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言語的アイデンティティの捉え方への示唆

第 6 章 日系ペルー人児童が表出するアイデンティティの多様性

6.2.1. 言語的アイデンティティの捉え方への示唆

BHLE の理論的枠組みでは、言語的アイデンティティは言語知識(流暢性)、所属(本 節では、民族的アイデンティティに触れず、自分が所属しているコミュニティと言語のつ ながりに関する考えについて述べる)と継承権(遺産、つまり本人にとって言語文化的な 価値を持つ物)からなるという。テレサは、その三つの要素をどのように捉え、自分の言 語的アイデンティティに関してどのような考えを持つのかを明らかにしていく。

1)アイデンティティテキストの紹介

支援者はテレサに支援を行った最初の日に、テレサは「私はスペイン語が全然できない」

と言った。実際に学習支援を行う時、スペイン語で指導する機会はあまりなく、テレサが スペイン語で発言をすることもなかった。同じ教室に通う妹と迎えに来る父親と日本語で 話すテレサの姿がよくみられた。「私の将来」と言うアイデンティティテキストにスペイン 語で書く部分があると説明したら、「無理でしょう」とテレサは言った。

2011年10月15日のフィールドノーツより

このようにテレサはスペイン語に関する知識があまりなく、自分の世界とスペイン語の つながりがないと思っている様子が窺える。しかし、外国籍児童は自分の言語文化背景が 目立たないように、家庭内の言語が話せても、自分の言語能力を否定する場合が少なくな いとよく言われている。その理由は、外国人として目立ちたくないこと、「では、○○語で

『おはよう』ってなんと言うの」というような話を避けたい気持ちや自分の言語能力に自 信がないことなど多種多様である。筆者は同様の考え方を持ち、実際にテレサがスペイン 語で書くことを見る前にテレサのスペイン語能力について判断・評価しないことに決めた。

2)第一回の指導のブレインストーミング

エピソード1 <スペイン語は簡単だけど、口にするのは恥ずかしい>

ブレインストーミングは主に日本語で行われた。テレサはすぐに「教育」と言う領域に ついて考えはじめ、「スペイン語を学ぶ!」とびっくりマークをつけて、すぐに書いた。「ス ペイン語は簡単だし、私はペルー人だから勉強すればいいんじゃないか」というふうに説 明しはじめた。さらに、「親も、特にお母さんはスペイン語が役立つと言っているし、通訳

の仕事が楽だし、稼げると言ってるのね」と説明していた。支援者は「どこで勉強するん ですか」と聞いたら、テレサは「大学で勉強するのよ。今は高校進学の受験の勉強で忙し いから、全然できない。でも大学に入ったら、時間的に余裕ができて、勉強できると思う。

学校の先生もこういうふうに言ってるのね。スペイン語の勉強は大学に入ってからすれば いいって」と言った。支援者は「でも、このように大学でゼロからスペイン語を勉強する ことは大変じゃない?通訳というのは相当高いレベルのスペイン語でないとできないんじ ゃないか」と聞き続けた。そこでテレサは「でも、私はゼロからじゃないのよ。お母さん は日本語ができないから、スペイン語で話してくれるから、なんとなく分かるのよ。難し いことばは分からないけど、日常会話はできるよ」と微笑みながら、言った。「じゃあ、こ この教室ではどうしてスペイン語で話さないの」と聞くと、「恥ずかしいし、スペイン語が 理解できても、それを口にすることは得意じゃないのね」とテレサは説明した。

2011年10月15日のフィールドノーツより

このように支援者とやり取りをしながら、テレサは自分のスペイン語能力を振り返って いる。テレサは将来の仕事について考え始めると、自分が出来そうな仕事として「スペイ ン語の通訳」をすぐに思いつく。そして、自分が通訳の仕事が出来るはずということを支 援者に伝え、説得するために、もうスペイン語をある程度できる(理解できる)というこ とを説明している。

テレサによる「スペイン語は簡単だし」という指摘から、テレサはスペイン語を使う経 験を持つことが窺える。テレサは日本語や英語を学習する経験があり、それに比べ、スペ イン語が簡単であるという発言は幼児期からスペイン語に馴染みがある人の指摘であると 考察できる。スペイン語には、日本語母語話者にとって理解が難しい、そして超上級スペ イン語話者になっても間違いやすい冠詞、男性・女性名詞や接続法があり、日本語母語話 者(テレサは日本語が一番使いやすい言語だと言うため、日本語母語話者に近いと思われ る)にとってスペイン語は決して「簡単な言語」ではないと考えられる。

このようにテレサは自分がスペイン語をあまりできないと周りの人に繰り返して言って いても、スペイン語は自分の存在の一部であると考えていることがわかる。スペイン語は 自分が持っているものであり、将来自分の仕事にしてもいいという考えが上記のエピソー ドから伝わるといえる。テレサがスペイン語で文章を書けるか否かということについては

