに関して簡潔に紹介したあと、中国人 日本語学習者のMCの発達と養成について考察するという研究目的、及び日本語教育にお ける本研究の意義を述べた。また、章末では本研究の全体的な構成について簡単に説明し た。
第2章「先行研究及び本研究の課題」では、まず概念メタファー理論の誕生や発展、及 び概念メタファーの基盤、種類、文化性、実在性などの諸側面について述べた。次に、認 知言語学や応用認知言語学に関する研究、特に日本語教育における応用認知言語学研究の 現状を概観し、外国語学習者のMCという能力の定義や重要性、及びMCの発達や養成な どに関する研究を検討した。最後に、先行研究から得られた知見を踏まえ、本研究の主な 研究課題として以下の3つを提示した。
課題 1:中国人日本語学習者のMC発達の現状はどうなっているのか。
課題 2:中国人日本語学習者のメタファー表現理解に影響する要因は何か、学習者のメ
タファー表現理解力はどのように養成するのか。
課題 3:中国人日本語学習者の総合的なMCはどのように養成するのか。
第3章「MCの構成要素の視点から見る中国人日本語学習者のMC発達」と第4章「概 念的流暢性の視点から見る中国人日本語学習者のMC発達」では、それぞれMCの構成要 素と概念的流暢性(CF)の2つの視点から第2章で提示した課題 1に取り組んだ。具体 的には、第 3 章では、日本語のメタファーに関する著書や学術論文、及び辞典や Google から様々な日本語メタファー表現を収集し、先行研究やMCの構成要素(メタファー表現 識別力、メタファー表現理解力、メタファー表現産出力)に基づいて中国人日本語学習者 向けの独自のMCテストを作成し、また、それを用いて日本語を専攻とする上級生のMC 発達の現状について調査した。主な結果としては、次の3点が挙げられる。
① 上級生のメタファー表現の理解力は産出力よりやや高いが、メタファー表現の識別 力、理解力と産出力のいずれも十分に発達しておらず、それを更に向上させる必要 がある。
② メタファー表現の識別力と理解力に比べ、上級生のメタファー表現産出力の発達に おいて比較的個人差が大きいが、メタファー表現の識別力、理解力と産出力のいず れの発達程度においても性差が見られない。
③ 上級生のメタファー表現の理解力と産出力の間に正の相関が存在しているが、識別 力と理解力、及び識別力と産出力の間に相関がない。
第4章では、データベースなどから中国人日本語学習者と日本語母語話者による作文デー タを集めてその中のメタファー密度(MD)やメタファー表現誤用例などについて分析し、
母語話者に比べながら学習者の MC 発達の実態を解明しようとした。主な結論としては、
次の2つに集約することができる。
① 中国人日本語学習者のMC、特に日本語独特のメタファー的概念体系に関わるJ-MC は学習歴が上がっても十分に発達しない。
② 中国人日本語学習者が持つ母語知識はMC発達に功罪両面がある。
第5章「中国人日本語学習者のメタファー表現理解に影響する要因」と第6章「中国人 日本語学習者のメタファー表現理解力の養成について」では、主に第2章で提示した課題 2の解決を試みた。具体的に言えば、第5章では、中国人日本語学習者を対象に筆者が作
成した独自のメタファー表現理解テストを実施し、テストの結果に基づいて母語とメタフ ァー基盤に関わる概念・言語の知識、認知様式の知識及び文化知識などの要素と日本語メ タファー表現の理解との関連性について調べた。主な研究結果としては、次の2点が明ら かになった。
① 母語に基づく概念・言語の知識とメタファー基盤に関わる認知様式の知識の両方は 中国人日本語学習者の日本語メタファー表現の理解に多くの影響を及ぼす要素で あり、中でも、特に概念・言語の知識のほうが非常に影響力が強い。
② 中国人日本語学習者にとって、日中両言語間で概念的・言語的に共有される日本語 メタファー表現と、換喩基盤のメタファーに基づく日本語メタファー表現のほうが 比較的理解されやすいのに対し、言語的に非共有の日本語メタファー表現と、隠喩 基盤のメタファーに基づく日本語メタファー表現のほうが比較的理解されにくい。
第6章では、中国人日本語学習者からなる実験群と対照群を対象とする授業実践例に基づ き、従来の暗記を中心とした指導法(暗記法)に比べ、概念メタファー理論と用法基盤モ デルからの知見を生かした応用認知言語学的な指導法(認知法)が日本語学習者のメタフ ァー表現理解力の養成に有効かどうかについて考察した。主な結論としては、次の3つに まとめることができる。
① 認知法は中国人日本語学習者のメタファー表現理解力の養成に有効であり、かつ、
その効果が持続的である。
② 認知法も暗記法もメタファー表現の記憶において一定の効果がある。
③ 認知法によるメタファー表現の記憶持続性は暗記法とほぼ同様である。
第7章「中国人日本語学習者の総合的なMCの養成に向けての検討」では、第2章で提 示した課題3に取り組み、日本語教育におけるMCの位置づけ、MC養成の導入時期や段 階性、概念メタファーの導入順序及びMC養成のための教材作りなどの、中国人日本語学 習者の総合的なMC養成に向けての基礎的な問題について検討した。暫定的な結論として は、次の5点が得られた。
① 日本語教育においては、学習者のMCは言語能力やコミュニケーション能力と同等 な重要性を持つ。
② 中国人日本語学習者の MC 養成の導入時期は初級コースの終わりの頃が適してい
る。
③ 概念メタファーの導入順序の一案として、その基本義が先に学習過程に出る単語に 関わるメタファー、日中両言語間で共有のメタファー、及びメタファー・システム の下位の具体的なメタファーを優先的に導入することが考えられる。
④ MC養成のプロセスは「気付き」、「理解力養成と付随的な識別力養成」、「産出力養 成と付随的な識別力養成」、「創造力養成」の4段階に分けられる。
⑤ MC養成のための日本語教材作りに関しては、既存の英語教育関連の教材が有益な 参考となる。
以上の内容をまとめてみれば、第 3 章と第 4 章の結論からは、中国人日本語学習者の MCはまだ十分に発達しておらず、それを更に向上させる必要があることが示されている。
次に、第5章と第6章の結論からは、中国人日本語学習者のメタファー表現理解力の効果 的な養成法が窺える。即ち、認知法を用いながら、日中両言語間で言語的に非共有の日本 語メタファー表現や、隠喩基盤のメタファーに基づく日本語メタファー表現に対する理解 を重要視し、母語に基づく概念・言語の知識及び文化知識を学習者に活用させるという方 法である。また、第7章の検討からは、中国人日本語学習者の総合的なMCの養成に向け て更なる理論的な検討と実証的な研究が必要であることが分かる。