「第二回の指導」の説明で記述する。

次に、テレサは自分が所属しているコミュニティとスペイン語のつながり、そしてスペ イン語継承についてどのよう考えを持っているのかをみよう。

エピソード2 <日本語もスペイン語も通じるから、頑張らない>

テレサとブレインストーミングを続ける。次に「家庭」という領域について話し合いは じめると、テレサは「23-24才ぐらいにけっこんしたい」と書いて、周りの人は大体みん なこの年齢に結婚したと説明した。相手はどのような人がいいのかと私は聞いたら、「性格 が優しくて、面白くて、カッコイイ人、あと、私はずっと日本に居たから、日本人がいい」

とテレサは答えた。スペイン語ができない日本人でもいいかと支援者は次に聞いた。「そう だね、スペイン語が出来なくてもいいかな。うちの家族は、お母さんって日本語があまり わからないから困るけど、私は日本語がよくできるから、相手と日本語でしゃべるの。後、

いとことか友達と会う時、日本語とスペイン語は両方通じるから、私はスペイン語で話す ことを頑張らない。相手はスペイン語が出来なくても大丈夫だよ」とテレサは答えた。

2011年10月15日のフィールドノーツより

このエピソードでは、テレサが置かれているコミュニティ(核家族やいとこや友達の家 族)では日本語とスペイン語、両方が使われていることが示唆される。多くの先行研究が 指摘しているように、日系コミュニティでは言語シフトが激しく、親が主にスペイン語で 話すことに対して、子どもは主に日本語で話すという傾向が見られると言う。おそらく、

テレサも同様の状況の中に置かれていると考えられる。そしてテレサは相手がスペイン語 が出来なくても話ができるはずというふうに考え、自分の将来の家族ではスペイン語を使 わないだろうと思っている。しかし、テレサは本当にスペイン語継承、つまり自分の子ど もはスペイン語が話せることに興味がないのかが、次のエピソードから明らかとなる。

エピソード3 <お母さん、お祖母ちゃんと全くしゃべれないと悲しいけどね>

次に「子どもが何人ほしいと書くのはどうでしょう」と支援者が聞くと、「子供―女 2 人、男1人計3人」とテレサは書いた。私の家族もそうだし、お友達の家族も大体そうだ」

と説明する。「相手は日本人だったら、うちでは全くスペイン語を使わないの」と聞いたら、

「いや、私は大学で勉強するでしょう。だから教えるの。でも子どもは興味がなかったら

…まあ、まだわからないね。でもお母さん、お祖母ちゃんと全くしゃべれないと悲しいけ

どね…難しいね。母にも日本語を教えないとね。」

2011年10月15日のフィールドノーツより

このエピソードから、テレサは自分の子どもにスペイン語を勉強してほしいと思ってい ることがわかる。まだ自分はスペイン語があまりできないし、遠い将来のことであるため、

何をどのようにすればいいか想像がつかないテレサの姿が浮き彫りになっている。しかし、

気持ちとしては、自分の子どもと母親は何とか話ができるようにしたいということは明ら かである。したがって、テレサはスペイン語の継承に全く興味がないとは言い難い。ただ し、なぜその継承は必要なのか、そしてスペイン語の文化的価値などについてテレサはま だ考えていない。その理由は、テレサが若く、知識と経験がまた浅いためであるといえる。

3)第二回の指導の文章作成

第二回目の指導の時、支援者とテレサは、話し合いを続けながら、同様の文章を日本語、

英語とスペイン語で作成した。

エピソード4 <スペイン語で書いたことがないからさ>

テレサが日本語と英語で文章を書いてから、「スペイン語でも書きましょうよ」と支援者 は促した。「無理だよ。私はスペイン語で書いたことがないからさ」とテレサは答えた。「テ レサが言ったスペイン語の文章を私がスペイン語で書いてから、テレサは書き写すという 方法はいどうでしょう」と聞いたら、「やってもいいけど」とテレサは言った。実際にやっ てみると、テレサの言うスペイン語は文章につながらず、支援者がスペイン語のことばを 文章にまとめることが多かった。テレサはスペイン語の文章を書き写しても、英語の文章 では正確に使っていた大文字やピリオドをスペイン語の文章では全く使わなかった。

2011年12月10日のフィールドノーツより

このように、テレサはスペイン語での読み書きの経験が全くないことが明確である。そ

してCummins(2008)が述べている転移はテレサの場合はすぐに起こらないことも窺え

る。英語で大文字を使うことやピリオドを打つという初級スキルはスペイン語で文章を書 き写す過程では現れないと支援者は気づく。テレサにとってスペイン語での読み書きがい かに不慣れで新しい挑戦であるのかが分かる。